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年中の娘、教材無しで、ひらがなを書いた。子どもの力を、信じたい。

ずいぶん前のことだが、娘のこどもチャレンジを卒業した話を残していた。

それから随分たって、今も彼女は、いわゆる『お勉強』みたいなことは、一切していない。

習い事は、スイミング、ピアノ、お絵描き。全て、彼女の身体感覚を育てるためのもので、『お勉強』はしない。
通っている幼稚園は、主にシュタイナー教育と日本式の保育を取り入れており、幼児に詰め込み式の教育をさせることはしない方針だ。


そんな娘が最近、ひらがなを書く。

最新作。文字に、意味は無い(笑)

最初は、自分の名前だったと思う。

3つ上の小2兄が、学校の教材などで自分の名前を書いているのを見て、真似をした。

最初はなかなかうまく書けなかったけど、何度も何度も書く。うちにすごく上手になって、最近ではしっかり読めるようになった。

さらにそこから、「まま」「ぱぱ」、そして、お兄ちゃんの名前を書くようになったのだ。

私はこれまで何度も、こらえた。
何を堪えたかって、彼女が求めていないのに、こちらからひらがなを教えること

もちろん、私から教えてしまった機会が、ゼロだっ たとは言わない。
どうしても気になってしまって、「『あ』は、こうじゃない?」とか言ってしまったことは何度かある。

だけど、そうやって我慢できない時以外は、基本スタンスとして、娘が自分でひらがなを書けたことを喜ぶようにしていた。

わー!やったねー!かけたね!

なんて書いたの?

そんな具合に声かけしていた。


無論、私や夫が、書き順や書き方を無理やり教えることは一切していない。

全ては彼女の心と体がやりたいようにやった結果だ。


娘の様子を見ていると、環境が整っていれば、特定の教材がなくたって、子どもたちはその環境から自ら学んでいくと感じる。

赤ちゃんの頃を考えてもらうと、わかりやすいと思う。
ねんねしかできない時から、子供たちは自分で成長していく。ねんねからひっくり返ってうつ伏せになり、ずりずり這っていると思ったら、はいはいして、お座りして、立ち上がって、歩き出す。

この大きな成長を遂げる1年間に、私たち身近な大人が彼らに教えられることは何かあったのだろうか?

そう、何もない。

ただ、大人は、彼らが安心安全に成長できるような環境を整えてあげることは、絶対に必要だ。
障害物を極力なくし、尖ったものなど危険なものは赤ちゃんのそばから排除する。

こんなこと言うと、赤ちゃんと幼児じゃ話が違うじゃないか、って言われるかもしれない。

でも私は、なんなら大人になっても同じじゃないかと思う。
つまり、私たちが何かを学びたい時に、必要なのは優秀な教材よりも、整えられた環境であり、そうすれば自らの好奇心に従って学びを深めることができる、と考えているのだ。

例えば、今回の娘のひらがなの件でいえば、このような環境が整っていたと思う。

・3つ目の兄という、彼女の好奇心を揺さぶる存在がいる
・自分で紙と鉛筆を出すことができて、何度でも書けるくらいの量がある
・書いたひらがなを、そのまま受け止めてくれる存在がいる(否定されない)

この環境が完璧だとか、娘がひらがなをかけるようになったと自慢したいわけでは、決してない。

ただ、もしかしたら大人たちは、子どもたちが安心してやりたいことに取り組めて、それを否定も肯定もせず丸ごと受け止めてくれる環境を設定した上で、後は子どもの力を信じて、ただ待つだけでいいのかもしれない。
市場にあふれる教材をあれ。これと与えるよりも、ただ、それだけでいいのかも、と感じているのだ。

何より今回、娘にとって、こうした環境があることが、『ひらがなを書くってたのしい』『もっと書きたい』という気持ちに繋がったのは、少なからずあるのではないか、と思う。



まあただ正直、同じ歳の子供たちが娘に宛てたお手紙のなかにたくさんひらがなが使われているを見ると、ウッと思う私も、居る。
ひえーすごい、もうこんなにかけるのかー!と、驚愕するし、焦るし、うちの子大丈夫かな…と、少し不安にもなる。

それでも、私は現時点で、娘に知育教材を渡そうとは思わない。
だって娘自らの力でひらがなを書けるようになったんだ。自分がやりたいことは、自分で切り開けるような子に、きっとなってくれるはず。
娘の力を、これからも信じようと思う。



では、今日はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました!



hona

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