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読書日記その552 「陸奥宗光 日本外交の祖の生涯」

陸奥宗光の出身は紀州和歌山。幕末明治維新の中心が薩長土肥のなかで、紀州藩出身の陸奥は異端な存在だったにちがいない。それは海援隊での陸奥は、ほかの隊士から嫌われる存在だったことからもわかる。まぁ、陸奥の性格も多分にあるのだろうけど。

しかし坂本龍馬だけが陸奥の才能を見抜き、自分の右腕として抜擢する。これが陸奥の人生での最大のターニングポイントとなるのだ。まずは陸奥の存在が龍馬の目にとまることがなかったら、彼の人生は平凡なものとなったのではなかろうか。

とにかく陸奥は上昇志向がだれよりも強い。自らの考えを意見書にしたため、上の者に臆することなく改革の必要性と自分の登用を訴える。これは陸奥の人生で何度も見られる。龍馬をはじめ、明治に入ってからは岩倉具視や大隈重信らにも意見書を提出し、自分の存在感を示すのである。

これは海援隊時代に、隊士の多くが土佐藩士だった環境が影響しているのだろうか。海援隊のなかで紀州藩士は陸奥ひとり。言ってみれば外様だ。とにかく存在感を示さねばその他大勢に埋もれるか、もしくははじかれるしかない。

つぎの大きなターニングポイントは、同志ともいえる伊藤博文との出会いだ。ふたりは幕末から面識があったようだが、交友関係が深くなったのは明治に入ってからのようだ。

そして伊藤が2度目の首相のときに、陸奥は外務大臣を務めることになる。この伊藤首相・陸奥外相のコンビで、不平等条約の改正と日清戦争にあたるのだ。やはりここでも伊藤との親交がなければ、陸奥は「日本外交の祖」とよばれることはなかったことになる。

このように、陸奥にとって坂本龍馬と伊藤博文との出会いが、彼の人生を大きく左右したことがうかがえる。ボクはどうだったろうか。う〜ん、元来、人嫌いで単独行動が好きな性分なため、人との出会いで語れるものがないんだな。

しいていえば、ボクに菓子作りを教えてくれた修行先の師匠。師匠との出会いがあったからこそ、自分のお店がつくれたというものだ。とりわけ若いときの「人との出会い」は大事で、そのときはわからなくても過ぎてからターニングポイントだったことに気づくんだな。

さて、その不平等条約の改正だが、陸奥が英国外相らを相手に、得意の英語と策略を駆使して改正に成功した、というイメージがある。少なくともボクは陸奥ひとりの手腕によるものという勝手なイメージがなんとなくあった。

ところがだ。日本はすでに近代国家となっている。条約改正だけでなく、日清戦争、三国干渉、対露交渉など、このときの日本は外交問題を数多く取り扱っていた。とても陸奥ひとつの力で処理できるものではない。

どうやら直接英国と交渉したのは陸奥ではなく、駐独公使(臨時で駐英公使を兼任)の青木周蔵だそう。そして陸奥はというと、国内の調整に奔走することになる。

それまでの日本は、英国と少しずつ慎重に交渉を積み重ねてきた経緯がある。そこで陸奥は、ここで一気に「対等」の条約を結ぼうと主張するのだ。反伊藤内閣は当然反対。交渉担当の青木ですら、英国は賛成しないだろうと考えたようだ。

しかし陸奥は伊藤や井上馨、山県有朋ら有力者に調整をはかり、ついに「対等」が原則という政府の方針が決定され、英国の意向を探りながら交渉をおこなうこととなる。

その間、政府は揉めに揉めるのだが、陸奥はその難関を突破する。陸奥は、なぜ満足な結果がえられないかと過去を振りかえるのではなく、われわれの目指すべきものは「対等」、と言い切るのだ。過去ではなく未来へ目を向け、ゴールをしめして言い切る。この言い切ることが大事なんだな。すばらしいリーダーシップではないか。

このときの伊藤内閣もまた強固で、よく統制されていたという。まさに伊藤と陸奥は相思相愛の仲。そしてふたりは政治家としてもっとも脂の乗った時期に、首相と外相というお互いがもっとも力を発揮できるかたちとなって、悲願の条約改正を達成することとなる。機運とタイミングが合致したときの陸奥の突破力は、苦労しただけあって質実剛健そのものだ。

陸奥宗光。彼の人生はもともと後ろ盾がないところから始まっている。そのため、若き日の陸奥には、現状の不満や焦りが常にあったようだ。いつも公平な人材登用と能力主義を訴えている。

そしていったんへそを曲げるとすべてを投げ出してしまうが、ハマれば人並み以上のエネルギーと上昇志向で突き進む。きっと身内にいるといろいろ面倒くさいが、困ったときは頼りになるようなタイプの人物と、ボクは想像する。

晩年の陸奥は病床で坂本龍馬について、以下のように論じている。

「坂本は近代史上の一大傑物にして、某融通変化の才に富める、某識見議論の高き、某他人を誘説感得する能に富める、同時の人、能く彼の右に出るものあらざりき。~ 中略 〜 一方においては薩長土の間にわだかまりたる恩怨を融解せしめて 〜 中略 〜 無血の革命を遂げんと企てぬ」

本文中にある坂本龍馬の人物像は、現代に伝わる龍馬像とそう変わらない。ドラマや小説などで多少誇張はあるかもしれないが、実際の坂本龍馬も大人物であったことがうかがえる。きっと病床の陸奥は、大恩人である龍馬と歩んだ幕末に思いを馳せたのだろう。



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