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【"大衆社会"が、"個人"に教えない不都合な真実②】 マジョリティ(みんな)とサイレントマジョリティー(大衆)の矛盾

"多数派として声を上げる者は、声を上げたことにより、すでに少数派になっている。"

point①「みんな」と「大衆」の意思は違う。

世直し系のテレビ番組があったとします。
とっても人気で最高視聴率が30%だったそうです。
さあこれで、世の中は変わるか!?

残念ながら、変わりません。
なぜか?
答えは簡単、残りの7割は見ていないからです。
選挙をしたら当然3割の意見は大敗します。

同様に、ミリオンセラーや100万いいね!でも影響度合いは、全国民の1%。
残りの99%は、全然「いいね」と思っていないか、そもそも知らない。

●流行すると、あたかも「みんな」がそれを評価・賛成していると思い込みがちだが、実はそれは限定的な地域や、特定の年齢層だけのものだったりする。
全国民で選挙すれば、流行の多くが実は局所的な盛り上がり--マイノリティであることが明らかになるだろう。
※もはや「選挙に行く」ことのほうがマイノリティになりつつあるなかでは、投票結果が意味のある結果になるかは不明だが。

(…そういえば、視聴率30%台で話題になるマスコミは、果たしてmassなcommunicationあるいは、massなmediaなのでしょうか)

point②「個人」と「大衆」の意思は違う

仕事しんどい。だるい。働きたくない。休みたーい。
そう言いながら、なんだかんだ毎日きちんと出勤して真面目に働いていませんか?
組織や上司への愚痴を日々喚き散らしておきながら、
職場アンケート(記名式)みたいなのがあると、「まぁまぁOK、特になし」みたいな回答していませんか?

つまり、
●個人同士での常識:労働は大変で辛いもの、組織と上司はムカつくもの。退職の根本原因は人間関係。
●エビデンスに基づいた大衆の実情:日本人は勤勉でよく働くし、文句を言うことは少なく従順で我慢強く、組織の人間関係は非常に良い。

なんと、全くの逆の事象を表しています。
中身は同じなのにね。

相手にするのは、「個人」か「みんな」か「大衆」か?それが問題だ!

民衆とは大量の人間あるいは大群になりたがる人間を指す言葉である。

つまり、悲しいことに、いかに「地元出身!民衆に寄り添う!民衆のために!」という政治家がいたところで、世の中を変えようと立ち上がり政治の道へ進む志の高い人は、その時点で「民衆」ではなく、そしてそれゆえ「民衆」のことが分かるはずのないロジックになっている。

「民衆」が、なぜこんなにも、従順なくせに反抗的で、怠惰なくせに律儀で、自己中心的で忘れっぽくて、改革を求めるくせに変化を拒むのか、「民衆」でない者からすれば一貫性もなくはちゃめちゃな存在すぎて、全く理解ができないかもしれない。

統治者は、統治者である限り、非統治者とは「違う」のである。統治者が良い!と思うことが、非統治者にとって良いことなのかどうかは分からない。そしてそもそも、上述の通り、民衆にとっての「良い」と、皆にとっての「良い」と、個人にとっての「良い」はしばしば正反対のことを指すのだから、正しいことなんてどこにも存在しない。

特定の誰かを想うか、周囲のことを想うか、全体のことを想うかで、何をやるべきかが90°か180°変わってくるのだ。

自戒を込めて  ほかる

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