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大切なことを教えてくれた『真夜中のお鍋落下事件』

夜お風呂から上がってドライヤーで髪を乾かしていると、リビングの方からがしゃーん!と耳元のドライヤーの音を超えて聞こえてくるくらい、大きな音が。きっと夫が何か落としたんだろうと思ったが、私は特に急ぐこともなく髪を乾かし終えてからゆっくりリビングへ。さっきの音はなんですかねと聞こうとリビングに入った私の視界に入ったのは、なんだか暗い明かりの中でキッチンにしゃがみ込んでいる夫。なんだなんだと夫の視線の先を辿ると、お湯を沸かしていただろう鍋が床に転がっていた。もちろん床は一面びしゃびしゃ。「何してんの?」と聞くと、夫は「きれいだよな・・・」と一言。床に飛び散った水滴を眺めながら「美しい」とただただ眺めていた。「眺めてないで早く拭かんかい!笑」と私はツッコミを入れたが、ああ、こういう視点で全てを見ることができたら世界はなんて平和なんだろうと心から思った出来事だった。

『物事に良いも悪いもない。ただその事実があるだけ。それをどう見るかはその人のフィルターでしかない。』

とはよく言ったものだが、まさにと思わされたのが今回、真夜中のお鍋落下事件。もし私が鍋を落としてしまった今回の夫の立場だったら、絶対に同じ行動には出ていないし、同じ言葉も口にしていない。まず、条件が悪すぎる。

・夜も遅いのに大きい音を出してしまった(マンションなので下の階の人に申し訳ない…!し、自分も寝るモードだったのでうるさいの普通にやだ)
・床に傷はついてないか?鍋なんて落としたら床が凹んだりしてないか?
・水が飛び散りすぎ・・・今から床掃除ですか・・・
・お湯沸かし始めたばっかりなのにまた沸かすのか、はあ。

とまあきっと私の思考回路はこんな感じになるはず。というか後から見たのにそんな風な気持ちには実際なっている。なのに。そんな私の前で、下の階の人のことなんて気にすることなく、急いで拭く様子もなく、また沸かすことに億劫になってる風でもなく、全く嫌な気持ちになることなく、ただただその瞬間目の前に現れた絶景(彼にとってはものすごい絶景だったのだろう)に惚れ惚れしていた。

確かに言われてみれば、という部分もあった。暗い部屋の中で、我が家は寝る前は大きな照明は消してキャンドルや間接照明だけにしているからこそ、その柔らかくて暖かい光が飛び散った水滴にいろんな角度で反射して屈折して、きっと彼の目にはとても美しく映ったのだと思う。

彼の目は、きっといつどんな時も美しいもの探しをしているのだろう。基本設定がそうなっているからこそ、どんな時も見ているものはきっと多くのものが美しいし、たとえ一見美しくない嫌な出来事が起きたとしてもそこから美しさを引き出そうとする。私は不快を避けようとする意識が日常的に強いからこそ、ちょっとした不快でも気づいてしまうし、逆に実際のそれより大きく感じてしまうこともある。彼のフィルターは「美しさ感知器」として働いている一方で、私のフィルターは「不快感知器」として機能してしまっているのである。

きっとこれは長年持ち続けてしまったフィルターなもんで、なかなか外すことは難しいかもしれないけれど、少しずつ少しずつ「美しさ」や「幸せ」を感知しやすいフィルターに育てていきたい。そして私もそう感じることができるようになったなら、我が家はきっと相当幸せで平和な家になるし、世界中の人のフィルターが「楽しさ」や「美しさ」、「嬉しさ」や「心地よさ」を感知するフィルターに変わったのなら、きっと本当に世の中は平和になるんじゃないかと、心から感じた夜になったのだった。

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