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見栄っぱりな私で、良かった。

先日、我が家の前の路地で、年少の娘のお友達と少し遊ぶことになりました。
急遽決まったのですが、我が家の中には入らない予定ではありました。

それでも、子供たちは小さいから、もしかしたらトイレを使うかもしれないと思い、その日はトイレ掃除がまだだったので、まずトイレ掃除をしました。

トイレの掃除機をかけていたら、「トイレが終わったら洗面所で手を洗うよな」と思って、その隣にある洗面所の洗面ボウルと、鏡の掃除をして、カウンターを拭いてから、掃除機をかけました。
蛇口も、ピカピカに磨きました。

ついでに、玄関から洗面所までの廊下の掃除機も、かけました。

さらに、普段なかなかできない、玄関の掃き掃除して、さらにその後、外に出て、お客様がが来た時に目に入る場所の掃き掃除までしました。

結果、約20分間で、玄関先から家に入ってトイレ・洗面所まで、すっきり整理され、掃除され、ピカピカにすることになりました。

「お客様をお招きすることが、家をきれいにするためのモチベーションになっている」と言ってしまえば聞こえはいいですが、結局は私に「家を綺麗にしていると思われたい」という見栄があるんだなあと、改めて思います。

こんな自分やだなーって、見栄っぱりでやんなっちゃうなーって、いままで思ってました。

でもこの時初めて、逆に、見栄っ張りで良かったなとも思いました。

だって、見栄っ張りだから、家がちょっとでも綺麗になっていると気づいたんです。

他にも例えば、そこそこ見栄っ張りだから、それなりに勉強もしてバカにされないようにしたし、それなりに身なりや美容に気をつけておしゃれに振る舞おうとしてきたし、仕事ができないって思われないようにできることはやって必死に取り繕ってきた。

それはまさに私の「今」を形作っている様々な要素となり、そのおかげで私が楽しいと思う時間が増えていることも否定できないわけで、じゃあ悪いことばっかりじゃなんだなって思ってます。

ただ、見栄っ張りも行き過ぎてしまうと、不幸なベクトルに変わる可能性があります。
本来なら手の届かないはずの高級ブランドの洋服ばかり身につけ、高級車に乗り、超キラキラした瞬間を超加工して Instagram に載せる・・・みたいな。
そうすること自体が悪いと言ってるわけでは全くなくて、自分の許容範囲を大きく超えて無理をしてしまうことで、金銭面や時間面で苦しくなって自分の首を絞めることになってしまう危険性がある、と思います。
何事もそうですが、バランスは大切にしたいです。

見栄っ張りということ、人によく思われたいことは、社会とうまく繋がっていたい思いとリンクしているはず。
地球上で人間がここまで覇権を握った理由の1つに、親族を超えた社会を作り上げられることがあるそうです。
だから、私の見栄っ張りもきっと、人間が生き残ろうとする本能を活かしてモチベアップできてることもあると、前向きに捉えてみています。



お友達と解散後、家に入って片付いた洗面所とピカピカの蛇口を見て、そういえばお客様は誰一人、トイレにも洗面所にも立ち寄らなかったなと思う、金曜の夜でした。


では今日はこの辺で。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!!


hona


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