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54.正義感の危険性 自分の正しさに固執すると?


正義感とは

正義感とは言葉の通り、正義を通そうとする気持ち、不正を憎む気持ちを指しますが、
個人的には2種類の正義感があると思っています

1.自分軸の正義感

自分が本気で必要と思っている正義感

【確かめ方】
・子供等、正義感を持っていない相手へ、自分の正義がなぜ必要なのか論理的に説明できる
 (例)〇〇だから必要で××するべきだと思う等
・自分の正義感に従わない相手に対し、冷静に対処できる
 (例)そういう考え方もあるかと受け入れられる、
   議論して理解してもらおうとする等

2.他人軸の正義感

他人から植え付けられたなぜ必要か理解出来ていない正義感

【確かめ方】
・子供等、正義感を持っていない相手へ、自分の正義がなぜ必要なのか説明できない
 (例)そういうものだから、慣例だから等
・また上記に加えて、高圧的に押さえ込む以外で、自分の正義感を正当化出来ない
 (例)暴力、社会では当たり前、良いからやれ等
・自分の正義感に従わない相手に対し、非常にイライラする
 (例)なぜやれないのか怒りが治らない等

2つ目の他人軸の正義感が個人的には非常に危険だと感じます

他人軸 正義感の危険性

他人軸の正義は、他人に説明出来ない正義と前述した様に、
自分自身も誰かに植え付けられた必要性のわからない他人に定義された正義感なのでは無いかと思います

親や、先生、上司などから、
自分が目下の立場にあって植え付けられたり、

同級生等、上下関係のない場合でも、
自分が少数派の意見を持っていて、
多数決が正しい環境でねじ伏せられたり、

植え付けられ方は様々だと思います

ただし、その正義感の必要性はよくわからないけど、
まぁいいやと、
他人がそれに従ってなくてもまぁいいやと、
寛容でいられるのではあれば、あまり危険性は無いと思っています

また、自分軸の正義感は、
自己アピール等、原動力となり良い方向に使えることもあると思います

でも、自分と同じ正義感を持っていない相手に対し、イライラする状態であれば、
我慢し過ぎな非常な危険な状態ではないかと自分は警告を鳴らしたいです

なぜなら、自分より立場の弱い人に対して、
1.同じ様に我慢すべきだと加害者になるから、
2.上手く行かなかったり、自分が余裕の無い際、
 暴力や言葉で当たり散らかしてストレスの吐口にする様になるから

こうした他人から定義された正義感があまりに強いと、
自分の持つ、べき論通りに察して動かない、言う事を聞かない
配偶者、子供、家族、恋人、友達、上司、生徒に対し、
暴力を振るったり、
人格を否定する様な暴言を浴びせるといった行動に繋がる要因の1つになってしまうと考えます

それが、結果として、
パワハラ、DV、虐待、いじめといった世の中で問題視されている名前が付いている事象ではないかと思います

また、こういった名前のついたものに該当しなくても、
過干渉な毒親、個性を潰す先生、高圧的な上司を生み出す要因と思います

強い正義感で仕事で無理をしすぎてしまい、
家に帰って妻や子供へ当たり散らかす父親、

子供をしっかり育てなければならないという強すぎる正義感から、
教育に熱心になり過ぎて子供の個性や弱さ、好奇心を認めない毒親、

自分の理想を叶えれば周りの皆が幸せになると信じて疑わない強すぎる正義感を持ち、
自分のビジョンに共感しない部下を徹底的に除け者にする上司、

自分の信仰する宗教を信じて疑わず、
その教えを知らない、信じない人に対して、
無理やり洗脳したり、
相手の信仰を否定するあまりにも熱心過ぎる信者、

自分が良いと思っているもの、
自分が正しいと思っている事を他の人にも知ってもらいたいという気持ちは否定しませんが、

過度な正義感は、相手を傷付けたり、相手の価値観や人格を蔑ろにしたり、
場合によっては自分自身も蔑ろにしかねないと自分は思います

だからといって、何も話すなという事が言いたい訳ではなく、

自分の正義が、誰かの正義を真っ向から否定しかねず、
決して正しいわけではないという事も頭の片隅に置いておく事がとても大事であり、

正義感を持っても良いけれど、
それは正しい訳ではないということも忘れない

バランス感覚が大事という趣旨がしっかり伝わっている事を願います

自分の過去を振り返ってみて、
生きづらいと感じたのは、
周りからの正義感に振り回された事も要因の1つだと思いました

父親の社会人としてちゃんとしなければならないという正義感は、
時に過度な正義感になる事があり、
仕事で無理をしては、その鬱憤が、
母親や、自分たち子供に向いていると感じる事が度々ありました

普通はそんなことしない、
会社でそんなこと通用しない、
意識が低いなど、
父親の正義と反する行動を取ると、
社会に出た事ない子供の兄や自分、長らく専業主婦の母親では、反論が難しい言い方で、徹底的によく批判されました

また、自分が外で働いて家族を支えるべきという昔ながらの価値観(正義感)を持っており、
その分、家事や育児、金銭面の管理など、
家の事は母親がしっかり担当すべきと母親に過度な期待を押し付けていました

もしかしたら、結婚前や子供が生まれる前に、
両親2人で話し合い、納得して決めた事なのかもしれませんが、

メインでどちらがするか分担を決めたとしても、

相手が困っている時はサポートしたり、
苦手で上手く出来ない事があっても責めないで、
一緒に分担する姿勢があっても良いのではないかと客観的に見ていて感じました

一方、母親は、仕事で忙しい父親に迷惑をかけない様に、
子供をしっかり育てなければ、自分が家を守らなければという正義感を強く持ち、
我慢し続けては感情を爆発させる事がありました

その矛先は、子供である自分に向くこともありました

正義感を過度に持ち過ぎず、

自分が苦手なことや、きちんとしていられない時もあり、
そういう時は周りを頼って良い、
頑張れない時があっても良いと両親自身が思えていたら、

自分もそのべき論を押し付けられず、
理不尽な批判を浴びず、
生きづらさが緩和できていたのではないかと推測します

過度な正義感は生きづらさだけではない

生きづらさ以外に、他にも繋がる事があると感じます

相手の好みや、価値観を聞くこともなく、
自分が正しい、良いと思うという事を相手に伝えることに必死で、
ひたすら話し続ける人も、
過度な正義感の一種に該当するのではないかと思います

ビジネスシーンや日常の場面で

自分がこの良さを世の中に伝えねばという正義感から、
聞いてもない推しについて、ひたすらマシンガントークを続けるオタク、
押し売りまがいな下手な営業員など、

ビジネスや日常会話でも、影響している場合があると感じます

個人的な価値観の話

それ以外にも、非常に個人的な話ですが、
つい数年まで絶対に結婚も出産もしたくないと強く思っていました

結婚や出産したらどうなるか、1番身近に見ることが出来る自分の両親の姿を見て、

結婚や出産をすると、
社会で正しいとされる規範を守る為に、こんなに我慢しなければいけないのか、
こんなに家族として責任を果たす様に求められるのか、
親として、妻として、社会のイメージする枠に収まっていないと批判され続ける
という窮屈さを感じてならず、
結婚や出産を絶対にしたくないと思っていました

両親からの過度な正義感は、
自分の生きづらさ以外に、
結婚や出産をしたくないという、子供である自分の価値観形成にも繋がっていました

また、諸外国で度々見られる宗教的な闘争も同様と自分は思っています
唯一神を絶対的な正しさとして信じ、
その教えを広く広めねば、皆を救わねばという正義感が強いと、

別の宗教に存在する唯一神や多神教の存在や、教えと矛盾してしまい、
宗教的な争い、最悪のケースで戦争へも繋がってしまっていると思います

自分の正義はあくまで現状の最適解

自分の中にある正しさは、誰かにとっての非常識や間違いであり、

あくまで自分の経験や環境、得た知識で形成された“現状の最適解”であって、

環境が変われば、経験則は書き換えられ、
その正しさは常に時間と共に変わるものであり、
時代が変われば、いつでも“正しくない”に変わる可能性があるということを片隅に入れておくべきではないかと思います

べき論はあまり好きではありませんが、ここではべきという言葉をあえて使いたいと思います

例えば、歴史を振り返ってみて、
地球平面説や戦争等が挙げられるのではないでしょうか?

かつて地球は平面と考えられており、
地球は丸いと唱える学者は、
絶対的に正しいとしてされていることが脅かされるために、
社会的権力から迫害を受けていたと聞いたことがあります

でも、今は地球が丸いという説が“正”になっており、
かつて正しいとされていた地球平面説は、否定されています

それ以外にも、国の為に死ぬ事は光栄な事とされていた戦前の価値観(正義感)は、
現代を生きていると、頭がおかしいと感じてしまう事があると思います

戦争をしてはいけないという価値観(正義感)も、
自分の立場を危うくさせたり、不利益を被られ、
マスメディア等の煽りも合わさって、
戦争を合理化する理由が揃ってしまえば、
いつでも戦争はしてはいけないという価値観は揺らぐ可能性も孕んでいると思います

また、今蔓延っている内向型よりも外向型を良しとしたり、
英語ができる事は頭が良い事であるとされたり、
医者や公務員、大企業、外資コンサルで働く事が将来安泰と考えたり、
こういった現代の価値観も、時代と共にいつ形勢が変わるか、わからないと思います

自分が信じる正しさはいつか変わる可能性がある

自分が今、正しいと思っている事は、
いつかは変わる可能性が必ずあるという事を片隅に置いて、
リスクヘッジしておく事が何よりも重要なのではないかと自分は思います

どうか言葉尻だけ取るのではなく、
絶対的な正しさはないかも知れない為、
あまり過度な正義感に囚われない様にという趣旨が伝われば良いなと願っています

脱力して、力まない事、流れに逆らわない事が、
生きやすくなるヒントではないかと、自分は思います


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