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学校という『施設』は素晴らしい。今の『授業』や『先生』を変えたら、教育が変わる。

先日、小2息子の学校で、校庭開放当番がありました。


私は主に見回りを担当し、学校の校舎の裏に子供たちが行かないか、変な動きがないかなどを確認しながら、学校の外側をぐるぐると歩いていました。


歩きながら、ふと思ったことがありました。
それは、

学校のファシリティ自体は、とても素晴らしい。
それを残しつつ、現状の授業や先生を変えたら、むしろ無くしちゃったら、学校教育は大きく変わるのではないか。

というもの。



思考のきっかけとなったのは、こちらの動画です。


小2息子が入学してからずっと、学校の公教育に対して、疑問が拭えない私。


上記の動画を見て、確かに学校教育にはモヤるけど、施設自体はとても素晴らしいということに、気づかされました。

プールもある、体育館も、校庭もある、音楽室もある、場所によってはビオトープとか花壇とか、家庭ではなかなか取り組めない環境が揃っている。
しかも学校一つ一つにそれらがほとんど全てある。
ファシリティとしては、非常に豊かですよね。


他方、現実には、不登校の子の人数は、増えていくばかり。
我が子も、現在は毎日行きますが、行き渋りに悩まされた日々が、続いたこともありました。


つまりハード面は揃ってるけど、ソフト面が、子供達のニーズに合っていないんだろうということなのかも、と。

ガチガチに決められたカリキュラム、カリキュラムや行政が言ってくる目標を達成するために動く先生方、旧態依然とした講義スタイルの授業…

ただ、ここで一つ申しておきたいのが、先生方が子供たちのために日々奮闘してくださっていることは、理解しているつもりです。
子供達のことを思っている先生方ほど、変えたいけど変えられないというジレンマに苛まれているのだろうということも、考えています。


だったら、その『授業』も、『先生』も、いったんぜんぶ手放してしまえばいいんじゃないかと思いました。


例えば。


一応所属する学校は決めといてもいいかもしれないけど、別に決めなくてもいい。
子供一人一人が個人カードみたいなものを持っておいて、学校に入る時にカードを端末にかざすか、もしくは学校の敷地内に入ったらわかるようなシステムを作ってもいい。

毎日学校に行かなくていい。
学校が開いている時間は決めるけど、子供が好きな時だけ、好きなだけいればいい。
その代わり、給食は無理かも。

一斉講義スタイルの授業は、もういらない。
子供達は好きなことをする。ドッジボールでもいい、鬼ごっこでもいい。ボードゲームもいい。紙ヒコーキ作りも。
テレビゲームは、許可をするか悩むところ。時間制限を設ければ OK かも。

とにかく勉強も、やりたいときに、やるようにする。
やりたくない子に、無理やり足し算とか、掛け算とか、教えない。

このときに大切になるのが、子ども達を導く指導者、つまり先生たちの存在。

子どもの興味関心に寄り添い、好奇心が発揮されるように設計し、子どもの「やりたいとき」がたくさん訪れるように、子どもと関わっていく。

高学年になれば、たくさん学びたい子も出てくるから、そういう子には「カーン・アカデミー」のような既にある素晴らしい仕組みを活用しつつ、学校では質問に答えて前に進む手伝いをしたり、議論をして思考を促す。



…なんて、理想というか夢物語というか、完全に個人的な見解、しかも現実味のないものを、つらつら書き落としてみました^^;

少しでも、子ども達がのびのびと、自分らしく、やりたいことを楽しめる毎日を、学校でも送れたらいいなぁ、と願わんばかりです。



では今日はこの辺で。

最後までお読み頂きありがとうございました!




hona



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