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あの、素晴らしく、卑しく、崇高で、下らなく、美しいもの

村上春樹的あるいは平野啓一郎的、フランス的あるいはロシア的、と感じるものに共通しているものは何だろうと考えていて、ふと、"それ"の存在なんじゃないかと気付いた。

それ。
この上なく優しく冷徹で甘く美しいもの。
掛け替えのない、何処にでもある唯一無二でありきたりなもの。
崇高で下劣で魅力的でつまらないもの。

それ、なんて無いのかもしれない。
ただの言葉遊びだと気付いた人は、卒業して忘れていくのだろう。
それ、が分からないのに、何かありそうだと思い込み、どうにかして明文化してやろうと思い詰めた私は、心の隅に巣食わせたまま囚われている。

……どうも、言葉に頼りすぎているようだ。

言語化なんてしなくても、指で机を叩き、チェスもシャボン玉液も押しのけるワニのゲーナ様子を見れば“解る”。解りすぎるくらい解る。痛い。
だからむしろ、これは孤独とか、寂しいとか、そんな言葉では言い表せない。泣きたいような、笑い出したいような、暴れだしたいような、空を飛びたいような……そんな気持ち?否が応でも詩的にならざるを得ない。

チェブラーシカをロシア語で見ると、会話の内容は分からないのにストーリーはわかる。そのことになんの不思議も感じなくて感動した。
ほんとうは、気持ちの理解に言語なんて必要ないんだ。
逆にロシア語を日本語に変換して理解しようとすると、たちまち難しくなる。言葉なしで見ればこんなに簡単なのに。

ロシア文学が難解なのは、そのせいだ。
日本語にしようとしたら、いちいち多義語すぎるのだ。(私が彼にもなるらしい。……まぁ、彼と私にさしたる差はないのかもしれない。)
たがら、直訳なんてできないし、無数の解釈ができるから誤訳が頻出する。
結局訳が分からなくなって放り出して、もういいから演劇を見に行こう!と言いたくなる。

……やっぱり、言葉に囚われすぎている。

もうとにかく現地に演劇を見に行くしかない!
そして言葉なんて忘れてやる。

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