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古本市のない生活④「旅先の古本屋」

何らかの所用で、遠出をすることになったとき、目的地周辺に「古本屋」があるかどうかを確かめるようにしている。
Googleマップの検索欄に「近くの古本屋」「古書店」と打ち込んでみると、思った以上にヒットする件数が多いことに驚く。
もちろん「古本屋」といっても、何十年にもわたって営業を続けてきた老舗店もあれば、所謂「新古書店」と呼ばれるBOOKOFFや古本市場などもあるわけで、ヒットするもののほとんどが後者に該当する事実はある。
私はBOOKOFFや古本市場を利用するにはするし、とくに嫌いなわけでもないのだが、やはり前者の古本屋の方が好きである。よって、旅先で近くに古本屋があることに気づいたときには、必ず足を運ぶようにしている。

今回は、作家・椎名誠の文章を通して、「旅先で古本屋に足を運ぶ」ことの面白さについて考えてみたい。

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○今回の一冊:椎名誠「タカラモノとしての本を求めて」(『寝ころび読書の旅に出た』ちくま文庫)

ぼくは旅が多いのだが、ひところは地方の歴史ある街に行くと必ずその土地の新刊書店と古書店に寄った。新刊書の書店には業界用語でいう「ショタレ本=長く棚に置かれたままになっている」があって、これが古書店効果を発揮して、とうに絶版になって諦めていた本などが見つかったりするからである。また古書店には、その地方でしか出なかったような希少本がけっこう見つかる。魚でいえば「鮒鮨」になるニゴロブナのようなものだ。東北や沖縄で、こういうエリア出版本というような本をけっこう手にすることができる。
 ただ、最近気になるのが全国にひろがっているいわゆる「新古書店」という、そのときだけの流行りの本やマンガなどしか置いていない大型書店がやたら目立つことで、なんだか「文化」としてもったいない。
 全国の若者が、あれを「書店」と思ってしまうのでは嫌だなあ、と思うのだ。つまりは新刊書も古書も区別のつかない文化がいま日本の最前線に出ているのだ。ああいう書店だけしか見ていない若者が、大都会の本物の巨大書店や神田あたりの古書店街を見て早く「何か」を知ってくれたらなあ、と思うのだ。
」(P224~225)

引用文中で椎名誠が言っているように、住んでいる地域によって多少の違いはあるとしても、いまの若い人における「古本屋」が「=BOOKOFF」になっている状況は否定できない。
何せ、私が大学生活を送るために「京都」に引っ越してくるまでは、「古本屋=BOOKOFF」だと思っていた。
よくよく調べてみれば地元にも、幾つかの「古本屋」はあったにもかかわらず、である。
「もうすこし早く気づいていればなー」と後悔せずにはいられない。

地元では、最近になって、中心街の駅のロビーで古本市が開催されるようになった。京都や大阪の古本市に慣れてしまっている私としては、ほんの少し物足りなさを感じはするものの、楽しい青春時代を過ごした地で、多くの人が古本を手にする機会が生まれたことはとても嬉しい。
客層に目を向けてみると、やはりご年配の方が多いことに変わりはないのだが、制服を着た学生の姿もちらほら見えて、心から「高校時代から古本市か……羨ましいなー」と思ってしまう。

椎名誠は「古本屋」の特徴として、「地域性がある」ことを指摘している。例えば、京都の古本屋(古本市)に足を運ぶと、京都の伝統行事・寺社仏閣・食事にまつわる書籍に遭遇することは多い。これは、大阪や兵庫の古本屋であっても同じことが言える。
本棚に並べられた「エリア出版本」に注目すれば、ある地域において大切にされている文化や行事がなんであるのかを知ることができるだろう。

ぜひ、皆さんの旅の思い出に「古本屋」も添えて頂きたいと思う。

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