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陰というクリエイティブトリガー

なんだか何も書く気がしない。そんな日が長いこと続いていた。

このnoteももちろんだし、ほとんど毎日書かないと落ち着かないくらいだった手書きのノート(つまりジャーナリング)も、ここ数ヶ月間、一切書けなくなっていた。というか、書きたい気配が私の中に全く感じられなかった。

あんなにも書きたくて書きたくて仕方なかったのに。私の中にどうしようもなく生まれる、なんだかとても大事そうな言葉が消えていくのが怖くて、何でもかんでもノートやらnoteに書き残していたのに。

その連ねられる文字の中に棲みつくかのように、その言葉たちと身体を交わらせるかのように、自分の言葉を何度も何度も反芻してまたそこから新しい何かが生まれていくのが気持ち悪いほど楽しかったのに。

その変化が起き始めたのは、ああ、夏になってからだ、と、今日が秋分という今のこのタイミングで少しずつ気づき始めた。

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実は文章が書けなくなったのと時を同じくして、絵も描けなくなっていた。

私は去年の末くらいから漆喰を使った真っ白な漆喰画を描き始めていたのだけれど、これもなんともまあ楽しくて楽しくて、有難いことにとあるアートの団体からお声がけを頂いて来年パリで作品を出展することも決まっていた(特にちゃんと公表はまだしてはいないのでまたこれについては改めて)。

思いっきりアートを楽しめる。文章も絵も、思いっきり没頭できる!と喜んでいたのも束の間、ここ沖縄の恐ろしいほどの湿気と、燃えるような外気が私の中の表現欲までも、跡形も残さないくらいドロドロに溶かしてしまっているのを感じた。

一般的に夏という時期は、「陽」のエネルギーが高まるというのをよく耳にする。夏至をピークに陽のエネルギーが高まり、夏の期間は活動的になったり、前向きになれたり、たくさんアウトプットができる時期なんだと思っていたし、今までの私もある意味そうであったようにも思う。

そして今年もその流れに乗れるものだと勝手に思っていた私は、自分のまさかの表現欲のなさに落ち込むことになってしまったのだ。

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もちろん今もまだ夏のど真ん中で、外では鼓膜が破れそうなくらい蝉の声が響いているし、雲ひとつない空がギラギラに青を際立たせている。

そんな表現のかけらも出てこなさそうな空気の中、このnoteを書きたいという気持ちが生まれ始めたキッカケとなったのが、実は先日我が家のインテリアとして取り入れ始めた、1枚のアンティーク調のラグだ。

どちらかというとこの常夏バカンスみたいな場所よりも、サラサラと雪が舞う中で薪をくべるような暖かい暖炉の前にでも敷いてありそうな、深みのあるボルドー色に近い絨毯。今買うのには思いっきり季節外れなように思うけれど、以前から夫婦で欲しいと言っていたものだったのでこの度思い切って購入を決めたのだ。

その子を我が家に迎えてから、私はそのラグの上で時間を過ごすことが増えた。ゴロゴロしたり、その上に座って本を読んだり、映画を観たり。その時間が増えることで、なんだか沸々と、私の中に「書きたい気がする」というほとんど言葉にならない感覚が積もりはじめているのを感じられるようになってきていた。

私はその、ほんのり冬の景色を纏った新しいラグの上で、今の夏の陽のエネルギーに壁を作るようにして、陰の雰囲気を自分の芯の部分に吸収し始めたのを感じた。

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外はまだギラギラと夏の装いのままではあるけれど、もう夏至はとうに過ぎて、少しずつ日も短くなってきている。これからは「陰」に向かっていく時期でもあり、徐々に夏の盛り上がりも終わりを迎える。

真冬の空気感をラグから感じ取ったのをキッカケに、私の中の「隠」の感覚も少しずつ目覚め始め、その感覚と比例するように、夏の間は顔も見せなかった私の「表現欲」もちゃんと生まれ始めたのだ。

夏の間の「陽」の気が強いとき、私の表現欲は著しく下がり、冬に向けて「陰」の気が戻ってくると、私の表現欲もしっかりを芽を出してくる。

そして、表現欲(アウトプット欲ともいうのかもしれない)が増えれば増えるほど、吸収欲(インプット欲)も同時に増えているようなのである。夏真っ只中に比べると、読書量も増え、映画などの鑑賞量も、学びの量も増えた。かつその内容も、あまり頭を使うことなく観たり読んだりできるエンタメ性の高いものには全く惹かれず、内容としてはかなりヘビーな社会問題を扱うものだったり、「ん?つまりどういうことだ?」と「考える」気力が必要になるものが増えてきたのも自分では驚いている。陽ではなく陰のエネルギーから、私はまさかの元気や気力をもらっているようなのだ。

陰のエネルギーを感じられることで、自分自身が生き生きしてきているのを感じたのは今年が初めてのように思う。(どっちかというとハッピー野郎な自分を一生懸命繕ってきた時間の方が長かった)今までは、陰を感じると陰に引っ張られてただ病むことが多かった私が、その吸収した陰から表現を生み出せるようになれていることがわかっただけでも、今年の夏の収穫はすでに十分なのかもしれない。

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