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199 ナンセンスの系譜

センスの哲学』(千葉雅也著)を読み始めた

 発売間もない『センスの哲学』(千葉雅也著)をhontoで購入。さっそく読み始めた。なんと優しさに満ちた語り口であろう。これまで同じ著者の『勉強の哲学』『現代思想入門』でもそうだったのだが、優しい。しかも『センスの哲学』は明るい。春の日だまりのような本だ。もっとも、最初の方しかまだ読んではいないけれど。
 ここからは、本の感想ではない(なにしろまだ読み始めたばかりだ)。
 センスについては、仕事に就いた頃によく悩んだ。
 仕事というものは、とかくセンスで語られたのである。80年代はそういう時代だった。「センスがあるのか、ないのか」を酒場で延々と語っている人もいたのだ。
 私は、無頼派とまではいかないが、自分にセンスがあるとは思えなかったので、センスについての議論は無視していた。語り合って解決する話ではないからだ。
 仕事におけるセンスの話は、どちらかといえば、否定するために使われていた。「Aさんはセンスがある」と言うことは、自分がAさん派であることを示す。要するにAさんが好きなのである。そして「Bさんにはセンスがない」と言えば、Bさんが嫌いなのだ。好きか嫌いかを仕事を絡めて話すときに、センスはとても便利だった。
 一方、私は、「ゲバゲバ90分」を見て育ったし、そもそも「ナンセンストリオ」もお笑い界にいた時代を知っているので、「ナンセンスな笑い」で育った。ナンセンストリオには、初期に青空球児がいたこともあり、「親亀の背中に子亀をのせて」というナンセンスな歌でブレイクしたナンセンストリオを辞めてから、青空球児が「ゲロゲーロ」にたどり着いたと思うと、なんだかおもしろい。
 私自身は、そこから筒井康隆など初期作品でたっぷりナンセンスを楽しんで育った。「モンティパイソン」もテレビ放映に飽きたらずレーザーディスク盤も持っていた。メル・ブルックス監督作品も楽しんだ。ナンセンスなお笑いが好きなのだ。
 ナンセンスそのものは、昭和初期へ遡る。いわゆる「エログロ・ナンセンス」の時代である。昭和5年頃からの風潮とされる。江戸川乱歩に代表される猟奇系を含めて小説、雑誌にと拡がっただけではなく、歌謡曲、舞台へも拡がるムーブメントだった。ナンセンス(Nonsense)は「無意味」ということなので、さらに遡るとマザーグースのような意味不明の童謡などへ行き着く。無意味なことはおもしろいのである。ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」もナンセンスに満ちている。
 近い概念に、不条理、シュールがある。しかし「ナンセンス」は、不条理やシュールと違って、さまざまな事象へのアンチとして使われてきた。労働者たちは会社側の回答に「ナンセンス!」と断固拒否をし、学生は大学側の回答に「ナンセンス!」と叫んでバリケードを作った時代があった。聞く耳も持たないほどの否定だ。
 つまり、現状を打破するための全否定としても使われていたのである。お笑いの世界だけではなかった。

なにを選ぶべきか?

 話を戻そう。仕事に就いてから、どうしてセンスについて悩むことになったのか。
 それは、たとえば、デザイナーが雑誌のロゴについてA案、B案、C案と持ってきたとき、どれを選べば良いのか? 私としてはどれでもいいのだが、そういうことは言える雰囲気ではない。空気を読んで、偉い人たちがどれを気に入っているのか探りたいのだが、どうやら偉い人たちも、こちらがどれを推したいのか探りたいらしい。
 NHKドラマ「舟を編む」の中で、装丁を担当する売れっ子デザイナーが3案持ってきて、編集部で「どれもいい」「3パターン作ろうか」といった会話になったとたん、デザイナーは「だめだ!」と全案をぐちゃぐちゃに丸めて撤回する。正確なセリフは忘れてしまったけれど、要するに「いいもの」は衆議一決するものだというのである。
 もちろん、それは理想だけど、現実、仕事では「なにを選ぶべきか?」で自分たちが試される場面が多々ある。酷いときは、飲み屋のチョイスとかランチのチョイスでさえも、「あいつ、あんなの選んでるぜ」と言われてしまいかねない世界なのである。
 こうした場面で、当時は「センス」が飛び交った。いや、そんな派手には飛ばないけれど、参加者たちの胸の内に「センス」の文字がビカビカに光っていたのは間違いない。この場面でもっとも悲しいのは「おまえ、センスないな」と言われることである。そもそも「いいセンスしているね」なんてセリフはいわゆる「歯の浮くような」言葉で、気に入った相手に取り入りたいときに頻出する軽みがある。
 ところが「センスないね」は重いのだ。一度、「センスない」と言われたら挽回するチャンスはほぼない。そもそも、次の会議には呼ばれない。だって「あいつセンスないから、呼んでもしょうがない」となるから。
 それぐらい、「センス」は恐ろしい。しかも私はナンセンスが好きだ。「センスのあるなしを語るなんて、ナンセンスだ!」と叫ぶ派である。
 しかし時代は変わった。
 いまようやく、穏やかで優しい言葉で「センス」を語る時代が来たのだとしたら、こんな喜ばしいことはない。もしかすると、ナンセンスの時代ではなく、センスの時代が到来するかもしれないのだから。

描きかけ



 
 


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