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責任なんて負いたくない

自分の発する言葉には責任を持ってきたであろうわたしが、しばらくぶりに無責任に「ああ、言ってしまった…」と思いながらも口から出てきたのはこの言葉。

「責任とかさ、正直もう負いたくないんだよね」

久々に自分の経歴を見返してみると、まあきっと一般的にとても順風満帆なエリートコース風な道を歩んできたんだなこの人って見えるような経歴を生きてきたのだと思う。小さい時から思春期はほぼ海外で過ごし、高校はインターだった経験も使ってうまーく日本に帰ってきてひょいひょいといい大学に入り、なんだかんだでかなり大手で業績も永遠に右肩上がりに見える人材広告会社に勤め、まあまあ悪くない成績を残してヘアメイクとして独立。独立してからも8年くらいちゃんとお仕事をいただけて、写真家の夫と夫婦二人でそれはそれは生きがいのある仕事を生業にして、今では沖縄に移住して幸せな毎日、みたいな人生を生きてきて、今がある。

もちろんそんな簡単にイージーモードでこの人生生きてきたわけじゃないから、これだけの人生の中にも紆余曲折は多々あったけれど、こういう経歴を持って生きてくると、良くも悪くも「責任の伴う大きな仕事」を任されることが多かった。まあもちろん自分でも無駄にプライドも持ってきちゃったもんで自分でそういう立場を望んできたという部分も大いにあるけれど。

なんだかんだリーダー的な役割が多かったり、人の人生を大きく導くまたは変化させるようなことを伝える立場にあったり、指示を出す立場だったり、教育する立場だったりすることがほとんど。ものすごいやりがいはあるし、それだけギャランティというものも増える。そんな働き方、生き方が好きだった私も当然ながらいる。むしろそんな自分であることを褒め称えたい気持ちもないわけではない。

でも最近の私は、そもそも自分が相当内向的な人間であることに気づき(下記参照)

すごい人になるのを辞め速さの世界で競争するのを辞めて、本来の自分に徐々に戻って行ったとき、そんな責任のある立場でいる自分が、恐ろしいくらいプライドの塊なことに気づいた。

私自身の価値が、仕事の重みと裁量とイコールになっていたのだ。それが分かってくるにつれ、私はそんな「責任感の大きい私自身」に苦しめられていたことにも気付かされた。

ああ、もう「できる私」からは卒業しよう。

それが腑に落ちたとき、自然とこう思えた私がいた。自然と口から出てしまっていた「責任はもう負いたくない」という言葉も、できる私が苦しめてきた私自身の叫びだったように思う。

その責任を、今は少しずつ手放せるようになってきている。仕事の仕方も変え、自分に余計な負荷をかけず、何か大きな影響を及ぼすようなことをできるだけ避けて、ひとつひとつ小さく小さく積み重ねる。責任を手放したことによって、大きな不安定な未来に不安を抱くことも減り、目の前の小さな幸せに心を躍らせて暮らせるようにもなってきた。こうして責任を手放したことで、むしろ1番自分自身という存在の責任を取れるようにもなったのかもしれない。

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