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自分のために暮らしながら、誰かのためにできることを

日々暮らすことに一生懸命になっていると、私は人との交流が減ってくる。生活が楽しいかつ、1人でことが済む範囲の中で生きてられるから。人と会うことでかなりの刺激を受けやすくストレスにも感じやすい私には、正直そのくらいがちょうどいいのだけれど、ストレスなく接することができるかつ、本当に大好きな人とならもう少しコミュニケーション取りたいかも、なんて思う時も時たまある。

新しい人と出逢いたいとか、大人数の場所に行きたいとかは一切ない。何か大きい事を為したいとかでもないし、たくさんの人の心を動かしたいとかもない。そんな大それたことをしようものなら私自身がプレッシャーで潰れてしまいそうである。かといって、自分自身の暮らしに100%を注ぎ込んで、世界から孤立したいわけではない。全くもってオラひとりで生きていくぜ的なタイプではないのも事実。

そんな私が日々の暮らしを生きながらもやっていたいなと最近ふわっと思うこと、それは「ちょっとだけ大切な誰かに寄り添っていたい」ということ。少しだけ力になりたい、それだけ。

例えば「悩みを聞いてアドバイスをして解決に導く」というお役立ち方があるとするのなら、私の場合、ただただ隣に座ってるよってそのくらい。一緒にちょっとお散歩しようかとかそんな感じのこと。お腹空いたらご飯作ってあげるとか、一緒に盃交わそうかとか、そんなもの。そんな小さなコトを積み重ねていたいなと最近思うようになったのである。

少しこわばっている大切な誰かを、ちょっとほぐしてあげられたら。少しでもゆるんでもらえたら。そんなことをしていたいと思うようになった。そのために大切なのは、私自身がゆるゆるであるということ。こわばっていないということ。そしてきっと私は、日々の『暮らし』という場所を「自分を整えてゆるめる場」として大切にしているのだと思う。

書いていて気がついたけれど、きっとこのnoteもそういう場所なのかもしれない。私の記録や備忘録くらいの感じで日々綴っているけれど、どこか遠くにいるきっと何か私と似ている誰かの、小さな小さな拠り所になれたら、全部読まなくても、ちょっと触れるだけで少しでも心が軽くなってもらえたら、ああそれはとても嬉しいなと思うのです。

暮らしというものは完全に自分自身のためのもの。他の誰とも相入れない場所だし、プライベートなスペースだから何をどうしたところで誰にも何も言われない。だけれども、暮らしが内向きのベクトルだとしたら、すこーしそれとバランスを取るように外向きのベクトルも取り入れることも、同時に心地いいものだったりする。内と外、陰と陽。どっちもきっとバランスよく必要。

暮らしの中にこもってしまうと世界から孤立してしまうし、外に出過ぎてしまうと心も体も疲れて家に帰りたくなる。その時の自分にとってのちょうどいい中間地点を見つけられたら、とても生きやすい毎日になっていくんだろうな。

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