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まぬけ

 リビングで朝食を食べていると、「ぷぅぅーーー」と音がした。教科書に載っていそうなおならの音。どうやら隣の部屋で寝ている旦那さんが発した音らしい。

 結婚して5カ月、付き合ってからは5年になるが、初めて彼のおならの音を聞いた。別になんてことないのだけれど、無視するにはあまりにも明確に聞こえてしまったし、暇だったこともあり、この件をどう処理するべきかあれこれ考えた。「おならしたでしょ!」と言った方が良いのか、でも嫌だった訳でもないのにわざわざ指摘したら責めていると思われるかな、、、だったら明るく言ってみる??はたまた知らん顔をするのが優しさなのか――。あれこれ考えている間に20秒ほど経ち、おならについて触れるタイミングを逃してしまった。

 何事も「間」が大切なのだ。たった数秒の間の取り方で、物事の感じ方は大きく変わってしまう。

 このあいだ参加した友人の結婚式では、誓いの言葉の場面で神父様が、新郎の「はい、誓います」という言葉が言い終わらないうちに「アーメン」と食い気味で言っていた。不意を打たれた私は、笑ってはいけないと思いながらもニヤニヤが止まらない。さらに、新婦に対しても食い気味の「アーメン」をかます神父様に、会場の人たちも、肩をふるわせて必死に笑いをこらえていた。それはそれで記憶に残る素敵な式だったけれど、この「アーメン」があと2秒遅ければ、会場で感動の涙が流れていたかもしれない。

 私も、間をつかむのが苦手なタイプだ。カラオケでのあいの手は、タイミングを間違えて一人だけおっきい声で「よっ」とか「いえーい」とか言って恥ずかしい思いをする。なにか嫌なことがあっても、あれこれ言いたいことを考えている間に言うべきタイミングが過ぎて、言えなくなってしまうことが何度もある。

ただそれは、必ずしも悪いことばかりではないらしい。

 事件取材を担当してい当時、ある警察官の家に朝掛け(朝、出勤前に家に言って話しをすること)に行った。月曜日以外なら、朝5時半に自宅を出ればその人の出勤時間に間に合うのだが、毎週月曜日は職場の行事の関係で彼が自宅を1時間早く出るため、私は4時半に家を出て、出勤する彼を待っていた。
 
 後日、その警察官から「あの日はすごく驚いた」と言われた。わざわざ1時間も早く家を出る日に来たのだから、きっと差し迫って何か聞きたいことがあるんだろうと警戒したのだという。でも、私がいつもと変わらず雑談をして帰っていったので、拍子抜けし、それが強烈に印象に残ったそうだ。何も考えずにそんなことをする間抜けがいるはずはないと思ったのか、その人は相手の裏をかく作戦で素晴らしいと、その後部下や、他社の記者にも私のことを褒めてくれたらしい。

 実に恥ずかしい話だが、あの日の私はなんとなくその日にその人に会いたかっただけなのである。でも、そんな間抜けな行動も、解釈によっては強みになるらしい。そんなラッキーパンチがたまにあると、このままでも悪くないか、なんて自分に都合良く考えてしまう。

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