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ボストンで勉強したこと 3

マクロビオティックで慢性腎炎の症状が劇的に改善された夫は、ボストンの久司インスティチュートで学べる東洋医学・観相学・ヨガ、すべて熱心に取り組んでいました。それはもはや信者レベルだったと思います。いや、マクロビオティックは親世代が心配したような新興宗教のたぐいでは決してありませんでしたが、命を救われるところまで行っていないわたしは、夫よりは冷静な立ち位置で、すべてを俯瞰していた気がします。

ボストンに行く前、夫に誘われて関西のマクロビオティックのお店に行ったことがありました。見たことがないくらいの質と量の自然食品が置いてあって、どれもおいしそうでしたが、お値段は高めでした。あ〜貧乏だったら こういうものは買えないかもなあと店内をぶらぶらしていたらスタッフの女性に「ねえ あなた」と話しかけられ振り向くと「ものすごく陰性な顔だね。体調悪いんじゃない?」と言われびびりました。いや今なら「は?初対面なのに失礼じゃないですか!」くらい言い返せたのでしょうが(いや やっぱ今でも言い返せないかも)当時は世間知らずのお嬢ちゃんでしたから、びびりまくったのち猛烈な怒りが込み上げて、帰り道「悪いけど、わたし マクロビオティックの人って苦手だわ」と婚約者だった夫に言いました。

夫も、さすがに「あれは、ないよな」とは言いましたが「でもきみ、基本 体調悪いよね?言われたことは、当たっていたとも言えない?」と言われてしまいました。え… え〜?

まあ、そうなんです。わたしは母親が少々ミュンヒハウゼンなんとかに近い人で、幼いころから風邪気味だと市販薬を多めに飲まされ、熱が出やすいと言っては扁桃腺の除去手術を受けさせられ、顔色が悪いからといろいろな錠剤をあれこれ試され、常に何かの薬を飲んでいる状態で、いつもくちびるが上半分痺れているような子でした。

そして、背は平均以上に高かったのですが、全然太れなくて、太ろうと思って朝ごはんにケーキを二個食べて胃を壊す、みたいな今思うとぞっとするような食生活をしていました。

だからまあ、確かに体調は悪かったんです。

問題は、言い方じゃないですか?マクロビオティックの人って、すぐ人のことを陰性とか陽性って決めつけて、陰性と言う時は、たいてい否定的な意味合いなんです。今で言う「ディスる」に近いイメージ?だから日本にいた時は、マクロビオティックの人に対するイメージは、かなり悪かったです。

ボストンは、どうだったかというと、やはり陰性・陽性は、しばしば話題になりましたが、主に久司インスティチュートにおける、いろいろな授業の中で語られる言葉なので、面と向かって個人攻撃のようなニュアンスで言われて気分を害するようなことは、まったくありませんでした。文脈って大事ですよね。そして英語では陰性がYIN(イン)陽性がYAN(ヤン)です。日本語だと人から「陰性だねえ」と言われたら、なんだか「陰気だねえ」とか「暗いねえ」と言われた気分になりませんか?やはり日本語には、言霊が 濃厚に宿っているのだと思います。

夫は、そのうち資格を取って、講師にでもなれるんじゃないかというくらい熱心に授業を受けていましたが、そこまで熱意のないわたしは、スタディハウスで仲良くなったデンマーク人のヒッピーのおねえさんとベイキングクラスという、オーブンを使うマクロビオティック料理を習ったりしていました。それはむちゃくちゃ楽しかったです。日本にいた頃は、オーブンを使う料理なんて、ハードル高そうだし、どこか凝っためんどくさいイメージでしたが、アメリカでのオーブンの使われ方は実にシンプルというか、なんでもかんでも天板に並べて突っ込んで焼くに近い感じで、これなら日本に帰っても簡単に真似できそうと思えました。

だから、わたしがボストンで一番勉強になったのは、オーブンを使ったマクロビオティック料理のいろいろでした。実際、帰国後その経験はとっても 役に立ちました。

夫が一番楽しみにしていたのは、久司さんの授業で、その時は受講する生徒数も多くて教室は独特の雰囲気と熱気に包まれました。 

最初にも言いましたが、ボストンでは久司さんはカリスマ的な存在で、欧米人の若者から見ると、本当にミステリアスで、近寄りがたい存在だったようです。いつも黒っぽいスーツをスマートに着こなして、とてもわかりやすい英語でゆっくりと丁寧に話されるのです。

わたしも久司さんの授業に参加したことがあるのですが、その時、久司さんに直接かけられた言葉は一生忘れがたいものになりました。

授業のタイトルがなんだったかは忘れたのですが、前列に居並ぶ生徒に、久司さんが順番に目を向け、一人一人に、一つの英単語を発し、その意味を 説明せよという内容でした。わたしはその日、たまたま前列に座っていたので、絶対あてられるなと冷や汗をかいて、緊張で心臓が口から飛び出そうでした。久司さんは、わたしの番になると、いつもの静かな声「arrogance とは 何ですか?」と聞きました。わたしは全然知らない単語だったので「アロガンス?アロガンス?え?え?なんだろう…」と焦っていたら、生徒たちが早く答えなさいよみたいな感じで、ざわついたのです。わたしは、もうテンパってしまって日本語で「すみません…わかりません」と言いました。すると久司さんは「消極的であることは負のアロガンスですよ」と言って次の人に移っていきました。

わたしは何がなんだかわからないまま、少し悲しい気持ちでスタディハウスに戻り、英和辞典を引きました「arrogance 傲慢」とありました。

その訳を目にした瞬間、心臓を射抜かれたような気分になり、ひどく落ち込んだことを今でもありありと思い出すことができます。

わたしは、欧米人が久司さんのことをミステリアスに思いすぎるんじゃないか、日本人同士なら別に普通の人に見えるけどなと無意識に上から目線で ボストンのマクロビオティックの人々を見下ろしていたのかもしれません。それは、今なら恥ずかしいくらい、そうだったな…とわかってしまうのですけれど…

ここの人たちには、玄米菜食も珍しいことだろうけど、そんなの日本じゃ 珍しくもなんともない、ごくごく普通の一昔前の食事だよ?的な…

久司さんには、そういうわたしの心のありようまで、見えていたんじゃないでしょうか。

あの時は、自分の性格の中に傲慢さは一番ないくらいのものだと思っていました。わたしは、ごく気が弱く、人前に出るのも苦手で、人付き合いも下手、ディベートなんかとんでもない内気で消極的な目立つのが大嫌いな人間でした。でも久司さんは、そんなわたしの中に「負の傲慢さ」を見つけたんだと思うのです。そして、ずばりと大勢の前でそのことを指摘することで、わたしに荒療治をしてくれたのではないでしょうか。

その後の人生で、なにかあるたび、わたしの中に「負のアロガンス」という言葉が蘇ります。

それはもう、悲しい恥ずかしい思い出としてではなく、縁あって出会った 久司さんから直接かけられた、あたたかい言葉として、なつかしく蘇ってくるのです。 


写真は、仲良くしてくれてたデンマーク人のヒッピーカップルで、横に立ってる脚が露出しすぎの日本人男性が若き日の夫です。1980年頃って男性もこんな短いショートパンツをはいてたんだなあと、しみじみ時代を感じます。




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