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草刈正雄さん。

(この記事は草刈正雄さんの複雑な生い立ちと❝許し❞について知ったり考えたりしたよ、という旨の記事です。2400字もありますからお時間のゆとりのある方へ)

子供の頃に実家にあったnon・noの料理本。
若き日のハハが買ったもので、その中の1頁が美男子の写ったお菓子の広告でした。
(確か…お菓子の広告だったと思います。英国風の出で立ちの美男子が写っていたように記憶しています)
こんなに美しい姿をした男性がこの世にいるのかと驚いたものです。

その男性の名前は草刈正雄さんといいました。



3年前の今頃、この小冊子を買いました。
(私は二十代の記憶が抜け落ちているので18の頃に好んで観ていたNHKの美の壺という美術鑑賞番組の案内人が谷啓さんから草刈正雄さんに代わっていたときは驚きました)

もちろん、❝草刈正雄❞の文字にひかれて購入したのですが、読んでみると彼の人生はヘビーでした…。
母親は日本人で父親はアメリカ兵のいわゆるハーフの方です。
父親は朝鮮戦争で戦死したと母親から聴いていたといいます。
とにかく貧乏で苦労をし、芸能界に入ったのは皿洗いをしていたスナックの親父さんに「正雄は見てくれがいいんだから表に出る仕事をしたらいい」と言われ、後押しまでしてもらったからだそう。
やはり見栄えの良さから若いうちは主役を演じていたのですが、歳を重ねるとそうはいかなくなり仕事はガクンと減ったそうです。
見てくれしかない自分、役者の勉強をしたわけでもない自分、学歴もない自分…
コンプレックスの塊のように書かれていました。
す〜っとカメラが反れていくことに寂しさもあったそうです。
その後、悩みながらも脇役の楽しみを見つけるとコミカルな役が回ってきたり、役者としての幅が広がったそうです。
そんな彼も自分の出ているシーンがまともに見られなかったとのこと。
何故なら「…我ながらヘタだなぁ」と落ち込んで立ち直れないからだそう。
ようやくまともに自分が演じているシーンを見られたのは「真田丸」だったと書かれていました。
…つい最近じゃないか。

この記事は❝60歳を過ぎて、やっと小さな花が咲きました。❞と締めくくられていました。


ところが昨年、草刈さんの人生のヘビーさがグワッと増す事件が起きました。
なんと、朝鮮戦争で死んだと聴かされていた父親がアメリカに帰国し80代まで生きて、しかもけっこう成功を収めていたことがわかってしまったのです。
母親はすべて知っていて正雄さんを一人で育てていたんですね…。
きっかけはNHKの有名人のルーツを掘り下げる番組でした。

この件について今年のはじめにも「アメリカで取材しませんか」とオファーがあり、正雄さんは元気をなくしていたとのこと。
それを見た娘さんが、
「モヤモヤしてるなら行ってきたら」
とアメリカへ父親を押し出したそうです。
昔に死んだと聴いていた父親の墓石の前…
正雄さんのお顔は怖かったです。
「ここに立つ日が来るなんて…」
そのようなことを言いながら、整理のつかない気持ちがお顔に出ていました。
私には静かな怒りに見えました。

その後、アメリカ側の親族と交流をして、日本に帰る頃には笑顔が見えました。

アメリカ側の親族たちは正雄さんの存在を知ってなんと詫びたらいいか悩んだり、正雄さんの出演作を見て予習して正雄さんを知ろうとしていました。
父親の姉が特に胸を痛めていたようでした。


…なんかよくある美談かと思ったのですが、あの墓前の表情がこんなに柔らかくなるなんて…。
私は小冊子で草刈正雄さんが父親は戦死したと本当に思い込んでいたことを知っていたので、他人も大他人なのに墓前の草刈さんを見て泣いていました。

「捨てといてなんだよ、コノヤロー…めちゃくちゃ立派な墓じゃねぇか…
母さん知ってたんだろ、アメリカに帰ったこと」

他人なのに。



もともと苦労人で、その上コンプレックスの塊で、60過ぎるまで自信すら持てなくて…な草刈正雄さんに対して「リスペクト&親近感」があったのですが、親近感なんか感じちゃ失礼な気がしてしまいましたね。
もう、人としての器の大きさが違う、と。

草刈正雄さんいわく、父親役がまわってくると「親父を知らない僕なんかが父親役演じていいのかな?」と不安があったそうです。


いいもダメもないですよね。

これだけ悩んできた人。


先月(?)にこの「NHKアメリカ行き番組」が放送されましたが、私は他人に大泣きしました。


草刈さんのお人柄もあるのでしょうが、時間も大きいのかなと感じました。
草刈さんが年齢を重ねてから、このタイミングだったから、最後のあの柔らかい笑顔が出せたのかもなぁなんて。
ご自身も家庭を持ち、それこそ背中を押してくれるような頼もしいお子さんもいらっしゃる。
父親は知らなくても父親にはなれてみえます。
戦死したと聴いていた父の写真と対面したとき…お顔がよく似ていました。
とても複雑な心中だったに違いないのですが、どこか観念したような表情にも見えました。

おそらく本当に父親を許したのではなく、自分を知ろうとしてくれたアメリカ側の親族を受け入れたんだろうなと思いました。

そして、草刈さん自身の苦しみも。



幼い頃に見た一枚の美男子が写った広告。

遡るとここですが、こんなに他人の人生で泣けてきたり、腹が立ったりするんですね。

私とはヘビーさなんて比べ物にならないし、比べるものでもないのですが。
草刈さんが見せた柔らかい笑顔。
私もいつかは悲しみとか怒りとか憎しみとか、ちゃんと受け入れて、ある意味観念して、あんな風に柔らかく笑えるのかな。
その頃にはやっぱりシニア世代に足突っ込んじゃってるかな。


滅多にリアルタイムでテレビなんて見ないのですが、見てよかったです。


「自分を許す」

そんな瞬間を見た気がしました。


いやぁ、40年前の広告からはこんな草刈正雄さん想像していませんでした。

そして、自分が広告に写る美男子の生い立ちに泣いたり怒ったりする日が来るとは思っていませんでした。



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