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ミッドナイトスワン 凪沙編

こんばんは、SMAPが大好きなまっすーです。

今日は草彅剛主演映画「ミッドナイトスワン」の感想を書いてみようと思います。
去年の10月頃に見ましたが、なかなか書きたいことがまとまらず、今に至ります。

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【あらすじ(冒頭のみ)と私のテンション】

舞台で、バレエを踊っている女性たち。
その中に、、いた!
草彅剛(つよぽん)だ!
そこには、いつも知ってるつよぽんではなく、品と知性を兼ね備えた女性がいた。
どことなく視線まで色気を感じる。
つよぽんの豹変ぶりすごいな!!

主人公(草彅剛)の名前は凪沙。
彼/彼女はトランスジェンダーだった。

正直、
そこからは、
草彅剛としてではなく、凪沙としてしか見えなくなり、話にのめり込んでしまった。

凪沙は、至って普通に生活していた。
トランスジェンダーとして同じ生き方をする仲間とバレエダンサーとしてショーパブ舞台で踊る日々。
周りの偏見もある中、
これが自分の生き方だと、
それなりに穏やかに過ごしていた。

ところがある日、親戚の子どもを預かることになった。
凪沙は嫌悪した。
その子の名は一果。親から育児放棄され孤独に生きた少女だった。
「あんた、ここに住みたいならこれとこれやりなさい」
凪沙の冷たい言葉にも無言の一果。
ただ一果の目から威嚇と反抗と、諦めの感情が感じ取れた。
気味が悪いー。凪沙は思った。

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【映画の感想〜凪沙編〜】


この作品は終始重い作品だ。
世の中の生きづらさが痛烈に描かれていて、
観ているこちらか息苦しい。


凪沙が「なんで私だけ」と言って言葉詰まるシーンがあるのだが、そこから、溢れんばかりの凪沙の感情が伝わってきた。
生きていくのはここまで辛くて、理不尽なのかと思った。
世間はトランスジェンダーというだけで見下すか排除するか無視するか。そういう空気感は言葉に発さなくても嫌でも伝わってくる。
違和感を周りに察知されないように、生きる知恵だけがついてくる。
でもどれだけ努力したって認めてもらえない。
自分の存在を、生き方を、、
ただ認めてほしいだけなのに、、
叶わない願いに、もがき苦しみ、我が人生を呪い、、、
凪沙は、死ぬほど苦しい思いを抱えて生きているのだ。

凪沙の報われない想い、
つらい過去。
それでも自分らしく強く生きようとした。
でも、そうやって生きるのは辛くはなかったか?

そんな時、一果と出会って愛が芽生えた。
自分の生き方を全て投げ出せるくらいに、
一果を愛した。



映画のラストで、
凪沙が一果にバレエを踊って欲しいとせがみ、
一果が凪沙のために砂浜でバレエを踊るシーンがある。
空は晴天でもない、曇りでもない。うっすらと雲が散りばめられていた。
その中で、一果が強く、しなやかに踊っている。


そこで発せられる凪沙の
「綺麗」
という言葉。

スクリーンいっぱいの情景を見て、私も綺麗だと思った。
空と砂浜と一果の踊りは非現実的な美しさをもって、私の目に焼き付けられた。
重い題材のストーリーの中で、このシーンの美しさが際立って見えた。



人は、この世のものとは思えないほど綺麗なものを見た時、感動を通り越して、恐怖を感じるという。

だか、凪沙の心はもっと違う次元にいたように思う。



いろんな感情が混ざり合い、打ち消し合いー。




最後に凪沙の心に残ったものが空(くう)ではないかと思う。そこには心踊る喜びも無ければ、深い悲しみもない。
心の集大成として、凪沙の心はただただ穏やかであったのだと思う。







ここまで、感情を揺さぶられる作品に出会ったのは久しぶりだ。
一生に一度は観る価値のある作品。