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「政治に関する声を上げる」ということ

X(Twitter)で、

政治に関するポストもしますので、注意してください

とプロフィールに書いている人がいました。
こういう文章、見たことがある人もいるのではないでしょうか。
僕は正直、悲しかったです。
どうして政治に関する表現があることに注意を促さなければならないのか。
政治に関することを目にしたくない人もいると思います。
でも、それは他のどんな事柄についても同じはず。
それを「政治に関する」表現について「注意してください」とするのは、その表現が避けられている風潮があるからではないでしょうか。
でも、僕は政治についての表現に注意を促す必要はないと思うし、政治に関する表現にふれる機会が増えたらいいな、と思っています。

*

時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?
国会議員に聞いてみた。

和田靜香 取材協力 小川淳也

読みました。
面白かったです。
選挙、コロナ、税金、ベーシックインカム、移民、環境、エネルギー、原発、沖縄基地。
いろんなトピックがとても分かりやすく書かれています。
どれも気になるポイントがあったのですが、ここでは個人的に特に気になった「女性、結婚、キャリア」と、「2021年の東京オリンピック」について書きたいと思います。

女性、結婚、キャリア

「『結婚さえすれば』という発想は、それこそ社会の『構造』には目を閉じ、閉じられた市場(どれだけ自分を高値で売れるか)の中で自分がどれだけうまみを得るかというあがきの中に己を閉じ込めていくだろう。

『ぼそぼそ声にフェミニズム』栗田隆子/作品社より引用されていた部分

『「女性は結婚すればなんとかなる」幻想は日本を長く覆っている』という和田さんの言葉もありましたが、確かにこの幻想はあると思います。
結婚して、女性が家事をし、男性が外でお金を稼ぐのが当たり前。
それを「古い考えだと思う」人は多いと思いますが、実態はどうでしょうか。
『2040年には単身世帯が全体の4割を占めると言われ』、ともあります。
単身世帯が増加するということは、そのままですが、女性も男性も「一人で暮らす人」が増えるということです。
一人で暮らしていくということは、「家事も仕事も自分でやる」ということです。
そういう人が、女性も男性も増える。
その具体的なイメージができる人って意外と少ない気がします。
「女性は結婚すればなんとかなる」は幻想であり、では今の日本は、単身の女性が暮らしやすい、働きやすい社会なのか。
また、結婚後についてもどうなのか。
ライフシフト2には、「キャリア+キャリア」という言葉があります。
パートナーとの関係で、
「キャリア+ジョブ」(一人がキャリアを追求、もう一人は単なる生計の手段としての職に就く)や、
「キャリア+ケアラー」(一人がキャリアを追求、もう一人が家族のケアに専念する)ではなく、
二人ともがキャリアを追求していくという関係を「キャリア+キャリア」と言います。
パートナーと「キャリア+キャリア」という関係性を実現できる社会であるといいな、と思います。

2021年の東京オリンピック

80年代以降のオリンピックの拝金主義、開発主義に決別する一石を投じるなら、ギリギリ意義を見出せなくもないですね。
しかし、実際は「復興五輪」と言って始まったものが「コロナに人類が打ち勝った証」と言い出し、それが見込めなくなると今度はやれ絆だ、平和だと言い出して、ひたすら開催ありきの強迫観念に駆られているばかりです。
そして7、8月にオリンピック/パラリンピックを開いて9月に選挙をやる、という政権浮揚の道具にしたい政治的思惑が重なる、それこそ、傷だらけのオリンピックになりました。

小川淳也

2021年に開催された東京オリンピック。
正直、僕はあまり印象に残っていないです。
小川さんの「強迫観念に駆られているばかり」の「政治的思惑が重なる」「傷だらけのオリンピック」なのだとしたら、2021年の東京オリンピックを開催したことは、日本の黒歴史なのかもしれません。
あとから「コロナに打ち勝った証」「絆、平和」と無理やり意義をこじつけることはできても、実際に起こったこと見つめることが大事だと思います。
誰かにとって不都合なことが無かったことにされ、美化されるのではなく。
僕にとって印象が薄い東京オリンピックも、ある人にとっては大きな出来事だったのだと想像します。
東京に住む人の中には、「なんで開催なの?」と不安、怒りが湧いた人もいるかもしれません。
そんなときに、無関心な態度でいたことは無責任だったのだと思います。
自分にできたことなんてなかったのかもしれない、でも知ろうとする、考えてみることくらいはできたと思います。
そうしていれば、今振り返ってみる東京オリンピックも違うものだったのかもしれないな、と思います。

政治に関する声を上げること

人の幸せは100%主観的なもの。
誰かがあなたの幸せをこうだと決めつけるようなものではありません。
だから大切なことは、あなたが幸せと思える生き方を自由に選べる広い選択の幅、そしてお互いがそれを認め、尊重し合える懐の深い価値観、この二つが満たされる社会にして行く必要があると思うのです。

小川淳也さんの言葉

自分の幸せは誰かに決めつけられるものではなく、「自分の選択に責任を持てるのは自分だけ」なのかもしれません。
でも、「生き方を自由に選べる広い選択の幅」というのは、政治や環境に因るものでもあると思います。

「私はこう思う」
そう宣言するのはエネルギーがいることです。
政治的なこととなれば、なおさらかもしれません。
エネルギーもいるし、知らないと「私はこう思う」とは言えないものです。
でも、政治は、自分や周りの人、未来を生きる人に関わること。
だから、学び、「私はこう思う」と声を上げる。
それは避けられてしまうようなことではなく、自分や周りの人、未来を生きる人に真摯に向き合う姿勢でもあるのだと思います。

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Rinfinity~食にたずさわる人の生き方~
料理人や農業従事者の方へのインタビュー記事を発信しています。
第6弾、愛知県・豊橋「ごとう製茶」・後藤潤吏さんのインタビューが公開中です!
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