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5/5 財布を忘れても愉快なわたしでいられる世界線

昨晩、お茶をわかし冷ましておくのを忘れて寝てしまったため、朝に飲むお茶がない。
急いでお茶をわかして作るが、あっちあちだ。
ということを子どもたちに伝え、「なので、水か牛乳どっち飲みたい?」と聞いた。
息子は牛乳、娘を水を選択。
最近、おしらせ作りに精を出している息子がメモ帳になにやら書き、冷蔵庫にばしっと張り出した。
『おしらせ おかあさんはおちゃをつくるのがおそい。水かぎゅうにゅう』
とてつもなくストレートなお知らせであった。

今日も父と母が来た。
父が建付けが悪かったベランダの網戸を直してくれた。
うちは古い建物なので、ベランダのドアの片方が重くて動かすことができずにいる。
サッシに変にひっついていた網戸もその動かない方のドアの前から動けずにいた。
ドアが開く方は網戸がない状態なので、様々なのものの侵入に恐れているわたしは、ベランダのドアをあけるという行為をできぬまま過ごしてきた。
引っ越してから、ずっと。
それがやっと解消された。
ベランダのドアを開け、網戸越しに風が入り、レースカーテンがそよいでいるのを見て体感的にも視覚的にも気持ちがいい。
父はついでにとベランダの掃除までしてくれた。
わたしは父のこういうところを本当に尊敬している。
そのあと父は、網戸越しの風にあたりながらうたた寝をしていた。

娘の誕生日プレゼントにと、自転車を買ってもらった。
薄いピンクや紫を多くつかって装飾された、ファンシーな柄の自転車だ。
ところどころハートがあしらわれている。
どこからどう見ても、誰が見ても、娘の好みど真ん中な自転車であった。
娘は整備してもらっている間も、そばから離れず、ずっと自転車の近くにいた。
そして自分で運転して家まで向かった。
ジリリリリリリリという音が鳴り響く。
補助輪がついている自転車だなという音。
よく見ると、左右の補助輪が同時に地に着くことはない。
いつも地に着くのは左右どちらかだけだった。
初めて知った。

お昼を過ぎ、妹家族も遊びにきた。
義弟は朗らかな人で、集まると大抵子どもたちが寄っていき遊んでくれている。
以前、義弟のお母さんが「子どもの頃から、小さい子たちがなぜか集まってくるような子だった。」と言っていた。本当にその通りだ。
有難く、母、妹と女三人でがーっと話した。
持ってきてくれたお菓子の箱を開けてみてよと言われるのでそうすると、鯉のぼりの形をしたアップルパイであった。
その時、今日がこどもの日だということを思い出した。
切り分けてみんなで食べた。
どうか子どもたちよ、健やかであれ。

夕方になり、みな各々帰っていく。
さほどお腹もすいていなかったので簡単に夕飯をすます。
日曜日の夕飯時と言えば、ちびまる子ちゃんとサザエさん。
サザエでございます!から始まるオープニングを適当に見てると「財布を忘れて愉快なサザエさん」のところで、「でも携帯があれば大丈夫。」「携帯がなかったらお金も払えないし、道も調べれなくてうわ〜ってなる。」と子どもたちが言っていてはっとした。
もう何十回、何百回と聞いてきたはずなのに、その考えになったことは一度もなかった。
あたしゃ財布忘れても全然愉快になれやしないよと考えていた。
確かに今だったら、スマホがあればペイペイ使える。
短気なわたしでも財布忘れても愉快でいられる世界線に我々はもう立っていたのだ。
すごいな、子どもたちもスマホも。

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