見出し画像

【やけっぱちのマリア】

 1970年4~11月に手塚治虫が『週刊少年チャンピオン』に連載した、性教育漫画の嚆矢。

 1970年8月27日に福岡県児童福祉審議会は、本作を掲載している少年チャンピオンの同月24日号を「読者層の小中学生に刺激が強すぎ、青少年の健全な発育を損なう」という理由で【有害図書】指定とした。本作が性教育漫画であることを考えると本末転倒な指定理由である。
 なおこの審議で「週刊少年マガジン」も、ジョージ秋山『アシュラ』・真崎守『切り裂く!』の掲載で有害指定されている。
 「チャンピオン」の有害指定について、福岡県青少年対策室はこれが全国初ではないかと述べている(ただし同誌は前年創刊されたばかりである)。

 漫画に詳しくない人ほど今でこそ、良識的な作品ばかり描いていたように思われている手塚治虫であるが、そうした世評が定着する前にはしばしば悪書・有害として槍玉に挙げられていた作家のひとりであった。
 なぜなら彼ほど多彩なジャンル・描写に挑戦した作家はおらず、当然その中には過激なものや性を扱ったものも含まれていたからである。またそれが手塚が《漫画の神様》とまで呼ばれ歴史に名を遺している真の理由である。

 フェミニストなど表現規制派が性表現を叩く際に「【性教育が不足している現状では】...…」と規制の大義名分にすることがあるが、実際に性教育を充実させようとする者が現れると妨害に走るのはいつものこと。
 こうした事例はのちにも東京都福祉保健局の【#TOKYO女子けんこう部】キャンペーンや、性情報サイト「セイシル」の【素股で妊娠ってしますか?】への回答、さらにはイギリスの性教育書【Your Pocket Guide to Sex】など数多い。

関連記事

少年雑誌またヤリ玉「少年チャンピオン」セックス描写が強すぎる
福岡で有害図書に指定

 【福岡】福岡県児童福祉協議会(古賀博演会長)は二十七日午前十字から開き、東京・秋田書店発行の「少年チャンピオン」の八月二十四日号、東京・講談社発行の「少年マガジン」八月十六日、二十三日、三十日号を有害図書に指定するよう福岡県知事に答申した。
 同審議会で問題になった「少年チャンピオン」は、手塚治虫作の「やけっぱちのマリア」。異色性教育コメディーという副題をつけ、女性性器の構造図や、赤ん坊の生れてくるところなどが描かれている場面。
 指定された理由は、少年向きの性教育を意図しているが、同雑誌の読者層は、小、中学生。「まだ刺激が強すぎ、青少年の健全な発達をそこなう」として、県青少年保護育成条例に違反する――というもの。
 「少年マガジン」は先月三十日の同審議会で、連載檄が「アシュラ」に人肉を食べたりする残虐な場面があるとして、有害図書指定を答申しているが、「アシュラ」は、まだ数週間連載されるため、八月十六日、二十三日、三十日号を有害図書として「少年チャンピオン」と同様答申した。
 なお「少年マガジン」八月十六日号の永井豪「キッカイ君」の拷問場面、同二十三日号の真崎守「切り裂く」も殺人を正当化し美化するとして有害と認めた。
 「少年マガジン」は、神奈川県をはじめ、いくつかの県で有害図書に指定されているが、「少年チャンピオン」の指定は全国初めてではないか、と県青少年対策室ではいっている。
 週刊「少年チャンピオン」成田清美編集長の話
 「やけっぱちのマリア」は四月十五日号から最新号の九月十四日号まで、すでに十四回つづいている。裸を興味本位に売るハレンチ・マンガはもう古く、もっと本格的な「愛」の問題を子どもたちに与えてやりたいというねらいだ。人間として常識的な性の知識を、わかりやすい、ドラマチックなマンガで、自然に身につけてもらいたい、と思った。
 手塚治虫氏の話 性教育をやるなら、中途半ぱはいけない。ハッタリは困るが、やる以上は根本的にラジカルに性を教えるべきだ。中途半ぱな性教育が多いので、私は視覚的に思い切ったものをやろう、と思った。性を隠そうとすればするほど子どもは関心を持つ。性教育をやるおとなは何のテライもなく、堂々と性を子どもに理解させるべきだ。

1970年8月27日『朝日新聞』夕刊

表現、大胆そのもの
最近の少年マンガ 読者年齢も急上昇

 女の子をハダカにするハレンチマンガ・身重の女が死体をたべる残酷マンガ...…町にあふれる少年マンガが、最近、しばしば問題にされ「有害だ」「刺激が強すぎる」などときめつけられ、二十七日には福岡県児童福祉審議会が、少年マンガ週刊誌に連載中の”性教育マンガ”を有害図書に指定するよう県知事に答申した。だが一方で「マンガはおとな社会の反映」「きれいごとマンガはかえって有害」といった”マンガ弁護論”もあり、マンガのあり方をめぐって論争が盛んになりそうだ。
 少年むけのマンガは、週刊誌だけでも六種類、発行部数三百万部といわれる大ブームだ。その内容も、昔の「ノラクロ」物などに代表される”ほのぼのムード”は陰をひそめ、表現は大胆そのもの。ハレンチ、残酷、ナンセンス、根性などを売物に、ヌードあり、血しぶきあり...…といったあんばいだ。
 こうした傾向を、マンガ界の大御所、横山隆一さんは「ヘドロ・マンガ」ときめつける。子どもには刺激が強すぎる、一種のマンガ公害だという。
 だが「現代子どもセンター」の高山英男事務局長は「なにも最近に限ったことではない。以前だって男女のラブ、人殺しなどの少年マンガはあった。そして、親は常にその種のマンガにマユをしかめていたものだ」という。ただ、十年ほど前までのマンガは”貸し本屋文化”。ところが、最近は何十万部もが大手をふって発行されるようになったのだ、という。
 つまり「裏文化」だったものがこの十年ほどで”市民権”を獲得し「表文化」になってしまったというわけ。「裏文化」だったころは、それなりの抑制が働いていたものが、いまでは、なんのおさえもなくなり、開き直ったようなかっこうで”自由”をおう歌している、ともいえそうだ。
 また飯沢匡さん(劇作家)は、道徳論ではなく、興味論、養育論という立場からこうしたマンガのうちセックスものをとりあげて「セックスをマンガで子どもに教えるなどということには大反対だ。なぜなら、セックスというものは、かくしておくところに楽しみとか興味というものがある。旧約聖書にある、イチジクの葉、あれが人間のチエですよ。われわれも子どものころ自分たちで性に対するナゾときをして、知的に錬磨されたじゃないですか。そういう訓練が子どもには必要だ」という。「それをあからさまにさらけ出すのは、おとなの商売気にすぎない」との意見だ。

1970年8月27日『朝日新聞』夕刊

参考リンク・資料:

 資料収集等、編纂費用捻出のための投げ銭をお願いします!↓

ここから先は

14字
この記事のみ ¥ 100

ライター業、連絡はDMでどうぞ。匿名・別名義での依頼も相談に乗ります。 一般コラム・ブログ・映画等レビュー・特撮好き。