イオ

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イオ

'01 @Yokohama / medical student / photographer エッセイ書いてます。

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  • 週末野心_春

    自作エッセイ本『週末野心』 春ー私のまわりのひと

最近の記事

いつからか、大切な人に会って別れた後に虚しさを覚えるようになった。それはどうやら、関係性の問題ではなくて、私自身の変化に原因があるようで、。

    • 昔だったら何がいいのか分からなかったような映画が好きになった。大人になったな、と思った。大人になったら感性がなくなるんじゃないかなんて、そんなことはなかったよ、子どもの頃の私。

      • 本音、という名の建前、かもしれない。

        Google Photoを眺めていたら、一年前の今日の写真が出てきた。 そっか去年の今日は、友達と洋服を買いに行ったのか、なんて懐かしくなりながら、その時の感情まで思い出していた。 どうやら私は、この一年でだいぶ変わったらしい。 ずっと着てみたかったボーイッシュな服。ストリート系の、今まで私が来ていた清楚な服とは全く雰囲気が違う服。 こんなの着てみたいんだよね、と友達に話したら、洋服なんてすぐ買いに行けるしすぐ着れるよ、と返され、翌日には一緒に出掛けて購入していた。 今では

        • いろんな人がいるんだな、を、ねっとりとした何かが広がっていくような感じで実感している。決していい意味ではないその感覚をしかと受け止めるくらいには大人だけど、それを割り切って人間関係の構築ができるほどには大人じゃない。

        いつからか、大切な人に会って別れた後に虚しさを覚えるようになった。それはどうやら、関係性の問題ではなくて、私自身の変化に原因があるようで、。

        • 昔だったら何がいいのか分からなかったような映画が好きになった。大人になったな、と思った。大人になったら感性がなくなるんじゃないかなんて、そんなことはなかったよ、子どもの頃の私。

        • 本音、という名の建前、かもしれない。

        • いろんな人がいるんだな、を、ねっとりとした何かが広がっていくような感じで実感している。決していい意味ではないその感覚をしかと受け止めるくらいには大人だけど、それを割り切って人間関係の構築ができるほどには大人じゃない。

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        • 週末野心_春
          4本

        記事

          小説の、ありありと想像できるくらいに鮮やかな描写に感嘆し、そういえば小学生の頃は「情景描写」というものの理解ができず、読書は好きなのに国語の成績が最悪だったことを思い出した。大人になったな、私。

          小説の、ありありと想像できるくらいに鮮やかな描写に感嘆し、そういえば小学生の頃は「情景描写」というものの理解ができず、読書は好きなのに国語の成績が最悪だったことを思い出した。大人になったな、私。

          書きたいと思った。でも書けないと思った。だからお風呂上がりにひとり、ワインを少しだけ、でも流し込むように、飲んだ。

          書きたいと思った。でも書けないと思った。だからお風呂上がりにひとり、ワインを少しだけ、でも流し込むように、飲んだ。

          お店で、お香を炊いていた。煙がつーっとまっすぐ上がって、くるくるっと輪を描いて消えていく。流れに身を任せて踊っているようで、なんだかとても落ち着いた。お香って、香りだけじゃなくって、全てを含めた空間まるごと愉しむんだな。

          お店で、お香を炊いていた。煙がつーっとまっすぐ上がって、くるくるっと輪を描いて消えていく。流れに身を任せて踊っているようで、なんだかとても落ち着いた。お香って、香りだけじゃなくって、全てを含めた空間まるごと愉しむんだな。

          11/11

          朝起きてパンを焼いていたら、 「今日なんの日か知ってる?」 と父に問われた。 幼い頃からあまり父と過ごす時間がなく、微妙に話し方がわからない私は、パンを見つめたまま 「結婚記念日」 と答えた。 その様子がとても嬉しそうで、顔が綻んでいて、母のこと結構好きなんじゃん、と思うなどした。 「あ、覚えてるんだ!」 「…ポッキーの日」 「それも正解」 「今日何かするの?」 「ご飯食べに行くよ、実は今日で30周年。イオもまだ生きてない30年!」 「そりゃそうだよ、…結婚って、いいもので

          これはただのひとりごとです

          帰国してもう2週間が過ぎた。 海の向こう側アメリカから、生まれ育った国日本へ。 砂漠の真ん中にある小さなまちRenoから、日本の真ん中東京へ。 30分バスに揺られて通っていたUNRから、1時間満員電車に乗って通う東京の大学へ。 そうか、2週間前、私はあの地にいたのか。 もうなんだか遠い昔のことのような気がする。 土地が変われば暮らしも変わるわけで、私の生活はガラッと変わった。 でも、うんとこしょって重い腰を持ち上げて慣らしていったわけでも、 逆カルチャーショックみたいに驚

          これはただのひとりごとです

          Life in Reno -序章-

          アメリカに来て、1 カ月半が経過した。残すところあと 3 カ月半の留学。本当は 1 カ月経過時点で一度記事を書こうと思っていたので、当初の予定よりは少し遅れた投稿となる。あっという間だったこの 1 カ月半の間でも、だいぶ自分の中に変化が生まれたような気がする。 まず私がアメリカに来た経緯から書くと、正直喜び勇んで渡米してきたというわけではなく、良く言えばご縁、悪く言えば成り行きで留学が決定した。大学のプログラムで組まれている研究室配属の期間。大学の研究室に所属するほかに、海

          Life in Reno -序章-

          生きるとか死ぬとか

          友達は、広く浅く、でもその中で本当に信頼できる人を数人作り、そこだけは狭く深く付き合うタイプの人間だ。だからなのか知らないが、「恋愛すると重そう」とよく言われる。その重いの基準も、なぜネガティブなニュアンスで伝えられるのかもわからないが、それはあながち間違いではないと思う。恋愛関係であれ親友であれ、それはあまり変わらないのだが、大切な人に対してはとことん愛を伝える。「生きていてくれて本当にありがとう、あなたが笑顔でいてくれるだけで幸せです」「あなたに出会えたから今の私がいます

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          生きるとか死ぬとか

          ものさし

          高校の留学仲間で、ずっと大好きで尊敬している先輩がいる。端的に言うと、自分の芯が尋常じゃないほど強く、周りの人を渦の中に巻き込むのがとても上手で、一度決めたことは必ず達成してしまうような人。周囲の反対を振りきり、学歴よりもやりたいことを優先して進学した彼女は、大学受験後にオーストラリアに旅行したらしい。そこで衝撃を受けたのが、大学名ではなく何をやりたいのかを聞いてくれたこと、彼女を肩書を通してではなく、ひとりの人として見てくれたことだったという。それを聞いた当時の私は、そんな

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          ものさし

          お兄ちゃん

          人と知り合ったばかりの時には大抵兄弟の話になるけれど、私はその類の質問が大の苦手だ。一人っ子ぽいと言われたり、下の子がいそうと言われたり。一人っ子は我儘でマイペース、下がいる人は面倒見がいいしっかり者、みたいな「公式」があって、それに当てはめて楽しむ。この遊び自体に悪いところはないのだが、私は自分の番が回ってくる前に話題が移ることを祈り、極力存在感を消してその場でじっと待つ。 小学生の時は答えるのが面倒くさくて、一人っ子だよ、なんて言ってテキトーに流していた。そのうち一人っ

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          お兄ちゃん

          そよ風に吹かれて、桜の花びらが舞う。 空を仰ぐと、葉の間から漏れてくる光がまぶしくて思わず目を細めた。 甘くて柔らかい香りに包まれる。 風になびいた髪が、スカートが、くすぐったい。 あたたかくて、優しい季節。 ひな祭り。こどもの日。家族の季節。 卒業式。入学式。出会いと別れの季節。 「春が来た」という合言葉。 私と、私の周りにいてくれる人たちのお話。

          クランクアップ

          ひとつの大きな区切りを迎えた。 ひとつのとか言ったけれど、二回目にしてようやくしっかりとした区切れ目、という感じ。 前回のはもう手でちぎれそうなところまで点線と切れ込みを入れて、今回はきちんと折り目を入れた上でカッターで切り取った、みたいな区切れ目。 だから一回目でほぼ終わっていたのだけれど、それがすごくすてきな形で完成して、とてもほくほくしている。 その点線の微妙に繋がっているところが私の心を支えてくれていたような、それでいて紐で背中を繋がれていたような、そんな感覚だった

          クランクアップ

          ランドセル

          ある日、小学校からの帰宅途中に突然、私は「私」から逃れられないことに気づき、愕然とした。 世界が突然、足元から崩れたような感覚だった。 今でもその時のことをはっきりと覚えているが、その記憶が第三者の視点からのものだという点で、少し不思議な記憶である。 目で見えるものも、耳で聞こえることも、手で触れられるものも、全部自分の外側にあるのに、全部「自分」を通してしか確かめられない。 五感なんて信じられなかった。目で見えているものが、もしかしたら他の人には違う形で見えているかもしれ

          ランドセル