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一番厄介な存在


(2020.06.01にTwitterで 誰がどれを書いたでしょうか という遊びをしました。これはそのときに提出した小説です。)


ㅤ彼女は歌うように言った。「また来年、ここでね」。
ㅤその「来年」というのが、すぐそばまで迫ってきている。具体的には来週。覚悟ができていないわけではない。
「そうはいってもなあ」

ㅤ店を出て溜息とともに天を仰ぐと、整理のつききらない頭とは裏腹に、五月の空は抜けるような青さだ。そこにくっきりと刻まれてゆく一筋の雲が、憂鬱をさらに加速させた。


ㅤ彼女と別れたのは四年も前のことだ。やりたいことができたとかで、手早く荷物をまとめると、風のように出て行ってしまった。行き先を教えてもらう隙もなかったし、周囲の誰も知らないようだった。友人は同情してくれたが、僕は彼女のそういう自由なところが好きだったのだ。少しずつ気持ちを整理して、最近やっと片付いてきたところだった。
ㅤなのに、彼女は昨年、僕の行きつけの喫茶店に現れた。久しぶりに会った彼女が話す内容のほとんどは一方的な近況報告で、僕はただただそれに相槌を打つ係に徹した。そうしてひとしきり話したあと、らしくもなく神妙な顔つきをして言うことには、「ついてきてほしい」。
ㅤ僕にも都合というものがあるとやんわり反論すると、一年やるから準備しろと言う。用事はそれだけだったらしく、冷めたコーヒーを飲み干して軽やかに立ち去ってしまった。そういう自由なところが好きだった。好きだったが、今回ばかりは少々厄介だ。
ㅤ正直なところ、未練はあった。だからといって「ついてこい」なんて言われるとちょっと悔しいものがある。だいいち、なんだ。胸に輝くNASAのバッジは。言っておいてくれ、そういうことは。
ㅤこのご時世、ほかの惑星への旅行はそう珍しいことじゃない。僕だって四年前は彼女とふたりで火星へキャンプに出掛けたくらいだ。思えば、あれが最後の旅行だった。
ㅤ戻る船内で、いつか地球からちょっと離れた田舎の星で暮らしてみたいね、という話で盛り上がった。彼女はとても乗り気で、素敵だねなんて言って目を輝かせて――そして翌日、部屋を出て行った。

ㅤ来週、僕は彼女にイエスと答えるだろう。向こうは別れたつもりなんか一切なくて、僕の素晴らしい思いつきを実現するために奔走していただけなのだから。
ㅤ筋金入りのサプライズ好きの彼女の鼻を明かす文句を思いつけないまま、受け取ってきたばかりの小さな紙袋を見下ろす。四年も呆けていた僕がしてやれることなんてこれくらいしかない。指のサイズが変わっていないことを祈りながら、僕は家路を急いだ。

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