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太宰治が苦手だ……。短編集『走れメロス』の個人的な読み方。

『「暮し」のファシズム』を読んだ後、太宰治の『女生徒』を読みたくて、新潮文庫の『走れメロス』を手に取りました。

短編集『走れメロス』新潮文庫版には、以下の短編が収録されています。

『ダス・ゲマイネ』
『満願』
『富嶽百景』
『女生徒』
『駈込み訴え』
『走れメロス』
『東京八景』
『帰去来』
『故郷』 以上9編。

実は私、太宰治が苦手で、有名作品以外はあんまり読んでいません。
文章は滅茶苦茶うまいと思うんですけど、彼の人となりがどうも苦手なんです。

なので、太宰治についてどうこう書くのは、正直僭越ではないかという気がするんですが。(好きな方、多いし)

ただまあ、久しぶりに読んでみて「う〜ん、重いなあ」と思ったことと、やっぱり太宰は好きか嫌いかに分かれるらしいというのを解説で読んだので、苦手と感じる意識からの記事も、あってもいいかなと思いました。

なので、苦手目線の意見を、以下に記します。

疑惑の『女生徒』

『「暮し」のファシズム』で、翼賛体制のプロパガンダが入っている疑惑を書かれた短編『女生徒』について。
女学生視点の一人称で、女学生の日常を描いた短編小説です。

あらためて全文を読むと、言われるようなプロパガンダではなく、単に太宰治の好む女性像が投影されてるのでは? という気がしました。

いや、だって。
太宰って、女性を結構軽んじてるじゃないですか。

というか、当時の男性社会が求める女性像って、大正デモクラシーによって自ら考え行動する女性じゃなくて、一歩下がって男の命令に従う女……だったわけでしょ?
それは戦前戦中のみならず、戦後昭和・平成・令和へと続く日本の中で、ねっとりとしみついた女性蔑視の意識として、未だうっすらと残っていますし。(わきまえない女が~というアレですね)

当の太宰も、常に女性に世話させるのを当然と思っているし、度重なる自殺未遂には必ず女性を道連れにしてる。
この辺の話は『女生徒』ではなく、この本に含まれている『東京八景』なんですけど、青森の芸妓・初代さんを呼び寄せ、連れまわしながら、「(初代は)自分のことしか考えていない」とか言う。お前もだろ! 太宰!

『女生徒』の女学生視点の文章も、原作者があると聞けば「なあんだ」なんですけど。
どこまでが原作部分でどこからが太宰の創作なのか、そこが、ただ『女生徒』を読んでいるだけではわからないというあたりに、太宰の文章力を感じます。
でもやっぱり、有明淑さんの主張をぐるっと改変したのは、マイナスポイント大きいよ、太宰先生。

個人的に一番面白いと思う『駈込み訴え』

『駈込み訴え』を江戸時代の一揆の話だと思っていたことは、【3行日記】に書きましたが。

個人的に、この短編集の中で一番面白いのは、この『駈込み訴え』だと思います。
面白いから、まだ読んでいない人のためにネタバレしたくないんですけど。
一人称で書かれているが故の心理描写が、もう太宰治ならではで。

これ以上、何を書いてもネタバレになりそうだから、未読の方で興味を持たれた方は、読んでくださいね。☟

自伝的小説と解説から読む、太宰治の苦手な部分

解説にも書かれてましたが、太宰治を知るうえで、
・津軽出身
・実家は大地主
・六男坊で居場所がない
上記3点が重要ポイントだと思われます。

つまり、田舎の豪農の子で、親が強引なこともやってきたから、近隣の低所得者層に対して引け目がある。
だが、六男ゆえに家の中での居場所はない。(家にとって大事なのは長兄)
東京に出れば出たで、津軽訛りに引け目を感じる。

どこにいっても自分の居場所を見つけられない、孤独な青年。
といえば、まあ、わからんでもないですよね。

これで、せっかく優秀なんだから、東京大学で真面目に勉強して道を切り開けば、いくらでも居場所ができそうなものなのに、太宰はあえてアウトローな道を選ぶ(つまり大学に行かないし試験も受けない)。
六男だから、兄のように真面目な人生なんか歩まない。

なんで?(ここらへんの思考が、もうわかりません)

それでいて、学費や生活費は、その苦手なお兄さんに出してもらって、自分は勉学もせずにふらふらしていて、大学卒業できない、兄が怖い、でもお金がない、兄に頼るしかない、自分が情けない、死のう……?

なんか太宰って、極論に走りやすいタイプなんかなあ……と思ってしまいました。

親や長兄の家業経営に、繊細な少年として納得できないものがあったとして、だから長兄の思惑通りの人間になりたくない、というのはわかります。
とはいえ、その長兄の稼いだ金にすがらざるを得ない自分がみじめだ、というのもわかります。
戦時中で、翼賛体制下で、息の詰まるような圧迫感があったのも事実だろうし、そもそも太宰自身、非合法組織に首を突っ込んだものの挫折してるし。

自暴自棄だったり、自分で自分のことを決断できなかったり、困ったことは誰かに解決して欲しくて依存したり。

あれ? 『女生徒』に描かれる女学生の依存性は、太宰がそういう女性を好むとともに、太宰自身が他者依存の性質があったからかも?
人間には、他者依存性があるって思ってた?

薬物依存もあったから、太宰のメンタルをどうこう言うのはフェアじゃないかもしれませんが。
大学で学ぶ、もしくは作家として「他者を書く」という方向に意識を向けていれば、もう少し生きやすかったろうになあ……と思います。
まあそうしたら、後世の我々は、太宰の文学を読めなかったかもしれません。

太宰治は、結局、津軽の大地主の六男坊という殻から抜け出せなかったんでしょうかね。

ハムレットじゃあるまいに。
To be or not to be. じゃねえよって。

おわりに

この短編集に限って言うと、まるっきり創作なのは『満願』『駈込み訴え』『走れメロス』だけで(『女生徒』は原作付きらしいし)、それ以外は基本的に太宰本人が登場したり、太宰の目線で太宰の人生を語っていたりしてます。
だから、作品を理解しようとすると、太宰本人を理解することになる。
理解はできても、やっぱり苦手。

ただ。
まあそれは、現代の目線で戦時中の人間を見るからで、あの時代は自由からの逃走の時代だったよなあと思えば、そういうものなのかもしれない。

その弱い己をさらけ出して書いたことが、太宰の文学的価値であると言われれば、そうかもしれないけれど。
弱い男代表、みたいなところはあるし。

でもやっぱり。
他の生き方はなかったのかなあと思うわけですよ。
結婚して、一時は落ち着かれたみたいですけど。
お子さんがいても、自分で考えることを放棄してますからね。

と、長々と愚痴を書き散らしてしまい、失礼いたしました。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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