見出し画像

夏目漱石「私の個人主義」(おまけ)〜落語「目黒のさんま」は変化したのか

(承前)

学習院大学における、この講演において、寄席をよく知る夏目漱石は、マクラから始める。どのような経緯で、学習院で講演することになったかに始まり、自分のようなものの講演を聞きたいと思うのは、<よその人が珍しく見える>からではないかと話す。

その例えとして、漱石は落語の「目黒のさんま」を引用する。

現在口演されている「目黒のさんま」はざっとこんな話である。

ある殿様が目黒に遠乗りに出かける。時分時にかかってしまい、空腹を訴える殿様。当時の目黒は、野が広がる何もない土地。困った家来は、農家を訪ね、その家にあったサンマを分けてもらうことにした。当時、サンマは下魚であり、殿様の口に入ることはない。殿様は初めて食べた焼きたてのサンマにいたく感動するが、家来からは固く口止めされる。屋敷に戻っても、サンマに恋焦がれる殿様、ついにサンマを所望する。驚いた料理人は、殿様の口に合うようにと、サンマを蒸して脂を落として膳に出す。このサンマを味見した殿様、「サンマは目黒にかぎる」

さて、漱石の語る「目黒のさんま」である。これが、上記とは違うのだ。漱石版は、大名が二人目黒に鷹狩りに行く。方々を駆け回って、空腹になる。弁当もなく、家来ともはぐれ、二人は<百姓家へ駆け込んで、何でも好いから食わせろと云ったそうです>。二人は、焼いたサンマと麦飯を供される。その味が忘れられない二人のうちの一人が、もう一人を招待して、サンマをご馳走することにする。驚いた家来・料理人は、サンマの小骨を抜き、味醂か何かに漬けて焼いた。これを食べた二人は顔を見合わせ、<どうも秋刀魚は目黒に限るねといったような変な言葉を発した>。

漱石は、学習院の人たちを殿様に例え、自分は普段お目にかからないサンマのような存在で、<ちょっと味わってみたくなったのでは>と話す。

さて、これを読んで「目黒のさんま」に、私の知らない型があったことを認識する。漱石はこの「目黒のさんま」を、<落語家(はなしか)から聞いた話の中にこんな諷刺的のがあります>と紹介しているので、寄席で聞いたのだろう。もちろん、漱石の記憶違いの可能性もあるが、内容からすると“大名二人バージョン“の「目黒のさんま」があったと解するのが自然だろう。

さて、今の“大名一人バージョン“は、当時から併存していて生き残ったのだろうか。それとも、“二人バージョン“が進化して“一人バージョン“ができたのだろうか。どうでもよい話だが、ちょっと気になる。誰か、この漱石版で演じてくれないだろうか。

漱石はこの例えが相当気に入っていたのだろう。この後、学習院の教師に推薦され、すっかりその気になり、教場に立つためのモーニングまでこしらえた話をする。ところが、最終的には落第となった。その学習院の学生が、漱石の話を聞きたいといのは、<あなたがたから目黒の秋刀魚のように珍しいがられている証拠ではありませんか>と、再度引っぱり出す。

私も秋刀魚は大好きである。家で焼くと、匂いがこもるので、もっぱら昼に美味しそうな店を探す。ところが、近年は秋刀魚が不良で値段が高い。それだけなら良いが、かつて食べたような丸々と太った秋刀魚に出くわすことが、まずない。

「秋刀魚は〇〇に限る」と言える場所に巡り会いたいものである



3年ぶりに開催された「目黒のさんま祭り」

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?