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人任せにしてはいけない

コロナ騒動でお家の片付けを進めている人が多いようです。
理由はどうあれ、「片付け」「整理整頓」に目を向けていただけるのはありがたいことですね。これを機にぜひ家の中をスッキリさせていただきたいです。

ところで私は今回の外出自粛を機に、一斉に捨てたモノがあります。
今までも悩み続けていたものですが、このタイミングで「えいやっ!」と。

それは、長年溜めていた「手紙」です。
わざわざ取っておいたほどですので、大切な友人達からいただいたもの。
読み返すと、当時のことが思い返せるくらい。お互い愚痴を言い合ったり、くだらない日常のことを書き連ねていたり、思わず読みふけってしまいました。
それをあえて捨てようと思った理由をつらつら書いてみようかと。

■捨てられないものの筆頭は「手紙」と「写真」

お片付けサービスや生前整理、遺品整理を生業にしていますと、どんな家でも共通して「捨てられないもの」というものが見えてきます。その最たるものが、やはり「手紙」と「写真」。
写真に関しては、誰かが写っているというだけで捨てにくくなるもの。なんとなく恨まれそう、とか、化けて出てきたらどうしよう、てなもんです。
同じく手紙というのは捨てにくいですね。特に筆まめな人からの、直筆で長文の手紙などは、申し訳なさが込み上げてきます。

年賀状などは、年始の挨拶程度しか書いていないので、割と捨てやすかったのですが、書簡となるとさすがの私もちょっと躊躇いがありました。
ハガキのように紙面が限られていないため、便箋に何枚もしたためてある文章は、年輪のように記憶に刻まれています。どれもこれも大切なモノでした。

■他人のものは余計に捨てにくい

結局捨てられないまま、その手紙は多くが遺品となっていきます。
そしてご家族が困惑します。
「これ、勝手に捨ててもいいものかしら…」と。
紙だし、さほど邪魔にならないから…とそのまま箱に保管されてしまうのが関の山。
ですが、ご存知の通り紙は結構な重量ですし、中には個人情報が入ってることも多いものです。実際、私の貰った手紙には住所や「新しくなった携帯番号」などがたくさん書かれていました。
それ以外にも、湿気やすくカビやすいこと、燃えやすいことなどもあり、思わぬところで負の財産になります。

■捨ててあげられるのは私だけ

こう考えていくと、私が決断し、私が捨てておくしかないな、と思ったのです。自分が判断できなかったからと言って、「残された家族が捨ててくれるだろう」と他人任せにせず、自分できちんと目を通し、捨ててあげないとダメだな、と。
正直、今だからこそそう感じたのだと思います。
私もいつ感染するか分からない。そして、もし万が一にも命を落としたら、この片付けを子供や主人にさせてしまうことになる。
それでなくとも人生折り返し地点で、いまからはモノを増やすよりモノを手放していくことを考えて生きていかないといけない。

久々に読み返した手紙は本当に懐かしく、胸に染みました。
ですが、今回恐ろしい感染症が身に迫っているという危機感がない限り、読み返すことさえしなかったと思います。
捨てる決意をしてよかったな、と思いました。

■送った相手はおそらく忘れている/捨ててほしい

逆に、ちょっと不安に思ったことがあります。
私自身も長文の手紙をよく書く人間でした。長文の手紙のお返しには、当然それ以上の長さの手紙を送っていたものです。
もしかして、友人たちの家で、私の書いたその過去の恥ずかしい手紙の数々が眠っているのではないだろうか…!?
何を送ったかも思い出せませんが、「今すぐ捨ててほしい!」としか思いませんでした(笑)

自分で何を書いたか思い出せないものを、取っておいてほしいとは思いますか? いや、もちろんそういう方もいらっしゃると思いますけど…私は「捨ててもらって構わない」「むしろ捨てて!」ですね。

■写真の整理も同時に。残すなら「処分してOK」など一筆書いておこう。

同じように写真もとても捨てづらいものです。なるべく早めに自分で整理をしてあげてほしい。
ですが、どうしても自分が生きている間は処分したくない、と思うのなら、アルバムの表とか、保管している箱の表書きに「処分可」とか、一言残してあげておくのもアリかな。残された人の心の負担を、少しだけでも取り除いてあげたいと思いました。


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