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値段は価値をほのめかす(2024年4月22日)

こんにちは。「本屋フォッグ」店主のイイムラです。
現在は東京・高円寺の「本の長屋」というシェア型書店で、本棚の区画を借りて本を売っています。

本の長屋では、4月~GWにかけて「春の長屋フェス」と題してイベントをやっています。イベントカレンダーはこちら

今回の記事の内容:本の値段が語るものについて


大量の在庫から選ぶ経験を通して

自分が「疑似お客さん」になれる

本を売っていると話したら大量の蔵書を譲ってくれた友人がいて、いま自宅には大きな段ボールに入ったたっぷりの「在庫」がある。本当にありがたい。
劇的に増えた在庫から「どの本を次に置くか」を考えて、選んで値付けをしている。

この選んでいる時間が、まさに書店で本を選んでいるときの気分で「どの本が面白そうか」「どれとどれを一緒に読みたいか」を考える。
古本市で仕入れるときも似た状況のはずなのに、心持ちはなぜか少し違う。きっとそれは、友人が過去に読んだ本をまとめて見ているからだと思う。自分が古本市で選んだ30冊と、友人が選んだ30冊は根本的に違う質がありそう。
個人の蔵書を譲り受ける(古本屋なら買い取る)良さはここにあるのかもしれないと思った。

掘り出し物を探す目

売る本を選ぶためには「どこかに特に面白そうな本はないか」「売れるやつがあるはず」と、下心のような気持ちを持って本を眺めることになる。
内容はピンと来ないけど表紙が良すぎる!と感じる本もあるし、過去に読もうと思っていたことをすっかり忘れていた本を見つけることもある。

本を売り始めて3カ月。ようやく気がついた(かも)
お客さんも、どこかで下心みたいな気持ちで本を探しているのでは?

せどり的な意味で他の古本屋で高く売れる本を探す下心だけではなくて、自分が出会ってないオモシロ本があるんじゃないか?という下心で。

それってきっと、値付けともリンクするのだ。

安くて嬉しい人、高くて嬉しい人

むやみに安く売るのはNG(という人もいる)

最近、古書業界にいる人と話す機会があった。
その人がはっきりとそう言ったわけではないけど、きっと本は適正価格(=本当の価値?)を大切にしたいのだろうなと感じた。例えば「店前で100円均一で売られている本の価値は、100円分しかないわけではない」ということ。

掘り出し物が安値で売られる可能性こそ面白いと思う人もいるだろうし、本当の価値が分かる人に売ってほしいと思う人もいるだろう。
これは本をどこまで崇高であったり、高尚なものであると捉えるかの問題もあって、人によって価値観が違いそう。市場経済から距離を置きたい人も、市場経済を愛している人も古本好きになり得るのが面白いところなのかも。

だけど本が好きな人であれば「100円の本は、1000円の本の10分の1しか面白さがない」と言われたら、それは違うと思うんじゃないだろうか。

それなのに、僕たちは値札を見て無意識に「こんなに安いんだから大した本じゃないんだろう」と判断してはいないか?
特に、古本だと「値下げされてる=微妙な本」と思われてはいないか?

「良い本ですよ」というお墨付きの値付け

それを逆手に取って、
「この本、よその本屋では200円ですけど、正直500円でも安いくらいです」
というメッセージを込めて500円を付けることは可能だと思う。

もちろん相場もあるし、本は内容だけではなくて物としての状態によっても価格が変動するから、もっと複雑ではあるけど。

安くしても売れない本が、値上げしたら売れるといった可能性も実はけっこうあるんじゃないかと思う。
オモシロ本を掘り出そうと下心を持っている人に、値段の数字だけでアピールするのは難しいけど面白い。

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