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HOOKをはじめるわけ(ふじたたけし編 前)


だれも興味ない自己紹介していきます


はじめまして ふじたたけしです。
大阪出身 ごく一般の成人男性C 位です。
これからHOOKを運営していくにあたり、少し自己紹介をしていきます。

何も考えず、中高一貫進学校に入れてもらい(親に感謝)、何も考えず、将来は医者か弁護士かなーと思っていた1995年。その年に起きた阪神大震災をきっかけに建築の道を目指し建築デザイン系の大学に入学。

大学では人付き合いと麻雀を覚える
(お酒はもともと飲めたらしい)

卒業後、就職する意味に悩みながらも
大阪で町の設計事務所・ハウスメーカー・大手設計事務所・デザイン事務所などを転々とした後、フリーランスとして店舗・建築の設計デザインを10年以上細くのんびり主催。

2022年6月より淡路島に移住。

サラリーマン時代(2000~2008)


いいものを作りたい、世の中に認められるものを作りたいという思いで超氷河期時代にかろうじて引っかかった設計事務所になんとか就職。
そこから、車での日本一周旅行や休憩を挟みながら自分を成長させてくれると思える会社に数回転職。

(海外旅行する前に日本を知らないとと思い日本一周したが、その後15年海外旅行はいかず。)

日本一周車 パオ ベージュ

業界か、時代のせいか、徹夜当然、休みはほぼなし、薄給、社会保険・年金・福利厚生・ボーナス無し、やりたいことをやるためにはこの程度の丁稚は当たり前という思考の中、知らず知らずの間に削られた精神は、すり減りほぼ残っておらず、会社というシステムで生きていくのは限界だと感じている時に精神崩壊。
(就業時間は無限なのに朝の出勤時間や昼飯の時間は守らないとだめという会社ルールの矛盾や、飲み会の会社愚痴大会の無駄な時間に超ストレス時間返せ、など)

転職を繰り返したお陰で、様々な会社システムでの働き方や、それぞれの会社の業務の幅広さで得た経験と知識、そして根拠のない自信を持って2008年世の中に放り出されることとなります。

思考が変化したきっかけ(2008~2015)


2008年に社会に放り出されてから、たまーにもらう仕事を細々としながら、根拠のないプライド(当時は自信満々)を持って生き繋いでいたところ、クリエイターのグループ展に誘われ出展することから人生が変な方向に曲がりはじめることに。

当初はギャラリーなど閉じられた空間で開催。
知り合いしか来ないような案内方法で
当時はSNSもなく、はがきフライヤーと口伝のみの広報しかなく当然知り合いしか来ず、聞ける言葉も知り合いからの優しい緩いポジティブな言葉ばかりで本当にやる意味があるのか不安に。。

もっと、知らない人に見てもらいたい、身内でない厳しい意見で正当な評価を聞きたいと思うようになり、公共の場で一般の興味のない人に見てもらう企画を、百貨店・商店街・アーケードなど、街の空白の空間で展示させてもらえそうな所に飛び込み提案。
そこで 大阪・通天閣で展示させてもらえたのが大きな転機と。

新世界もきれいになりました

当時の新世界は、インバウンド前とはいえ串カツブームもあり若い観光客もそこそこいた時代ですが、一歩外にでれば、血まみれの人が寝ていたり浮浪者テントがまだあったりと、デザインやアートには無縁の世界。
そんなところで展示できたのは、多少自信に繋がりました。

当初は自分の表現をするためのイベントでしたが、回数を重ねるうち同じ思いで表現の場を探しているクリエイター達と出会うことも増え、そういった人達に何ができるのか考え出します。

そこで、そんなクリエイターの表現の場を作り、デザインやアートの文化を大阪に根付かせたいという思いでイベントをスタート。
(仕事でもなんでもなく本業とは全く別のプライベートワーク)
通天閣だけでなく、足元の新世界もまきこんでの街全体でのイベントを開始します。

ツムテンカク(2011-2015)

当初は無名のイベント、関係者も協力者もほぼいない状態でのスタートだったのが、回数を重ねるうちに何百人の関係者へと。
デザイナー・アーティスト・カメラマン・パフォーマー・飲食店・学校、学生・役所・企業、、様々な人達が巻き込まれて行くことに。

どこの誰かわからない、誰が呼んだのかもわからない人たちが入り乱れるイベントとなり、警察に呼ばれることも少々ありましたが、そのインパクトのお陰で注目もされていたんだと思います。
(街中ハプニングイベントだと言われることも。。)

街中やりたい放題

実行員全員がデザイナー、イベント素人集団の運営にも関わらず、”思い”に興味や賛同してくれる人が増えたことで続けることが出来たんだと思うと、思いやコンセプトはとても大事だとつくづく感じます。多少街や人の記憶に傷跡は残せたかな。。
(最終年関西大手テレビ局がすべて取材に来た時に、ある種の達成感を感じてしまったのが間違い。。)

https://www.youtube.com/watch?v=yfs_7fh2xpI&feature=youtu.be

イベントは完璧ボランティア、準備期間も長く濃く、本来の仕事をする余裕もない位でしたがそこから得ることのできる経験と人間関係はお金を払っても絶対に得ることのできないもので、
(イベントに向けた一日の打合せ相手が 紙芝居屋→百貨店→ちんどん屋→新聞記者、の時は自分が何屋さんなのか、流石にわからなくなる。)

同じ思いの人間が、それだけで集まるととてつもないエネルギーを持つこと、そしてそのエネルギーによって変わっていく街や人間を間近で見れたことは貴重な体験ではありました。

紙管オブジェ(JCD デザインアワード受賞) 通天閣
特殊メイクされたゾンビ徘徊 新世界

イベントをやる中で、サラリーマン時代にはなかった自分の意見を社会に伝える必要性や、仕事本来の社会意義など深く考えるきっかけになると同時に本来仕事では出会えなかったさまざまな人種、職種の人と関わることでプライドは社会を生きるためには必要ないということも実感。
(この頃は、学校行かずともやりたいことに突っ走ってる人が一番すごくて、無駄に大学時代を過ごした自分に劣等感さえ感じるようになっていた。)

同時に、世の中には純粋に自分の信じる道を突っ走ってる人達がこんなにもいるんだということ、この人達に刺激を貰い続けたいと改めて感じるきっかけとなる。

そんなこんなで、イベントのお陰で人脈も増え仕事も少しづつ増えていく時期に突入します。

HOOKをはじめるわけを書こうとしたのですが、人生の振り返りが楽しくなって長くなり過ぎそうなので、後半へ続く?


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