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BLMに対し、米国に住む日本人の私が思うこと


先日、BLM運動の一貫としてテニスの試合をボイコットして意思表明した大阪なおみさんが、その後の試合にて、米国警察の不当な武力行使の犠牲となった人々の中で特に話題になった7人の名前を書いたマスクをつけて挑んでいます。

彼女がテニスで偉業を成した上で、その立場をどのように世の中のために使うかを熟考されて、批判を恐れず実行したことは、本当に高潔で聡明な行いであると思います。彼女の強い意思に感激し、同じ日本にルーツを持つもの、アメリカに暮らすものとして、とても誇らしい気持ちになりました。

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私は高校の頃にもアメリカに2年半ほど住んでいたことがあります。その頃の経験から、黒人の方々に対しては、とても強い愛着と敬意を持っています。当時住んでいた場所は、今と同じ、アメリカの東海岸の南にある、とても保守的な地域(黒人人口率は30%未満ほど)。日本人学校がないため近くの公立高校に通いました。はじめは全く英語が喋れず、数ヶ月は授業もまともに聞けない、なかなか友達が作れないなど、かなり苦労しました。とはいえ、ESL(English as Second Language、外国出身の子供のための英語クラス)でできたヒスパニック系の友達とつるんで、なんとか少しずつ学校生活に慣れていきました。

当初、ランチタイムの食堂でどこに誰と座ったらいいか分からず困っていたとき、一番始めに話しかけて一緒に食べるよう誘ってくれたのが、黒人の女の子でした。この時のありがたさといったら、もう涙が出そうでした。クラスでは各々ランダムに席についているのでよくわからなかったですが、広い食堂に入ってみると、少しの例外をのぞいて、はっきりと黒人グループと白人グループが別れていました。今まで全く肌の色が違う人と暮らしたこともなく、人種差別などについて深く考えたことのなかった高校生でしたが、アメリカの人種間の溝の深さが、たった15〜18才の時点で、こんなにはっきりと出てしまうことに驚きました。とはいえ、私はそのことは気にかけず、純粋に彼女の優しさをありがたく受け取り、毎日その周辺の席でお昼を食べていました。

授業中や、授業間の移動の間も、学生のコミュニケーションタイムですが、基本的にはアメリカ人にとって外国人の学生なんて珍しくもなんともないので、意思疎通ができない、面白くもなければ、誰も相手にしてくれません。ただ、たまには興味を持って話しかけてくれる人もいて、そういう人たちによってアメリカ生活が乗り切れました。この時に割り出した、外国から来たアジア人に優しい人たちはどんな人なのか、という個人的かつ勝手な統計があるので、それを披露したいと思います。

30%ー白人のオタク

10%ー下心を持った白人男子

10%ー趣味の合う落ち着いた白人女子

40%ーとにかくただ明るい黒人男女

10%ーその他マイノリティ

まず、白人で話しかけてくる人の半分以上はアニメなど日本文化オタクでした。好意的に話せますが、ナルトなど海外での人気作品を読んでいない私は、初めはいいもののその後の関係を築くまでに至りませんでした。10%の下心を持った白人男子というのも失礼な言い方ですが、まぁ思春期なので、その時期ってそういう気持ちがある女の子に話しかけがちですよね。ただアジア人に興味を持つのは割と特殊なタイプだと思います。ここで50パーセントの話しかけてくれる白人のうち、40%は何かバックを期待して私に話しかけていることがわかります。残り10%の趣味の合う白人女子は、あの時の英語力でどう仲良くしていたのか今考えると謎ですが、一緒に街に出かけたり家に遊びに行ったりしてその後の関係性を築くことができました。ただし、クラスにいる白人の中には、自分たちが最も優れた人種である、という思想が透けてみえる人もよくいました。これは、そういうふうに育ってきていますから、仕方がないです。あとの40%の明るい黒人男女は、もちろん奇妙な言葉の使えないアジア人に対する色眼鏡はあったと思いますが、なんか面白そう!という感じで話しかけてくれ、不思議な握手を教えてくれたり、裏表のない、純粋な人の暖かさを感じました。私は出かけるほどの仲にはなりませんでしたが(基本的に私はテンション低めで趣味もオルタナ系なので、どこへ行ってもそれに合う人と狭く深くの交友しかできない)、その後交換留学で来てた台湾人の友達は黒人の友達のパーティーや教会のミサに参加するほど仲良くしていたので、やはり黒人のほうが全体的にマイノリティに対する優しさ…というよりは、ここまでアメリカ建国と文化形成に貢献しているにもかかわらず、同じマイノリティとして対等に偏見なく付き合ってくれる印象を受けました。

もちろん黒人の中にも、突然廊下で中国語を話す物真似をしてきたり、人種差別をしてしまう人はいます。きっぱりやめてといいますが、白人の陰湿な差別よりは可愛らしい印象です。廊下でラップを歌う男の子、元気なダンスを披露する女の子、私には全て面白く映りましたが、そういう黒人文化(もちろん行き過ぎな文化もあります)を白人は下品だと陰でいい、小さい頃は一緒に遊んでいたのに、高校生になる頃には、クラスで話すことはあっても、グループとしてほとんどつるまなくなります。親もつるまないように言うのだと思います。私の夫はたまたま白人ですが、悲しいことに父親に黒人女性とは付き合うなと言われたことがあるそうです。黒人は低所得層が多く、アメリカの高額すぎる大学には通えない家庭が多いです。中高生の時点で既にお互いを誤解したまま、やがてそれぞれの社会における居場所と立場は隔絶されていきます。

このような状態が堂々巡りしているので、いつまで経ってもアメリカは黒人差別から卒業できません。まずはシステミックレイシズム、黒人が社会で得られるチャンス・安心して生活できる社会を、政治の力で是正しなければ、この深い分断は永遠に続きます。

私はこの国での投票権もなく、できることといえば、近しい人になるべく同じ思いを共有してもらえるよう努力することだけです。私の夫はこの地域でずっと育ってきた白人なので、家族同様に右寄り、4年前の大統領選挙ではトランプ支持でした。ただし、親の身勝手によりかなり苦労して育っており、また信心深いクリスチャンだったのにそれを捨てた過去もあるという、「自分の居場所やアイデンティティに疑問を持ち、必要であれば改める」ことのできる人です。そして、人の話を聞き入れ、心から話し合いのできる人です。そういう人なので、今はトランプは不支持、レイシズムに関してもしっかりとマジョリティである白人側が大多数を占める「ノット・レイシズム(人種主義者でない)」から「アンチ・レイシズム(抗・人種主義)」の立場をとらなければ、この問題がいつまでもなくならないことを理解してくれるようになりました。ちなみに夫は、この高校時代の話しかけてきた10%の下心のある白人のうち、純粋に片思いをして熱心にアタックを続けてくれた人でした(なので下心は失礼)。

この問題に向き合う時、高校の頃にアメリカ生活を経験してよかったなと思います。幼いとよく分からなかったかもしれないし、大学留学、そしてそれ以降の大人になってからの生活や就職では、見られない光景を見ることができました。日本でもそうでしたが、公立の学校って、本来分断されている人々が、地域が近いというだけで奇跡的に同じ場所で平等に教育を受けている、思えばとても特殊な空間でした。

同じく高校時代、私のESLの先生をしてくれていて、なぜか家族ぐるみで仲の良かったイタリア系アメリカ人の先生がいます。彼女はまだこの地域在住だったので、最近再会を果たしました。彼女は自分のルーツの国やヨーロッパ諸国に関心があり、言語に造詣が深いため、外国で英語の先生として暮らした経験があります。ほとんどのアメリカ人(わたしの言うアメリカはニューヨークやロスなどの都会以外のガチのアメリカを指します)は、アメリカがナンバーワン!と高らかに謳って外国に行ったことすらなく、外国語を一つも習得しません。文化ではなく、行けるだけの所得がないだけかもしれませんし、日本でもこういう人は多いのでなんとも言えません。ただそんな中でこうした経験を持つ人は貴重であり、国際的な平衡感覚を持った、自国に対する客観視ができる人であろうと、私は勝手に思い込んでいました。

先日彼女とランチをしていた際、日本やアメリカの近況について話題が移りました。私は、「日本の政治も先行きが見えないが、アメリカも同様に感じる。高校の頃はオバマが当選し、なんて希望に溢れた国だろうと感じたのに、今はBLM問題がとにかく見ていて心苦しい」と伝えました。すると、「ああ、危険よね、あの抗議者たち」と返ってきて、一瞬状況が飲み込めませんでした。私の立場はそちらではない、と説明し直しましたが、自分が見た統計ではそうでなかった、何人か知っている警察は皆優しい人々だ、暴動の様子がとにかくひどい、と言って聞いてくれませんでした。これ以上言ってもギクシャクするだけだと思い、「私はこの件で初めて見た動画が、赤ちゃんを車に載せた女性が恐ろしい剣幕で警察に銃を突きつけられるというものでした。周囲の人々が何度も叫んで警官を止めたため殺されはしなかったが、赤ちゃんの泣き声とお母さんの悲壮な声に胸が張り裂けそうになった。これをきっかけに、そちら側を支持する方に思考が傾いていますが、もちろん暴力的な抗議者がいることはわかります。」と伝えて、話題を変え、その場をどうにか平和にやりすごしました。その人はある程度国際感覚があるとはいえ、やはりずっとこの地域で生まれ育った白人なので、どうしてもそういう考え方になってしまうようです。悲しいけれど、やはり人間の心を変えるには、相当心の距離が近い必要があります。できるのは、とりあえずこちら側に立つ人間の印象を悪くしないことだけだと感じたので、自分は聞く耳を持ち、相手を否定せず、相手の立ち位置からの見方も認める姿勢を見せるように心がけました。

サムネイルの画像にも使いましたが、この二人は黒人の著名人の中でも私が特に大好きな二人です。南アフリカ出身のコメディアン、トレバー・ノアと決まり文句のMother XXX!がみんなに愛されている名優サミュエル・L・ジャクソン。トレバーのThe Daily Showはアメリカをコケにしまくっていて面白いのでよく見てるのですが、今回のインタビューはかなり真摯で熱のこもったものでした。最近サミュエルがBBCのシリーズドキュメント「Enslaved(奴隷にされる)」をプロデュース/出演したとのことで、その番宣を兼ねたインタビューのようです。

日本語訳がないのが申し訳ないですが、PCのYoutubeで見れば右下の設定で英語字幕が付けられるので、是非リスニングにチャレンジしてみてください。かいつまんでいうと、Enslavedは、アフリカからどのように人々が捕らえられ奴隷として売られたか、アフリカ側からの視点、そしてヨーロッパ側の奴隷商売システムの視点から検証し、また海難事故で今も沈んだままの奴隷船なども潜水調査したり、かなり興味深い内容になっているようです。サミュエルは詳しい解説をし、そして撮影の感想についても語ってくれています。また、明らかになった自身の祖先のルーツであるガボン共和国へ初めて訪れ、それによりとても心がクリアになったという喜びについても話しています。サミュエルが人生で、特に子供から学生の頃に経験した人種差別への抗議行動、重なり合う現在の状況、またトレバーの出身国に存在したアパルトヘイトなどについても、語り合っています。

終始サミュエルがお茶目で可愛らしく、またどんな苦しい話をしている時も穏やかで、人間の大きさが伝わってきます。かつてどもり症だったのを何とか落ち着かせるためにあのMother XXX!と言うことで一旦自分を中心に戻していた、それによってこの言葉がトレードマークになったというエピソードもかなり面白い。トレバーがサミュエルとの会話に感激して、段々顔が喜びで赤らんでいるのも見ていて微笑ましいです。HSP人間としては、優しすぎるサミュエルの人柄を見ているだけで何故か泣きそうになります…。トレバーがサミュエルに対して、「存在してくれてありがとう」と言うシーンも、どれだけサミュエルが黒人にとって偉大な存在であるかが伝わってきます。


黒人がヨーロッパ社会に蹂躙されて失った文化や権利、命。そのような状況を経ても、強く生き延び、新しい文化を産み出し、諦めずに何度も基本的人権を取り戻すために戦ってきた歴史。どれもが人類の希望を象徴し、世界の不条理との戦いをリードした出来事だと思います。意図的に見えないように放置されていたレイシズムが、SNSの力でようやくここ10年ほどで可視化されてきました。見えるものを見えないと叫び続けるのか、見えたからといって何もできることはないと放置するのか、とりあえずできることから声をあげていくのか。今、下降の一途を辿るアメリカは大きなターニングポイントを迎えていると思います。この希望を生み出す一歩を踏み出せるか、無視を続けて後退するに任せるのか。ここで暮らす者として、世界の住民の一人として、絶対に希望を選んで欲しい。まずはなんとか、11月に”無視派”であるトランプが再選しないことを祈り、また夫以外にもこの保守地域で理解者を増やせるよう、地味に行動していきたいと思います。

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