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国語

昭和ど真ん中の私の子供の頃、
宿題を親に見てもらったことなんて一度もなかったし、
「本読みました」のサインは子供の自筆でおとがめなかったし、
先生にげんこつは何度もされたけど、
大きなトラブルもなく
平和な世の中だったなーと思います。

それが今では
多くの親が子供の宿題に悩まされるという…。
まぁ宿題の問題は置いときまして、
子どもの宿題を見ながら考えた国語教育について少し書いてみようと思います。

イタリアの小学5年生くらいから中学生にとって一番重たい国語の宿題は

「本の1ページにあるすべての単語の文法的分析をしなさい」というもの。

「本の1ページ」が「冒頭3行」だったり、「先生が書いた文章」だったり量は時によりますが、「単語の文法的分析」の厄介さはかわりません。

単語の文法的分析はAnalisi Grammaticaleと言うのだけど

例えば、食べるという意味の単語Mangiareが

品詞は何で文章中どういう役割で使われているか、

〈動詞、are変換、直説法、半過去、一人称、単数〉

こんな具合に一語一語分析するのです。

イタリアのイタリア語教育=国語教育では小学生の頃からこんなことしています。

イタリア語をちゃんと理解するうえでとても大切なことだと思うけど

自習時や、授業中うるさくしてしまった時の宿題にされたり、
日本での漢字の練習みたいに
罰みたいに使われる一面もあります。

とはいえ、その国の言葉をきちんと理解するうえでやっぱり大切なことなので、

日本の学校ももうちょっとこういう勉強があってもいいのかな?と思いました。

「さっきご飯を食べたけど、もうお腹がすいた」

さっきは何?

ご飯のごは何?

けどは何?
日本語を習う外国人が最初に考えることだけど、
日本語を自由に使いこなす日本人の多くは実はちゃんとわからない。
しゃべれて意味が分かればいいじゃないかと思われるでしょうが、他の言語を習う時絶対役立つんじゃないかな?

日本人が英語学習で最初にくじけるのは、もしかしたら、自分がいつも何気なく話してる文章が、一つ一つの言葉それぞれの役割を果たしながらつながったものであることを認識してないから、目的語とか修飾語とか現在進行形とか、文法用語が並んだ時点でネガティブになってしまうのかも?

自らの言語の文章の単語を文法的分析することに慣れていたら、外国語を学習するときの足かせにはならないだろうなーと思ったのでした。

日本語は漢字の学習に時間をとられるからね。
そんな時間ないんだろうな。







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