選択肢を殺すということ
ねぇ、シンデレラ、あなたは「王子様」と結婚して幸せだった?
王やお后はあなたを歓迎したかしら?
お城の人々はあなたを受け入れたかしら?
民はあなたを認めたかしら?
そもそも、あなたは王子を愛していたの?
他に愛する人はいなかったの?
...あなたが、幸せだったのならいいのだけれど。
少女漫画やお伽話では愛する人との結婚がゴールだけれど、これって結構な危険思想、あるいは詐欺だと思う。
そりゃ素敵で魅力的な結末だけど、だからこそ。
今でこそ恋愛結婚がスタンダードなように見えるけれど、その歴史は浅い。恋愛結婚が幸せになる最適解なのかどうかの検証は十分ではない。
というかたぶん違う。かなしいかな、周りを見れはそう思わずにはいられない状況ばっかりだ。
愛する人の愛を手に入れて結婚することがゴール、という刷り込みは、大学受験や就活を人生で1番頑張る時期かのように思わせるのと同じだ。その状態になるための努力より、そうなった後のほうが重要だしもっと大変なはず。
20世紀以前で女性が主人公の西洋の物語や伝記は、結婚からスタートするのも多い。
フランス社交界では既婚者同士の恋愛はOKだったなんて噂もあるし、結婚してからが人生という感覚なのかもしれない。極端に言えば、結婚して生家をでて初めて人間として認められるとでもいうのか。
あるいは結婚するまでより、してからのほうがいろいろありすぎるのか。(恋愛も、結婚してから知るあるいは楽しむことだったとかなんとか)
もともと、婚姻は、女が生きる場所をつくるための行為だったのだろう。
定住と、定職と、定婚は本質的には同じものだ。人間が生存場所を確保するためのもの。
今は、それがなくても生きられるようになった――というよりも、選べたかもしれない無数の選択肢が常に見え、そして望めばすぐに手に入りそうに見えてしまうだけなのだろう。
それは決して幸福な状態であるわけではない。
女の子はきっと、
待っても待っても帰ってこないあの人とか、
愛しても愛しても冷たいあの人とか、
息子を騙したとか、息子に相応しくないと睨む姑とか、
愛を追いかけてたどり着くそんな場所よりも、
あったかもしれない無数の選択肢にそっと目を閉じて、果てない欲望の呼び声に気付かないフリをして、
手放しで愛され、
有り難がられ、
存在を望まれ、
大切にされる場所にいるほうがいいのだ。
それを、あなたが、幸せと呼ぶかは、私には、分からないけれど。
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