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    タタン参上! 家族が増えました。

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「しつけ」 12月号 大野 尚

 「アタイ」は生まれた時から自我が強かった。    生後三か月迄は、見た目はクレーンゲームで誰もが欲しがる愛くるしいフワ モコのヌイグルミ。   そんな「アタイ」をアタイの家族はほっとかない。暇があれば触りたがる・抱きたがる、アタイの気持ちを考えない。でもね、家族のアタイヘの思い=愛情は理解できる。だから「アタイ」も最初はその気持ちを大事にする。正直、少しは嬉しい・・・本当は、めちゃ嬉しい!!でもね、アタイは生まれながらに自分の身体の全身を見ることは出来ない。特に背中からお尻

    • 「事業デザイン」

        「デザイン」=審美性を根源に持つ計画行為の全般を指すものである(ウィキペディア引用)意匠・設計・創意工夫ともある。 ゼロ一で生み出されたプロダクトが世界を席巻するほど圧倒的に売れる様な製品やサービスが生まれる確率は年々低下している。なざなら世のなかには,ありとあらゆるものが溢れている。 プロダクトアウトは、今までなかったものを生出した産物が多い。もっと便利にと言う「ニーズ=必要な状況」の発想で生まれたものである。 通信手段の歴史を見ても「狼煙(のろし)」~「太鼓」~「伝書

      • 「信念」

          皆で決めた事がある。2013年の3月に始めた会社のメルマガ配信。・・・それは8年間約束を守っている。しかし、僕のコラムの原稿を出すのが遅く、月初めの配信予定が中旬になっている。今月は、今日が20日なのでせめて原稿だけは下旬にならない様にと、今、画面に向かってキーボードを叩いている。・・・忙しいは理由にならないのは分かっている。テーマが頭に浮かばない・・・いやいや信念の希薄である。それに引き換え僕が講師を務める地元F大学の教え子、S幸四郎君の信念は強く揺るがない。 先月7月

        • 「好きから始まるアートの入口」

          僕は難しい事は嫌いだ! 仕事でも遊びでも人生でも簡単ではない事は百も承知している。だからこそ、その難しさを簡単に出来るための方法を常に考えている。 何でもそうだが、難しい事を更に難しく話す人がいるが、本当に当人も理解しているのか?・・・疑問に思っている。 更に厄介な人は簡単な事も難しく言う人がいる。そういう人は自分が優れていると言う事をアピールしたいのか? それとも権威付けの為なのか?・・・理解に苦しむ。  難しい事を簡単に分かり易く伝えてくれる人を尊敬する。「なんだ!そう

        「しつけ」 12月号 大野 尚

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          5本

        記事

          「ミッション」

           前職の仕事のスタートは「ビラ配り」であった。日々、A4紙を三つ折りにしたチラシをデパートの紙袋2つに入れ両手に持って大学の教授室・研究室・部室や雑貨屋、飲食店、美容室等の自ら海外に興味を持っていそうな場所に投函するのが僕の役割であった。総数3000枚以上はあったと思う。当然、全部は配り切れないので、マンションの郵便受けにも投函、それでも配り切れないので、駅前や繁華街の交差点で信号待ちをしている人々にも手渡していた。  ・・・大変だったか? 雨の日、寒い日、暑い日、天候によっ

          「ミッション」

          「会社の為と言う錦の御旗は通用しない!!」

          3社の社外役員を務めている。1社は取締役として、2社は監査役として、いずれも独立役員と言う立場だが、取締役・監査役の立ち位置は大きく違う。 中小企業は取締役・監査役の最大任期は10年である。短ければ登記費用も掛かるし手続きも面倒である。 公開企業の場合は取締役の最大任期が2年である。一般的に上場企業の取締役の任期は1年が多い。なぜか? あの人に辞めて貰いたいと思った時に解任すれば損害賠償を請求される可能性もあり、市場にもあまり良いイメージではない。監査役の最大任期は4年であ

          「会社の為と言う錦の御旗は通用しない!!」

          「覚悟が試されるとき」

          追われている!4月1日の新年度を迎えた後も遣る事があり過ぎて優先順位を付けて行っているのに追いついていない! イレギュラー事項が頻繁に発生する。また、遣るべきタスクをやり過ぎてしまう。年齢のせいにはしたくないが、体力的に追い付いていないのだろうか?・・・  とは言いながらも、どうにかこうにかである。・・・やっている。仕事の精度・成果が落ちては困るので、私用の事は後回しである。しっかり優先順位を明確にして取り組んでいる。つまりお金を頂いている仕事は全て公平に行う前提で緊急度・

          「覚悟が試されるとき」

          タタンが我が家にやって来た。

           僕のプラオリティが下がっても、夜鳴きしてもオネショしても多少の家計のアップでも、そんなことは大したことはない。  今日から新たな家族になった「タタン」生後3ヶ月、4人目のワンちゃんで3人目の娘です。  次女の「なっちゃん」こと白のゴールデンが齢15歳で亡くなってからの2年間、家族の心の大きな空白がようやく小さくなって迎える事に、。  旅に行けない空白を大きく満たしてくれる「タタン」、数ヶ月後、ワクチン打って免疫出来てからの朝の散歩と言う健康トレーニングが待ち遠しい。  君は

          タタンが我が家にやって来た。

          [こだわりが商機を生む」

           酒【アルコール=酒精(エタノール】は強いほうではない、でも弱くはない。基本的に乱れるまで飲みたくはないし、その手前で控える事を出来る自制が私にはある。それは単に、翌日の二日酔い・・・ボリビアのアンデス山脈5,380mのチャガルタヤでのトレッキング中に起きた高山病を彷彿する得も言われぬ苦痛は避けたいだけの自身の防衛本能がそうさせている。だが、しかし、それでも、気の置けない友人達や心地よい空間、飲む前、飲むとき、飲んだ後の手間暇含めて楽しめる一連の作業の「時(とき)」・・・に震

          [こだわりが商機を生む」

          「承継=後継者の道」

           事業承継は簡単ではありません。 経営権、資産・負債だけではなく、会社が辿った歴史も引き継ぐ事になります。当然、会社(製品・サービス等)の評価も社員の能力も不満も引き継がなければなりません。  同族への承継・従業員への承継(MBOを含めて)・会社売却(Ⅿ&A)と幾つかの承継の方法はありますが、今回はお子様・従業員への承継についてお話をします。  承継される方は後継者となります。 好業績が続いていても逆に業績悪化で厳しい状況でも、どちらも大変です。 何が大変なのか? 業績が良け

          「承継=後継者の道」

          「ぶらぶらブラ」

           拙宅からぶらぶら歩いて30分程で「西南の杜湖畔公園」の入口に辿り着く。左手に水面に遊ぶ鴨を望みながら、ふと.,右手下の公道沿に風に旗めく紅い幟が、何だろう? 「珈・・・」の字が見えたと様な、「よし、湖畔をひと回りしたら寄ってみよう」と心に誓う。 テクテクブラブラ一回り20分で到着。。日曜日のゆっくりとした朝食の時。 腹を空かした胃袋が悦びの声をあげる。

          「ぶらぶらブラ」

          「全ての始まりは・・・アメリカ駄目ならヨーロッパに行こう!!」⑥

           「アメリカだ!!」と夢は果て無く広がっていたが、行けなくなってしまった。なぜなら受け入れ先の母の姉(おばさん)のご主人、義理のおじさんが交通事故であなたを迎える事が出来なくなったと手紙が来たのだ。・・・打ちひしがれ当てどなく新宿界隈をぶらつくと電信柱にパリ行き航空券128000円のポスターが、アメリカ留学の為にバイトで貯めた金があった。駄目ならヨーロッパに行こう! そう思い、ポスターに記載された旅行会社に行き、一か月後の出発を予約。その足で都庁にパスポートを申請。何の為にヨ

          「全ての始まりは・・・アメリカ駄目ならヨーロッパに行こう!!」⑥

          「全ての始まりは・・・逃避」⑤

           昔はバックパッカーと気取ってはいるが、最初のきっかけは現実逃避だった。  専門学校に通いながら、音楽プロダクションで働く事になった19歳の僕は日々、東長崎の裸電球4畳半の部屋とオフィスがある六本木と赤坂TBSのGスタ(サウンドインSの収録)とその界隈の高級クラブを行き来する事になる。光輝くオーラを放つ芸能人やミュージシャン、Ⅽ調なテレビマンや奔り回るだけのADマンに踏ん反り返ったクライアントの社長たちとラベルのスペルも読めないスコッチをツーフィンガーのWで酌み交わす酒は竜宮

          「全ての始まりは・・・逃避」⑤

          「旅・全ての始まりは・・・アメリカ」④

           池袋西口東武デパート最上階のレストランシアター「ニュー東京」でのPA•照明のアルバイトは僕が通う専門学校指定のバイトだった。学校終わって18時から深夜23時過ぎまでステージでの楽器やホリゾント(背景照明)セッティング、オンステージではピンスポとPA卓と調光卓操作も行う。ステージ合間は楽屋でその日出演のミュージシャンやプロダクションのマネージャーにレコード会社のディレクターの方々と一緒だ。彼等は「箱」と呼ばれる常設ステージをとても大事にする。バイトの僕らも大事にされた。一年経

          「旅・全ての始まりは・・・アメリカ」④

          「旅・全ての始まりは・・・相棒」③

          高校卒業後、東京の映像専門学校へ入学。西武池袋線東長崎駅徒歩10分の1万3千円の4畳半風呂なしトイレ共同のモルタル二階建てアパート一階は夢の住処だった。半間の押入れの襖を閉めると半畳のキッチン。冬は寝酒の残りが翌朝は凍る北側の部屋。それでも自由があった。自分好みのカーテンに丸井の月賦36回払いで買ったリクライニングチェアーが宝モノ。平日は朝から夕方まで休まず学校に通い、夕方から深夜まで池袋の東武デパート最上階のニュートーキョウでPAと照明のアルバイトに明け暮れる。家賃と定期代

          「旅・全ての始まりは・・・相棒」③

          「旅・全ての始まりは・・・触発」②

           不本意ながら入学した高校ではあったが、唯一愉しみに臨んだ授業が世界史。バックパッカーである先生が自ら歩いた世界の国々のその時の姿をそこに住う「人」になり変わり語る。政治の腐敗、歴史的背景、宗教観、民族の血の掟、恋愛、喰い物、日々の不満や愚痴、嫁さん自慢に、人生観まで、教科書に決して載らない脱線話がたまらなく面白かった。その先生に薦められて読んだ本が、小田実の「何でも見てやろう」  旅の始まりの切っ掛けとなったのは間違いない。

          「旅・全ての始まりは・・・触発」②