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サービスだらけの新入生歓迎行事

教育を本気で語る会のマサです!
始業式や入学式が続くこの時期に、
高校1年生の校内案内係を割り当てられて気付いたことがあります。
過剰なサービスになってない?
この気付きについて考察してみます!

1 生徒の思考力を奪う教師のサービス

校内を周る新入生に、階段付近で
「次は1階に降ります!」という案内係を担当しました。
ひたすらこのセリフだけを言い続けて、
5分程経って思いました。
自分の仕事の目的は何なんだろう?
生徒が道を間違えたら行けないから?
生徒は順路も地図も持っているから間違えないのでは?
高校生が校舎内で迷子になって何が困るのか?
立て看板でいいのではないか?

2 人の代わりに看板を立てると?

立て看板を置いてからは、最初は横に立っていました。
横に立っていると
こっちですか?とずっと生徒に聞かれるので、
看板からがっつり離れて立ってみました。
そしたら、何も聞かれなくなりました。
というより、生徒が聞ける距離にいないので聞こうとしなくなりました。
すると彼らは持っている順路と地図を見て
自分で考えて階段を降りてくれました。
数百名の生徒が通過しましたが、誰一人道を間違えませんでした。
改めて考えました。
自分の業務の目的は何だったんだろう?

3 発明の動機は楽をしたいから

「何とか楽できないか…」人類史上の画期的発明や科学技術の発達はすべてここから生まれているんだ

ドラゴン桜 12巻 108限目〜面倒臭い〜より

立て看板を立ててみてから、
ドラゴン桜のこのセリフを思い出しました。
立て看板は発明とは程遠いものですが、
目的の見えない仕事をやりたくないのいう思いは共通しています。
そもそも、生徒が自分で考える機会を奪ってしまっています。
それ自体が本来の目的と乖離しています。
仮に生徒が道を間違えたとしても大した問題ではないと思います。
命に関わる危険な教育活動にはサポートをつけるべきですが、
校内迷子くらい、どってことないです。
プライオリティを考え直すいい機会になりました。

4 人のせいにする生徒を育てている

従来の学校では、「人のせいにする仕組み」ばかり作られているように思うことがあります。固定担任制はまさにそうです。ある担任が、うまくクラスをまとめられない状況に陥っているとします。もちろん背景にはその教員の力不足もあるかもしれません。クラスにいる子どもたちも「うちのクラスは落ち着かないな。あの先生だからしょうがないよな」と考えるようになってしまう。

麹町中学校元の工藤勇一元校長がこのように言っています。
今回の案内係も同じです。
ある先生が案内を誤って順路を外れた生徒がいて、
数名の先生から正しいルートを教えてもらったあとに
「あの先生がこっちって言ったから来たんだよ!俺らは悪くない!」
と激怒していました。
遠目にその光景を見ながら、
案内係がなければこんなことにならないのでは?と思いました。
高校生が順路を誤ることはほぼないです。
もし道に迷ったとしても、自分で何とかしてくれます。
分からなかったら人に聞いたりできます。
道を教えてくれた生徒と仲良くなるきっかけだって生まれます。
このような自律する機会を奪っているのは、
教員が何も考えずにやっている従来の業務なのだと思います。
他の教員と対立を生まないような小さな業務変化を、
これからもすこーしずつ起こしていってみます!
教師版クリティカルシンキングに挑戦していきます!

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