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読書日記その549 「明治維新の正体」

本書は表紙に徳川慶喜の写真が使用されているように、どちらかというと徳川幕府寄りの内容だ。世の小説やドラマはどうしても勝者である薩長寄りのものが多いなかで、本書の内容はとても興味ぶかい。

著者は、幕府が条約をむすんで開国したことによって、日本の独立と平和が守られたという。確かにそうである。日本と列強との力の差は歴然で、ここで突っぱねていたら戦争となり、アヘン・アロー戦争での清国と同様にボロボロにされ、最悪完全に植民地とされていた可能性が十分あるからだ。

幕府の開国案は、すでに黒船来航のときから阿部正弘によって決まられた基本路線だ。ところがそこで朝廷が異をとなえる。孝明天皇が極度の異国人嫌いだったからである。尊王思想をもつ水戸藩もとうぜん朝廷に同調して攘夷をとなえる。

思うに幕末の混乱は、安政の大獄や長州の決起もあるのだが、そもそも孝明天皇の異国人嫌いが元凶ではないか。このときの世界情勢からして開国はまぬがれない。しかし朝廷は孝明天皇の意思によって首を縦に振らない。

この板ばさみによって苦悩する井伊直弼が選んだのは、朝廷に無断で条約に調印し、開国することだった。それに激怒した孝明天皇は、水戸藩に幕府を糾弾するよう勅命をくだす。ここから尊王攘夷、そして討幕運動が活発になり、井伊は暗殺される。

現代の「老害」の図式にも似ている。孝明天皇はけっして老人ではないが、鎖国という考えは時代錯誤もはなはだしい。なにしろ世界は大きく変化しているのだ。権力をもちながらその変化についていけない、にもかかわらず周囲の状況より個人の我を通す。井の中の蛙とはこのことではないか。この時代、とかく幕府は愚かだと言われがちだが、ボクはそうとも言えないように思う。

また、ボクにはいまだに判断が定まらないことがある。それは徳川慶喜の評価だ。薩長が主役のドラマでは、えてして慶喜は暗君のように描かれる。はたして本当にそうなのか。ボクにはずっとそんな思いがあった。

本書では、もはや徳川だけでは政権を掌握できないと慶喜は認識する。いや、これだけでも立派ではないか。そして慶喜は大政奉還をすることによってイギリス型の議会をとりいれ、水戸尊王論である「万民平等の思想」のもとでの日本近代化を成そうとした、とある。

そのために慶喜は、孝明天皇をはじめとする朝廷を説得し、条約の勅許を獲得。また、これは井伊が大老のときからではあるが、遣米使節団などを派遣して欧米の政治体制を研鑽。そしてこれからは「議会の時代」だと考え、大政奉還によって自ら徳川幕府を葬り、新政治体制をつくろうとしたという。

いやはや、すばらしいではないかッ。って、いや、これって、薩長や岩倉具視と同じ考えじゃね? てことは、このときの幕府と薩長の向いてる方向は同じだったってことになるではないかッ。

と思うが、ここから慶喜の理想は一気に覆される。岩倉や西郷隆盛らの武力討幕派によって、慶喜はハシゴをはずされるのだ。岩倉によるニセモノの「討幕の密勅」、小御所会議では西郷による慶喜擁護派へのどう喝。「短刀一本あればこと足りもんそう」は有名だ(史実の言葉かどうかはしらんけど…)。

慶喜が京から大坂へ移ったのは、自分が京にいては戦争になる、戦争だけは回避したいという一心。大坂から江戸へ移ったのは、戦争が始まってしまった以上、恭順をしめすしかないと。

このあたりが慶喜の評価を惑わせるところなんだな。そして本書の慶喜に対する評価としては、「国家万民のために渾身の力を尽くし、成すべきことを成し遂げたが、報われることなく静かに舞台を去る清々たる為政者」とある。

幕末期の徳川幕府、そして慶喜を愚鈍として描かれることが多いなか、徳川をたてて擁護する本書を読むことは、またちがう視点からの史観に触れることになるため、自分の視野や考察もひろがる意味で、うん、とてもよかった。歴史ってじつにおもしろいッ。

…………

ついでながら、慶喜のハシゴはずしや、ニセモノの密勅、ニセモノの錦の御旗などはすべて岩倉具視が関わっているが、その岩倉のウラには英国が絡んでいるのでは、とド素人ながら想像するのだが、どうなんだろ。



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