石原慎太郎という人間

石原慎太郎さんが死んだ。
歯に衣着せぬ大胆な物言いが
物議を醸し出す政治家だった。
しかし周囲に忖度せず、
正々堂々と我が道を進む、
純粋剥くな政治家でもあった。

石原慎太郎さんが都知事の時代、
都知事室で話を聞いたことがある。
僕はいつものようにノーネクタイで
スタッフは皆、顔をしかめていた。
慎太郎さんはそんな僕を見て、
「俺はそういうの嫌いじゃないよ」と言った。

写真を撮る際に「顔の左側を撮れ!
俺は女優と一緒なんだよ」と一喝した。
自分の顔の左側が好きだったし、
ヨットの話での笑顔は良かった。
弟の裕次郎が好きで誇りであり、
嫉妬もありコンプレックスでもあった。

日本と日本人を心底愛していて、
何よりもその幸せを願っていた。
「大企業の社長というものは
自分の会社が良ければいいって
いうんじゃいけなし情けない。
日本のことを考えなきゃいけない」

石原慎太郎は自分が良ければいい、
そんな人間ではなかったと思う。
身を削って粉にしてまで日本を考えた。
だからアメリカに対し、ノーと言える
日本でありたかったのだと思う。
死ぬまでその思いは変わらなかったはずだ。