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被災地にゴミを送りたがる人の心境って、つまりこういう感じなんです…

■被災地にゴミを送る人の心理

前回の記事でも書いたのですが、被災地の人々に「ゴミを送る人」というのが一定数いらっしゃるわけです。
正気を疑ってしまうのですが、この「ゴミを送る人」の半数くらいは「本当に善意で送っている」からタチが悪いのですよね…(-_-;)

「賞味期限の切れた焼き肉のタレだけど、何もないよりはいいだろう!」とか。(←被災地は焼き肉なんか食べられる状況じゃないのに…?)

「穴の開いた古着だけど、寒さはしのげるはず!」とか。(←自分がそんなことされたらどう思う?)

「送ってしまいさえすれば、受け取った人が工夫して使ってくれるはず」とか。(←生活に困窮していらっしゃる人にどうしてそんな苦労を強いるのか?)

そして「こんな私はとてもいい人間だ!」という悦に浸っている…。

以前にもnote記事にしたためたことがあるのですが、
こういう人たちの中には、信じられないことに「誰かに寄付するためにあえてゴミを捨てずに大事に取っておく」という人までいらっしゃいます。
(だからこそ、被災地に俊敏にゴミを送りつけることができるんです)

というか、そう言う方のお片付けのご依頼を受けたことがあるのです…(-_-;)

その方曰く、
「私は以前からホームレスの人々への寄付を続けている」
「本当に困っている人たちと言うのは、何を貰っても喜ぶものなのよ」
「だから私はこうしてゴミでもとっておくの!」

本当に目を輝かせてそう仰るのです。

つまり、自分が贈っているものが「ゴミ」だという認識はあるのです。
ゴミだと認識しているからこそ、すごく粗雑な扱いをなさっています。見た目にもまさにゴミなのです。
自分の衣類は高級な桐ダンスの中に入れられていますが、穴の開いた服は古びたダンボールにぎゅうぎゅうに詰め込むだけ。もちろんホコリまみれです。

でも。その方は続けます。
「実際に、私が寄贈したゴミみたいな洋服を着た人から、喜んでお礼を言われたことがあるの!」
(そりゃ、立場が弱いから何も言えないだけでしょう…)と思いましたが、その人にとっては「自分が贈ったゴミでお礼を言われた」というのは輝かしい実績でもあります。
だから「そのゴミは絶対に捨てないで下さい!」と言う。

■承認欲求より怖い「貢献欲求」

最近見知った言葉なのですが、人間には「貢献欲求」「他者貢献感」というものがあるそうです。

▶「承認欲求」と「他者貢献感」の違いは何ですか?
「承認欲求」は他人からの評価で決まるものだとお伝えしましたが、「貢献感」は他人の評価ではなく、自分がどれだけ他者の役に立っていると思えるかという基準で物事を考えます。

一見するととても良いもののように見えます。
他者基準の評価で生きる「承認欲求」よりも、自分らしく生きることを基準にした「貢献欲求」は、これからの時代にも馴染んでいる価値観のよう。
被災地の人のために何かしてあげたいと願うのは、人間としてとても共感のもてる生き方です。

ですが、そこの根底が歪むと…

このケースでは「自分の懐は傷めずに自分の自意識だけを満たしたい」ということ。
だから平気でゴミを送る。そのゴミで「自分は被災地を救った」と満足する。

きっとこういう人たちは、「自分は良いことをしているし見返りも求めない。なんて自分はいい人なんだ!」と思っているんでしょう。
見返りを求めないからこそ、自分の送ったゴミが被災地の人をどれほど苦しめているのか、考えることさえしません…。

あれだけテレビなどで「被災地にゴミは送らないで!」と言っても、送っている本人たちは「自分の送っている物はゴミではない」と思っているのです。
だからテレビの箴言も聞き入れない。そもそも耳に入っていないでしょうし、もしかしたらテレビを見ながら「そんなけしからん奴がいるのか!」と憤慨しているかもしれません。

それを回避できる唯一の方法は、その人本人が一度被災してみて、本当にそんなものを欲しいと思うか実感してもらうしかないのですが…
そう言うわけにはいかないところが難しいですよね…。

■要らないものは要らないという勇気を!

その人の価値観を変えるのは相当難しいことです。
だとしたら、こちらが変わるしかない。
このお客様のケースも、自分がゴミを贈ったら「喜ばれてしまった」ことが問題の一端でもあります。
奥ゆかしい日本人は、ゴミを押し付けられても文句も言えず、口先だけで「まぁ嬉しい」「ありがとう」と言うでしょう。
「こんなゴミなんか贈りやがって!」とまで言う必要はなく、「これはさすがに要りません」と丁寧に返せば、その方も(最初は気分を害されるかもしれませんが)行いを改める…かも。

片付けの現場では、自分で捨てる決断をできないばかりに
「これは息子に譲りたいと思います」とか、
「誰かに喜ばれるかもしれないから取っておきます」とか、
ゴミだと分かっていながら誰かに押し付けることで自分の決断を先延ばしする人が多数いらっしゃいます。

その心理はもう、仕方ないことと割り切って、
受け取る側が迂闊に「ありがとう」といって受け取らないようにする…しかないのかな…。

(どちらにせよ、「貰う側が苦労を強いられる」のは何とかならないものかな、と思いますが…)



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