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わたしのスポーツ観戦のバックグラウンド

たぶん自分は、スポーツ観戦に興味がない。
高校生の頃にサッカー部のマネージャーをしていたので、スポーツあるいはスポーツ観戦が好きなのだと思われがちであるが、正直さほど心動かされない。

しかし、わたしのある年齢までの経歴はどう考えてもサッカー及びサッカー観戦が好きな人間だ。

大学の進学希望先のひとつに、千葉方面のスポーツ健康科学課を入れていた。しかも体力試験もあったので、高校3年時は受験勉強に加えて毎日走り込みをしたりして、割と本気で目指していた。
結局、スポーツガチ勢にあっけなく数字は抜かれ、わたしのスポーツ健康科学への道は破れ、多摩地方の文学部に進学したのだった。

文学部に進学してからもサッカーサークルに入り、マネージャーを続けていたし、さらに、当時よく酒を飲んでいた年上のお兄さんが無類のサッカーファンだったので、しょっちゅうサッカーの映像をみせられながら酒を飲んでいた。
とくに、イタリアサッカーが好きで、酒が進むと管を巻きながらロベルト・バッジョの伝説を延々と語っていた。
おかげでサッカーの知識はどんどん増えていくが、熱が高まるわけではなかった。

その人との付き合いがなくなってからはサッカーに触れることもなくなり、それからはスポーツ自体に関わったことがない。

こうして過去の感情を振り返っても、やはり自分がスポーツ好きだとは到底思えない。

サッカーを通して一体何をみていたのだろう。
それは部員の日々の変化であり、サークルの友達と馬鹿騒ぎするためであり、サッカーを語るお兄さんの楽しそうな顔をみていたのだ。

スポーツ健康科学課に行こうとしていたのも、そこに高校サッカー部の延長があると単純にも信じていたからである。

わたしにとってスポーツは誰かと関わるツールのひとつだった。徐々にそのツールはスポーツ以外のものになり、今では殆ど使われていない。

今のところ、スポーツがその座に返り咲く予定はないが、暑苦しいほどのスポーツ狂いな友達でも現れたときは、わかりやすくスポーツ観戦が趣味になっているような気もしている。

編集:鈴木乃彩子 

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