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映画日記その309 「ゴジラ−1.0」

『ゴジラ』シリーズの70周年記念作品で、『ALWAYS 三丁目の夕日』『STAND BY ME ドラえもん』シリーズなどの山崎貴が監督、脚本、VFXを担当するパニックムービー。戦後、焼け野原となった日本にゴジラが現れ、戦争の惨禍を生き抜いた主人公らに襲い掛かる。NHKの連続テレビ小説「らんまん」などの神木隆之介と浜辺美波が主人公とヒロインを演じ、山田裕貴や安藤サクラ、佐々木蔵之介などが共演する。

シネマトゥデイ

【ネタバレあり】

ボクは正直ゴジラ世代ではない。「シン・ゴジラ」を鑑賞したとき、ボクはそれほどおもしろいとは感じなかった。それはゴジラ世代ではないため、きっとゴジラに思い入れがないことが原因なのではと思っていた。そのため本作は当初鑑賞する気はなかった。

しかしどうしたことか、国内はおろか海外でも大ヒットを記録しているということで、しょうがねえ、どんなもんか観てやろうかと、謎の上から目線で重い腰を上げて劇場へと足を運んだ。

もとより観る気のない映画だったので、なんの予備知識もなく見始めた。お、特攻じゃないかッ。舞台は戦時中かよ。これはもしかしてボク好みではないか? と思ったのもつかの間、いきなりゴジラが登場。それがなに、1998年に上映されたハリウッド版のゴジラ、つまりあの爬虫類のゴジラではないか。

ヤバい……これは期待できないぞ……。冒頭から気持ちがつまづいた。ゴジラは去り、そこから敷島浩一(神木隆之介)と大石典子(浜辺美波)の人間ドラマが始まる。おそらくゴジラマニアからしたらこの人間ドラマの部分は長いと感じるのかもしれないが、ボクはけっこう好き。気持ちが少し持ち直す。

そして戦後復興のさなか、再度ゴジラが登場。しかも大きく成長しての登場だ。いやこれがおどろく。スゴい迫力ではないかッ。被爆して大きくなったゴジラはそう、あの往年のゴジラである。ここから俄然おもしろくなる。

日本列島に上陸し、銀座を荒らしまくるゴジラ。そのあまりのド迫力にボクは息を呑む。そして館内に鳴りひびくあのゴジラのテーマが恐怖をあおっていく。さらにゴジラの背ビレは光りだし、口から吐き出した放射熱線が対象物に当たったつぎの瞬間、一瞬の静けさとともにまさにあの原爆のキノコ雲があがるのだ。もはや声もでない。あ、いや館内、声出しちゃいかんけどね。

立ちのぼる黒煙が銀座の空を塗りつぶしていく。その真っ黒い空の下にそびえ立つゴジラ。まるで日本列島すべてが破壊されたかのような絶望に叩きのめされる。被爆して巨大化したゴジラはいわば人間が作り出したようなもの。そしてそのゴジラの吐く放射熱線は原子爆弾そのものを彷彿させる。

これらのシーンは、人類が作り出した兵器によって、同じ人類が殺傷されるという戦争の愚かさを訴えてるようにも思える。いや、スゴいぞこの迫力は。まさにこれぞ破壊神ゴジラ。ゴジラ史上最強といわれるのもうなずける。

まあここで細かいことをいえば、人がごった返していて大混乱の銀座で、敷島がいきなりピンポイントで典子を見つけ出すのには「いや、それはないだろッ」って思わずツッコんだが、いいの、いいの。それを凌駕するほどの迫力とおもしろさがあるのだから。

さあここからだ。太平洋戦争では特攻から逃げ、大戸島ではゴジラにビビったせいで戦友を失った敷島。まだ自分の中の戦争は終わっていない、ここで己にケリをつけるのだと、ゴジラへの特攻を決意する。

「ゴジラは刺し違えても、必ず仕留めます」

敷島浩一

そこで思ったのは、今の時代、特攻のような自己犠牲は流行らないのだが、え、マジで特攻するの?? ボクは昭和の人間なので、子どものころから特攻のような自己犠牲のマンガやアニメを普通に観てきた。そして主人公やサブが自己犠牲によって死ぬことに感動したものだ。

しかし時代はシフトして、今は「生きる」ことが重要でそこに感動が生まれる。本作でも「生きる」という言葉が合言葉のように連呼される。典子と学者(吉岡秀隆)の言葉だ。

「生き残った人間はきちんと生きていくべきです」

大石典子

「思えばこの国は命を粗末にしすぎてきました」
「今度の戦いは、死ぬ為の戦いじゃない… 未来を生きるための戦いなんです!」

野田健二学者

典子は敷島に「生きる」ことの大切さを訴え、学者は作戦会議で「未来を生きるための戦い」と言いきる。やはり敷島は特攻しないのだろうか、どうするんだろ。

と思った矢先に、今度は神海(わだつみ)作戦決行にむけて秋津晴治(佐々木蔵之介)がポツリと言う。

「この国はお前たちに任せたぞ」

秋津晴治

死を覚悟した言葉だ。おいおい、一体どうなるんだよッ。お前たちは死ぬのかよ、それとも生きるのかよッ。

ただここで冷静に考えてみる。本作が上映されてからもうかなり月日が経っている。特攻のような自己犠牲で終われば賛否両論、いや、批判の意見が多くなるのではないか。後味が悪いだのなんだのって。しかしそんな話は聞かない。

その間にも敷島は特攻めっちゃやる気マンマンではないか。ああ……この映画、いったいどのようにして着地するんだろ。そればかり気にしながら海神作戦が進むにつれ、ボクの身体と気持ちはどんどん前のめりになってゆく。そのうしろで流れるゴジラのテーマが銀座のときの恐怖から、いつしか勇気と希望のテーマへと変わるのである。

そして海神作戦も大詰め。ゴジラは亡骸となって海底から引き上げれるはず……が……ああッ、ゴジラが……う、動く……海神作戦、失敗かッッ! と思った瞬間、館内は静けさに包まれる。

な、なんだッ、この無音状態はッ、ま、ま、ま、まさかッッッ、し、し・き・し・まぁぁぁーーーーーッ!!

あの静かな無音状態……本当はおそらくたいした時間ではないはず。ほんの数秒だろう。しかしボクにはとてつもなく長く感じられた。涙がつぎつぎと溢れ出てくるのだ。もうね、嗚咽を我慢するのに精いっぱい。

と、あまりネタバレすぎるのも良くないのでここまでにする。でも最後は「特攻」という非常にデリケートなテーマをうまくまとめ上げたと思う。

そして大ヒットしてる海外にも、これぞ日本のゴジラだと知らしめたのではないか。うん、よかったッ。そして本作ほど劇場で観てよかったと思える作品はなかなかないんじゃなかろうか、うん。

…………

ついでながら、ボクはカラー版とモノクロ版の2作を鑑賞した。そこで気付いたのは、神木隆之介さんはモノクロ版よりカラー版のほうがめっちゃ映える。おそらく顔立ちや話し方が今風だからだろうか。

いっぽう浜辺美波さんはというと、意外にもカラー版よりモノクロ版のほうが良かった。なんでだろ。お化粧や髪型が昭和だからか? いやそれだけではないような気がするが。雰囲気がめっちゃ昭和に合うのだ。ま、ボク個人的な好みの問題もあるだろうけどね。





カラー版
モノクロ版



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