【読書感想】「時が止まった部屋:遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし」

noteで匿名にしている&仕事募集をしていないのは、公にできない四方山話を自由に吐き出したかったからなのですが、それでも書くのをためらっていたのが、数年前に起きた身内の孤独死のことでした。

■身内の孤独死のこと

とある年のこと。
仕事から帰ってきたら、固定電話に留守電が入っていました。どうせセールスの電話か何かだろうと何気なく再生ボタンをおしたところ、
東京警視庁の〇〇と申します。佐藤太郎(仮名)さんのことについて、何かご存知でいらっしゃいましたらすぐにお電話をください。番号は…」という内容。
当然、いたずら電話だと思いました。私の住んでいる場所は東京からは遠く離れた地方。ましてや佐藤太郎なんて名前、訊いたこともないし。
…と思ったのですが、よくよく考えたら思い当たる人がいるのです。主人の方の親戚筋(義母の家系)に、そんな名前の人が、確か、いたような。
覚えていないのも仕方なく、自分の結婚式の日に一度チラッとお会いしたことがあるだけ。年賀状も主人が出しているので名前も辛うじて憶えていた程度。
ただ、「東京のおじさんは独身だけど、とてもいいところにお勤めだから羽振りが良くてね~」なんて話を聞いた記憶もあります。そのおじさんと、同じ名前。
慌てて主人と義実家に電話。どうやらその「おじさん」が、東京のマンションで孤独死していたということだそう。孤独死はすべて警察の管轄となるため、我が家や義実家に連絡が行っていたらしいのです。
我が家にまで電話がかかってきたのは、どうやら年賀状を片っ端から調べ上げて、交友関係を調べているのだとか。
私が電話に気付いたときにはすでに調べも終わっていて、事件性もなく、単なる孤独死として処理が進んでいました。

■発見の経緯

おじさんのマンションの隣の部屋がリフォームすることになり、業者さんがベランダで作業をしていたのだそう。その際に、おじさんの部屋で倒れている人を発見。すぐに通報し、孤独死だと判明したのだとか。

私にとっては「名前しか知らない」「他人以上知り合い未満」みたいな人。ですが義母の兄弟ということもあり、義母は落胆したことと思います。
義母に詮索するわけにもいかず、結局どういう結果になったのかは詳しく聞いていませんが、心のどこかに残っていたのは確かです。もしかしたらこういう経験から、遺品整理などに興味を持ったのかもしれないと思う今日この頃。

■「時が止まった部屋」読了

ありがたいことに、私はまだ特殊清掃が必要なお宅にはお伺いしたことがありません。一応メインは「生前整理」ですし、きちんとご家族がいらっしゃるご家庭での「遺品整理のお手伝い」くらい。
ですが著者は若い女性。こんな現場に自ら飛び込んだというのは、かなり勇気のあることだったのではと拝察します。

この本を読んでいて良かったと思うのは、「孤独死でも、自宅で死ねたのはいいことではないかと思う」という文章。
私はずっと東京のおじさんは「可哀想な人」だと思っていたのだけれど、自分で買った思い入れのある家で死ねたのは、もしかしたら本望だったかもしれない。そう思わせてもらっただけでもありがたかったです。

自宅で死ぬということは、いまの日本ではかなり難しいこと。「病院ではなく自宅で家族に看取られて死にたい」という、人間なら普通に抱きそうな希望は、ほぼ叶えて上げることができません(なんでも、医者も嫌がるんだそうですね)。

ミニチュア未経験という著者ですが、精巧に作られたミニチュアは本当に圧巻。そして、私も経験しているゴミ屋敷の様子を緻密に再現してくれていました。
布団の周りだけで生活している人の家、ゴミがうず高く積まれた家、猫の多頭崩壊の末の孤独死など、清掃業に携わる人間としては「あるある」と思いながらページをめくりました。

amazonの書評を読んでいると、「内容はとてもよかったけれど、自分の本棚に置くのが辛い」みたいなコメントもあって、一般の人にはそうなのかもしれないなぁと思いました。

私自身も、noteなどでゴミ屋敷の話などをするのは、「どこかの誰かに知ってほしい」「死を意識していない誰かひとりにでも伝わればいい」という気持ちがあります。

特定の宗教を信奉する必要はないと思っていますが、それにしても「死」を怖がりすぎるあまり、「死」を忌避し、目を逸らしている人が多くて、少し懸念しています。

先日も、目標と手段を取り違えないようにしなきゃな、というようなnoteを書いたんですが、人間の行きつくところは必ず「死」なので、そこを見据えて行動しないといけないはずなのに、そこから目を背けている人が多い。だから、ついのんびりと、優先順位の低いことばかりしている(ように見えることがある)のです。
私は「亡母(享年は40代)と同じ年数しか生きられない」という想いで生きています。あと数年の命。限りがあるからこそ、今やらなきゃならないことが見えてきます。
いや、そもそも明日、次の瞬間にだって事故で死ぬかもしれない。もちろん仮定の話なのでそんなに恐れる必要もないのですが、今日限りの命だと思いながら生きていくと、何が自分にとって一番大切かが見えてきます。

■自分のすぐ隣に「孤独死」がある

著者が、お若いのにこの業界に飛び込んできた理由が、やはり身内の孤独死だったそうです。著者がお勤めの会社の社長さんは、これまたお若い頃に恋人を自殺で亡くしたのだそう。
人の死は、確かに誰かの心を殺すほどの衝撃と深い悲しみを与えます。特に自殺や孤独死であった場合、より一層強くなるでしょう。

ですが、それをきっかけに特殊清掃の仕事を始めた著者らをみていると、
「死」を考えることが、「よりよく今を生きる」ことにつながる
ことがよく分かると思います。

確かに孤独死を迎えた人は死んでしまったわけですが、それに連なる遺族の気持ちを汲み取って、丁寧に遺品を整理し、最後、部屋に花を手向ける著者たちの話も載っています。
現場に残された猫を飼うためにわざわざマンションを引っ越した話なども、とても身につまされました。

辛い事柄が掲載されている本には違いないのですが、きっと、離れて暮らす故郷の親や、近くに住む独り暮らしの人などに優しくしたくなる、そんな気持ちになれる一冊だと思います。

あと、こちらの映画もいろいろ考えさせられる内容なので、ご興味ある方はぜひ。


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