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自由な色と自由にしたい気持ち

小学生の図工の授業の時、
人物画に自由に着色してみようという授業があった。
「肌色」という絵の具だけでなく実際に見ると色々な色が見えてくるから、というものだった。
その時、1人の子が紫ベースの色で描いていた。
私はというと、絵は好きだったからその課題も好きなように描いていたのだけど、
紫のような驚く色でなく、肌の色として綺麗に見える色になるよう塗っていた。
すると先生は「あの子のように自由に描いてみて」と言った。
まぁ、分からなくはない。
「自由」に爆発させて欲しいということなのだろう。
そう解釈して、ただその後どうしたのか覚えていない。
紫のように塗りたくなかった
という気持ちだけが何十年も経った今でも残っている。

今なら「自由」の中には自分がいいなと思うものを描く自由もあると説明できるのだけど、その時はそこまで気持ちの整理が出来てなかったから、
勿論そんなことは説明できない。

子供が小学生になり、家でよく工作をしているので図工の授業も好きなのかと思ったら、
「学校では好きなようにできないから、楽しくない」と言っていて
そこで気付かされた。

先生に子供たちの気持ちの根底に気がついて欲しいとまでは思わないけれど、
自分の心には留めておきたいと思った。

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