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私という人間

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切ったら楽になりました。

家族! 切りました。 切った!と言っても 縁切りした訳ではなく 感情面での話 私の家族は 家族仲良くが口ぐせの母 この言葉が 深く刻み込まれていて 兄弟に嫌な思いをさせられても傷ついても 仲良くしてた。 だけど 以前にも書いたことがあるけど 色々感情を吐き出して  兄弟といえど 仲良くできないものはできないと ようやく割り切った。 そして 今 すごく楽になった! 父の納骨の日も 1歩下がっていた。 今までは 姉だからと フォロー入れてあげないととか  考えていた

父の遺品?

父がなくなる前に見つけたある引き出し 書類ケースである。 私は その書類ケースが好きで  子どもの頃は シャッターを開けては閉めてを繰り返し遊んでいた。 誰もいないときに… なぜなら 閉めたときの音がなかなかうるさいのだ 素材は鉄でできていて シャッターがついているのがお気に入りだった。 それを見つけ持って帰るかどうか随分悩んだが 49日が終わったら持って帰ることにした。 使い道はあるものの 使い勝手はどうなのか? 思い出と懐かしさ 天秤にかけて懐かしさが勝った

家族だから気づかない話

先日 父が亡くなり  私は また 嫌な思いをする日がきた。 毎回 家族に何かあると私と母はケンカになる。 ケンカになるというか 私が母の言うことを聞いてあげて行動やアドバイスをするのだが 母は事が終わり落ち着くと私は必要としなくなる。 そして 私が必要な事を質問しても弟たちとの楽しい会話をひたすら私に話してくる。 肝心なことを聞いているのに… そして私がキレる!!の繰り返し その繰り返しで さすがに私も堪忍袋の緒が切れた。 母が私に「あんたはいつも私を苦しめる!」

決断力の弱さ

数日前 空を見上げたら月がきれいだった。 『写真撮りたいなー でもスマホだしきれいに写らないかも 寒いし 早く帰りたい!』 そして スマホも取り出さず そのまま帰宅… 朝起きて後悔する。 photoACを始めて 写真のストックが欲しいくせに写真を撮ることを躊躇する。 私の悪い癖だな。 こういうところをなおしたくて noteを始めてみた。 私の中では かなりの決断だった。 そして photoAC 先日 snapmartにも登録してみた。 そう思うと かなりの決

私は強くない!

どうして私は強く見られるのだろうか? 生涯の悩みである。 一緒に働いている人がうつ病を発症すると私はそれを敏感に感じとって私までおかしくなってくるから  私は その人と引き離してほしいと頼み込んでいた。 うつ病を感じとるとは言ってはいないが2人っきりで仕事はできないと訴えるが聞き入れてもらえない。 仕事を辞める覚悟はできている。 ただ生活がかかっているのでギリギリまではガマンするつもりだけど… 今回上司が動いてくれたおかげでどうにか引き離してもらえたが  ひきかえに

逃げ癖?

今日は 久しぶりに自分について書いてみよう! 頭に浮かんだ言葉は【逃げ癖】 私には 辛くなると逃げる癖があるのでは? イヤッ!確かに逃げ癖がある。 今の仕事も辞めたくなっている。 今の仕事は大好きだ!でも最近体調不良になり 逃げたくなっている。 持病の事を思えば 辞めたほうがいいのだけど 生きていくためと仕事のおもしろさで続けてきた。 それが 疲れがたまり目眩で3日間寝込んだら心も折れた。 そしたら 逃げ癖が出はじめた。 この【逃げ癖】について頭をよぎることがあ

人に歴史あり

先日 父の病院の日に実家に帰った時の話 母が 父の面倒を見るのにストレスがたまっていたのか ずっとしゃべり続けていた。 私は 話半分に聞きながら テレビを見ていた。 話半分に聞いていても 昔話は面白く 父とのエピソードに祖母とのエピソード等 今まで知らなかった話が出てきた。 1番衝撃だったのが 夫婦喧嘩して叩いた話だった。 いつも 父を立てる母だけど 過去に叩いたことがあったとは 驚いた! いつも父とケンカになりそうになると私に折れるように言ってくる母がまさか手を挙げた

癒やしのごはん

父の病院通いに付合って 1月程になる。 母は 父を一人にできないので買い物にも行けてない。 なので ある日の病院へ行く前に 大阪の鶴橋で途中下車(といっても乗り換え駅なのだが)して おかずを買っていくことにした。 早朝の鶴橋へは 久しぶりなのだがお盆とお正月以外に行くのははじめてだった。 (なぜお盆とお正月に鶴橋へ買い物へ行くのか? これはまた次回書いてみようと思います。) 早朝に鶴橋へいったら むし豚の美味しい部位が手に入る。いつもは どうしても午後からになってしまうの

私という人間 番外編

2021年夏 今 人気のエゴマは私の大好きな食べものです。 日本では エゴマ油が体に良いと有名だけど韓国では 葉っぱを漬けて食べる。 エゴマの葉は 【ごまの葉】としてお店で売っているのだけど  このごまの葉は ものすごく ご飯が進む食べ物なので 私は コロナ禍になる前から 食べ過ぎをふせぐため 食べるのをやめていたのだが  『そろそろ ごまの葉が恋しくなってきたなー 買いに行こう! コロナ禍なので さっさと行って さっさと買って帰ろう!』 『あれっ?? ごまの葉が売っ

私という人間 エピソード3

ちょっと季節外れだが おせちの話 たまに 聞かれる『お雑煮は白味噌?それともお吸い物?』この答には 本当に困る。そんな私は 適当に相づちうって話を終わらせる。 この質問の答えは 『食べたことがない』これが本当の答食べたことがないと言えば 「どうして?」となり きっと話しは長くなるから面倒なのだ。 おせち料理も お雑煮も本当の事言うとおばあちゃんの家で1度 食べた記憶がある。 では なぜ食べたことがないのか?それは 生活様式の違い!ただそれだけ… 韓国では お正月もご

私という人間 エピソード2

私に韓国人だと言った先生は かなり韓国が好きなようで ついには韓国人の私達を集めて韓国の勉強をすると言い出した。 私の同級生には韓国人がけっこういたが 何も全員が韓国人ではない。どちらかの親が日本人という子もいる。自分の子どもに韓国人だと知らせることを嫌う親もいるし 差別の強い時代だから 子供が差別を受けないように親が守りに入るのは当たり前 私も親に外では韓国語を使わないように言われてた。 子供だったから具体的に〇〇の言葉は外では使うなと言われてた。 4-5人が参加してい

私という人間 エピソード1

小学校の作文で うっかり韓国語を使ってしまった時の話 何年生の時の作文だったかは忘れた。 私は 子供の時市営住宅に住んでいた。階段の踊り場で たぶん弟と遊んでいたんだと思う。ゴムとびをしていたような記憶がある。 そこに 叔母が遊びに来た。この叔母っていうのが 韓国語で『コム』と呼ぶ。(コムと言う呼び方が 間違っていると知ったのは結婚してからだった) この出来事を作文に書いた私は 『コム』の部分を『おばさん』と直すのを忘れて コムが遊びに来た。コムが…コムと…と作文を書

私という人間

幼い頃から 心の奥にしまっていた気持ち疑問を このnoteに書き出したらどうなるのだろう? 自分の中の何かが 変われば良いなと思い勇気を持って投稿してみることにした。気の小さい私は この記事がきっかけでnoteへの投稿をやめるかもしれない。 それでも noteになら投稿できると思った自分を信じてみよう! 小学校に入学した時 担任の先生に言われた言葉は『あなたは 韓国人です』だった。その時の私の反応がどんなだったのか その後に続く先生の言葉は 『日本人じゃないですよ』だっ