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私の矛盾は私が私を治療してきたからかも知れない。

私のPTSDにはすごく波がある。
小波があるのは複雑性PTSDの方。
大波は単純に昔ながらのPTSDの方。

私は何だかんだ電車に乗れる。

男が怖い、人間苦手、それがピークのときは流石にしんどいが。
そうでなければ、割と乗れる。

フラッシュバック、侵入思考、過呼吸、悲鳴…こんなやつ、ふつー電車乗れないぜ?

かなり矛盾があると思いません?


対人恐怖について出版した精神科医と只今ニアミス中だ。
この精神科医のクリニック、出版当時連絡が取れず恨みはしたものの15歳だった私は必死に電車に乗る練習をしていた。

この頃は醜形恐怖、不潔恐怖、視線恐怖、諸々もあり、もう社会に出るのが怖くて仕方ないが、頑張って何とかするしかないと本を読んだのだ。
自分自身の皮膚の内側以外何も信じちゃいなかった。
だってまだ15歳。

いかにもエライ先生が書きました感がある本に縋った。


『見られてるんじゃない!
私が見てるの!!』

必死に自分に言い聞かせて電車内にじっとしていた。

『見られてるだけじゃなくて、私も見てるの!』
『見てるの!』

私は当時から行動認知療法を自分に試そうと必死だった。

20ウン年前。

少女だった私は、必死に人間に耐性をつけたくてほぼ毎日電車に乗った。

中には気絶してしまう日もあった。

終点の駅で駅員に起こされる。


『お嬢さんまた来ちゃったんか…
帰るんやろ?
15分後に向こうのホームから出るから』


また?

…またって何?

(この頃はまだ男性に対してそこまで恐怖心はなかった。被害前だったから)


どうも私は気絶していた日もあれば『解離』したまま出歩いた日もあって、私は知らない人に顔を覚えられていたのだ。

だから、私も相手も覚えている駅員さんもいれば、私は覚えていないが駅員さん側だけ私を顔馴染みレベルに覚えてるなんて状態になることもあった。


まるでサイコスリラーの世界に聴こえるかもしれないが、これが私が生きてきた現実味の残る『きちんとした記憶』だ。



ずっと忘れていたが、私は10代で心理カウンセラーに恐れられた。
私を『うつ病患者の少女』として診ようとした彼女は最終的には『私はアナタがわからない!』と叫んだ。

当時の私の診断名はうつ病だったから。


私が語る日常が、はっきり言って非日常だったのだろう。



私は何となく自分で自分を治療するという方向になったのだ。

15で。



恨みに恨んだこの対人恐怖の書籍。と医師。
今読み返すと、エクスポージャーについても書かれている。

結局、いまのところ一番PTSD自体には効果のありそうな提案をしてくれているのがここのクリニックである事実には頷ける。

20ウン年前…の本の医者のクリニック。



いやぁ、まだ私の住むエリア内でPTSDだのエクスポージャーだの『お断り』されまくってるって…


日本…遅れすぎ😱



確かに、ケースワーカーが私にエクスポージャーのコツをつかんでるんじゃないかって言ったのも頷けるぞ。

確かに、私は20ウン年前からそういったことを試してきたのだもの。




未だに医師が責任持てないから、お金にならないからと逃げ出す治療を15だった私が一人で挑みかかっていった…

誰もできないなら、自分でやる!

アテになる大人なんかいない!

気絶するまで電車内に座ってるとか…

そう思うと、確かに勇ましいわい🗡️🛡️
(別の意味でめちゃ心配だけど…)

今の医師は嫌いだけど、私を強いとか勇ましいとか日本人離れしてるとか言っていた。


んー、勇ましいのは認めるわ。


それほど精神医療に遅れた国。
日本。




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