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クルド人問題② 湾岸戦争大国のエゴ

1990年8月急遽、イラク🇮🇶軍はクウェートに侵攻した。当時高校生だった自分は元気であった父親と毎晩兵器の性能差や力の差を語り合った。変わった子供と父親であったに違いなかった。


ナイラ、イラク軍が子供を殺していると証言。ただ彼女はアメリカ育ちでイラクには行った事がない。

イラク軍が中東で陸軍が最強だったのは、誰でもないアメリカの軍事支援であった。その借金を返すべく原油の価格を上げようと諸国OPECに要請…しかしクウェートもコレを却下。アメリカとの協定があった。イランの独立政権ホメイニ氏のイスラム教へ立ち返る政権と戦う国として、サダムフセインは使われたがここで大いに叩かれた。


言い得て妙である。

クルド人の問題に戻ろう(´・Д・)
イラクにてクルド人が武装蜂起を各所で起こした。ブッシュ大統領は彼らを言葉でも武器でも支援、イラク国内にいるクルド人は勢いを取り返してイラク政府軍に立ち向かったのである。


イラク北部のクルド人難民キャンプ。

クルド人はアメリカをはじめとする国連軍に協力した。それはイラクのサダム政権に対する不満もあったに違いない。しかしクウェートを解放したアメリカは政権崩壊やクルド人の台頭を恐れ、地域の武力バランスを考えていわゆる大国エゴでクルド人を見捨てた。
大きく軍事力を削がれたサダム政権だったが、ここで自国内のクルド人に温存していた軍隊を使い化学兵器を使用していく。

戦争には大義が必要である。イランも国王時代はアメリカの傀儡国家であったし、蜜月の関係であった。しかしイスラム原理主義のホメイニ氏が国家権力を握るとコレに対抗させる為にイラクへ武器支援。イランイラク戦争が勃発、圧倒的な武器を背景に押し出したイラク軍を肉弾自爆で対抗するイラン軍。ここでもアメリカの中東の軍事支援は裏目に出た。

クルド人がかなり悲惨な運命になったのはわかって貰えたと思う。しかしコレは歴史の中でのほんの一部に過ぎない。多くの国家や民族が道具にされて反米に舵を切っていく理由だ。

次回はクルド人のトルコにおけるクルド人の立場やEUにおける少数民族(まあ少数っていう事がおかしいですが)を書こうと思います。
日米安保を信じている人、あれは「日本人は何をしでかすか、わからないので米軍を駐留しておこう」 そんな意味もあるとしたら、有事の際に中国と政治的な妥協点見れば簡単に捨てられる可能性も考えていいかもです。
#知らんけど


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