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副汐健宇の戯曲易珍道中⑨~三島由紀夫『鹿鳴館』〜


途切れがちな私のnote、まためくって頂きまして、誠にありがとうございます!

性懲りも無く身勝手に続けている「戯曲易珍道中」。

今回、取り上げさせて頂く作品は、

満を持して、という言葉が私にとっては相応しいのですが、

没後52年経っても、相も変わらず日本を代表する文豪として君臨し続ける、

三島由紀夫 『鹿鳴館』(新潮文庫)

三島由紀夫は、華やかレトリックに満ちた小説群だけでなく、多くの名作戯曲も手掛けています。ご多分に漏れず、そこでもレトリックが弾みを持って読者に挑んで来るような躍動に満ちています。


※363ページ、三島氏の『鹿鳴館』についてより引用

 ※三島由紀夫本人の言葉

”この作品はとにかく「お芝居」を書こうとしたものだ。史実や時代考証には無頓着で、杜撰(ずさん)を極めている。”


とあるように、

明治十九年十一月十三日の鹿鳴館における天長節夜会における人間模様を描いた戯曲となっていますが、実際に起こった事件という訳では無いようです。

影山悠敏伯爵を始め、その夫人・朝子、大徳寺侯爵夫人・季子、その娘・顕子、清原永之輔、その息子・久雄、影山の手下である飛田、影山の女中頭・草乃、宮村陸軍大将の夫人・則子、坂崎男爵の夫人・定子・・・等が、それぞれの思惑や事情を抱えながら”鹿鳴館”に集まり、それぞれの綻びが徐々に明らかに・・・という、大まかに紹介しますとそういうお話になります。(※、ここから先、ネタバレ注意)

久雄はとある事情で父親を殺そうと決意し、彼の恋人・顕子がそれを止めようとしている。しかし、そこで影山は・・・という状況が主軸となって動いています。

今まで私にとっての”鹿鳴館”は、東京都目黒区にある老舗のライブハウス”目黒鹿鳴館”しか浮かばない、という程の空っぽな私ですが(インディ―ズ時代のGLAYやLUNASEAもそこでライブした事あります。)

そんな私でも、史実や時代考証を敢えて無視して”杜撰”を恐れず、六十四卦を無理に当てはめる暴挙に出続けたいと思います。

始めます。覚悟はよろしいでしょうか・・・・・・。


■第一幕

※9ページより引用

  明治十九年十一月三日、天長節の日の午前十時である。
  影山伯爵例邸のひろい庭内の小高い丘の上にある茶室潺湲亭。手前は細
  流れがあり、前栽の菊、飛石、蹲踞(つくばい)、筧などがある。茶室    
  の下手から、丘のふもとに裏門と門番小屋が見下ろされ、上手からは彼
  方に日比谷連兵場が見渡される心持。飛石づたいの道は下手から茶室の
  ぐるりを通って、上手へ手伝っている。茶室の軒には潺湲亭とい古い額
  がかかっている。幕あくと、茶室の障子はあけはなたれ、濡縁に女中が
  五つ六つ座蒲団を並べている。別の女中が茶菓の用意をしている。
  やがて下手から、女中頭草乃が、望遠鏡を抱えて、女客たちを案内して
  来る。先頭は大徳寺侯爵夫人季子と、その娘顕子。つづいて宮村陸軍大
  将夫人則子、坂崎男爵夫人定子の四人である。いずれも正式のドレスを
  着ている。

※10ページより引用

則子 (望遠鏡を上手へ向け)まあきれい。軍帽の羽根毛があんなにいっぱ
 い、風にそよいで。

―省略―

則子 あ、見えたわ。主人のあの髭。今朝いっぱいチックをつけて出ただけ                          
 あって、耳のほうまで跳ね上がっていますわ。・・・・・・まだこちらを
 向いてる。(望遠鏡を目から離して胸にかかえ)どうしましょう、こんな
 ところから観兵式の覗き見をしているとわかったら。

⇧ 上記の一連の光景を、六十四卦で表しますと、
  
       地沢臨の上六
        (ちたくりん)

          ☷
          ☱
地沢臨は、湖面(☱)を、崖の上の平地(☷)から見渡し、その深さを想う、という卦です。

”象に曰く、沢上に地あるは臨なり”

宮村陸軍大将夫人の則子が抱いている望遠鏡は、まさに地沢臨を彩るアイテムに他ならないでしょう。上六は、一番上、まさに傍観者、やがて物語の渦中に否応無しに投げ込まれる事も知らずに・・・

※19~20ページより引用

朝子 (省略)色恋のことでたよりにしていただいた以上、どんなことをし
 てでもお二人の恋路をひらくようにいたしましょう。そのためなら勇気が
 湧きますわ。恋路をふさいでいるどんな大木でも、女手一つで倒してさし
 あげますわ。どうなさるおつもりであったの? もし久雄さんの身にもし 
 ものことがあったら。
顕子 お跡を追うつもりでおりました。
朝子 その一言を伺って、どんなことでもして差し上げる自信がつきまし  
 た。ねえ、奥様、その書生さんの命がけのお仕事、男がこうと思い込んだ 
 ら女のことなどは忘れてしまうお仕事、それを私共女の力で打ち砕かなけ
 ればなりませんのね。
季子 そうよ。私共女が力をあわせて、しゃにむに走り出す男の足を、引き
 戻さなければなりませんわね。(省略)

⇧ 上記の会話を六十四卦に表す上で、当初は、山地剥(さんちはく)が自動的に浮かび上がったものでした。
            ☶
            ☷

山頂(☶)が削り取られて、山が地(☷)を這うように削り取られてしまう卦。一方で、女性(陰の爻)が結託して、一人の男性(陽の爻)を撃つ、
季子の、”引き戻す”というセンテンスから、無意識に”引きずり下ろす”を連想してしまった事も否めません。
しかし、今一度、艮(☶)の如く立ち止まって、上記のシーンを吟味してみると、山地剥よりも相応しいと思える卦に素直(☷)にたどり着けました。

その卦は、
          雷風恒の九三
           (らいふうこう)

            ☳
            ☴

”恒は、享る。咎なし。貞しきに利ろし。往くところあるによろし。”

雷風恒の恒とは、恒久不変、もっと噛み砕いて断じますと、現状維持、というキーワードが色濃くある卦です。
長男(☳)が外卦、長女(☴)が内卦に在り、男性が外に出て働き、女性が家を守る事で、穏やかな日常が守られる・・・
と、あくまでも、あくまでも!!!私の価値観では無く、当時、周易が成立した当時の価値観でありますので、炎上無用です💦💦💦 私個人的にも、今は全く無用な価値観であるという想いはあります。
易はその時代時代の変化に陰の如く素直に対応し、フレキシブルに、クレバーに生き延びて来た歴史があり、雷風恒の意味も、問い直されなければならない令和時代に来ているでしょう。

と、やや脱線してしまいましたが💦
何故に山地剥からこちらの雷風恒に鞍替えしたかと申しますと、素直に卦象、卦の形に沿った故に導き出した答えに違いありません。

雷風恒の九三(三爻)は、
”九三は、その徳を恒にせず。あるいはこれが羞(はじ)を承く。貞しけれども吝なり。”

しゃにむに走り出す男(☳)のそばに寄って、無理に引き戻そうとする、九三は、外卦の震の主爻に一番近い卦である。

また、雷風恒は、坤(☷)の中に乾(☰)を包む卦、でもあります。つまり、一見穏やか(☷)そうに見せながら、内部では、活発に思考を働かせて(☰)、男を引き戻す好機を窺っている。九三は、包まれた乾の主爻にもなり得ています。


22ページより引用

―省略―

朝子 お答えにならないところを見ると、それが秘密だからというばかりで
 なく、前以て人に知られたくないような、花々しい立派なお仕事なのね。
久雄 とんでもない。恥知らずのやる仕事です。
朝子 殿方が命をかけてやろうとなさっていることを、御自分で卑下なすっ
 たりしてはいけません。世間がどんな目で見ようと、よしんば法律の罪だ
 ろうと。
久雄 ではこれだけは申します。仰言るとおり僕は命を賭けています。明日 
 の太陽を仰げるかどうかわかりません。しかしそれは無意味な行為で、歴
 史に小さな汚点(しみ)をつけるだけのことでしょう。

⇧ 純粋なる青年、久雄に高らかな決意が窺える訳ですが、敢えて私はそこに、六十四卦を付け加える事で、水を差したいと思います。それは、汚点(しみ)になってしまうか否かは、読者の方々の淡い(?)優しさに委ねさせて頂きます。
上記の卦は、

    火雷噬嗑の初九
      (からいぜいごう)

       ☲
       ☳

”象に曰く、頤中(いちゅう)に物あるを、噬嗑と曰(い)う。噬(か)み嗑(あ)わせて享るなり。”

噬嗑とは、物を噬(か)み嗑(あ)わす、の意を含んでいます。
口を大きく開けて、上顎(☶)と下顎(☳)を動かして物を食べようとする
            山雷頤(さんらいい)

                ☶
                ☳
の中の、四爻だけ、上顎と下顎の間辺りだけ陽になっている、つまり、一つだけ固い物があり、それを噛み砕いて消化して行く、という卦です。

火雷噬嗑の初九は、
“象に曰く、校(あしかせ)を履いて趾(あし)を滅(やぶ)るとは、行かしめざるなり。”

初九は、まさに、”口の中の唯一の陽爻”である四爻と対している、これを固い食べ物では無く、壁、と置き換えても良いでしょう。命を賭けて、太陽(☲)を浴びたいのに、初九の為、力及ばず、四爻(☵の主爻)の壁に敗れ、汚点(☵)をつける・・・例え恥知らずでも、本能のままに動く(☳)、久雄そのままの卦と断じても過言では無い筈です。

■第二幕

※34~35ページより引用

清原 私の当面の危険?
朝子 はっきり申上げますわ。今夜あなたのお命は危うくなります。
清原 え?
朝子 お信じになりませんか。今日わざわざお越しをねがったのは、あなた
 をお助けしたかったからでございます。
清原 お志はありがたいが、私は危険に生きてきた人間だ。危険が私の日常
 で、今こうしてお話しているのでさえ、私の危険な生活の一部なんだ。嵐
 の中で生きて来たから、微風の中では息づまる。

―省略―

朝子 昔のままのあなただわ。二十年前のあなただわ。いつも若々しいお
 方!
清原 私の中にはこの歳になっても、一人のどうにもならない子供が住んで
 いるのです。

⇧ 上記の会話はどの卦を当てはめれば良いか、風(☴)の如く迷う所です。”微風の中””息詰まる”というセンテンスにどうしても引っ張られてしまいますが、ここは奇をてらわずスタンダードに、争いを表す、

         地水師の九二
          (ちすいし)

          ☷
          ☵

”師は、貞なり。丈人なれば吉にして咎なし。”

師は師匠の師では無く、この場合、兵隊、軍隊の意を含み、幾多の群衆(陰の爻)を統率して戦いに挑む、二爻の陽爻の姿を捉えている卦です。」

地水師の九二は、
”師に在りて中す。吉にして咎なし。王三度命を錫(たま)う。”

まさに、清原そのものを表した卦では無いでしょうか。風も、巽(☴)のような本格的な風では無く、微風、細やかな砂埃(☷)程度の風の中、己を慕う者を引き連れて、敢えて息詰まる微風の中を、思考力(☵)を頼りに進む(☳)・・・。

※46ページより引用

草乃 もう少しお待ちあそばせ。奥方様。お急(せ)きになってはいけませ
 んわ。おききになるべきことを十分におききにならなくてはいけません。
 奥方様は願ってもない機会をおつかみになりましたのよ。
朝子 お前の言うとおりだね、草乃。もう少しさわ立つ胸を抑え、耳のけが
 れるような企らみに耳をすましていなければね。ああ私は怖ろしい夢の中
 で、手足を結(ゆわ)かれているような気がするよ。

⇧ ”手足を結(ゆわ)かれている”というセンテンスから、幾つかの卦を思い浮かべて、やはり風の如く右往左往してしまいましたが、そんな苦渋の中、導き出した卦は、

           沢天夬の九四
            (たくてんかい)

              ☱
              ☰
”象に曰く、沢の天に上るは夬なり。”

まさに、陽爻が競り上って息が詰まりそうな、それによって想いが決壊しそうな朝子の姿を思い浮かべる事の出来る卦です。その中でも四爻(九四)は、手、腕の辺りに当たります。

”九四は、臀(しり)に膚(はだえ)なし。その行く事次且(ししょ)たり。羊を牽(ひ)けば悔亡ぶ。言を聞くも信ぜず。” 
九四は、陽爻でありますが、本来は陰の爻で無ければならない位置で、尻の皮膚は剥がれてしまい、坐ろうにも坐れない、という意味合いがあります。まさに、手足を自由に動かせず悶えている朝子の心理が透けて見えるようです。

■第三幕

※57ページより引用

  同じ日の午前四時、日没前。
  鹿鳴館の二階。下手に一階より昇り来る大階段の左右の欄が見える。正
  面にはバルコニーへの出口があり、そのバルコニーからも前庭へ下りら
  れるようになっている。そこから上手寄りの壁の前に、酒や前菜を供す
  る立食の卓。上手には高い入口に、ゆたかなる帷(とばり)をあげ、大
  舞踏場をうかがわしめる。さらに上手は、裏階段から階下へ下りられる
  心持。
  ところどころに椅子を配する。
  幕あくと、正面にバルコニーの扉がひらかれ、デコルテの姿の顕子と、
  舞踏会の服装の久雄が、バルコニーにもたれている体(てい)。
  空には夕映え。
顕子 日が沈みますのね。
久雄 すばらしい夕映えですね。日比谷の森が山火事になったようだ。
顕子 どうして誰も彼もこの夕映えの中で踊ろうとしないのでしょう。夜が
 すっかり抜けてから、人工のあかり、人工の音楽、人工の床の上で・・・
 ・・・ 

⇧ 周易を少しでも嗜んでいらっしゃる方なら、上記のシーンは、六十四卦の何を当てはめようか、自然と意識が疼くのでは無いでしょうか。それ故に、のたうち回ってしまう程、何の卦が一番ふさわしいか迷ってしまう所ではあるでしょう。
  一瞬、山の陰に夕陽が顔を覗かせている、
        天山遯(てんざんとん)

          ☰
          ☶
も、考えましたが、私は、もっと素直に、
        火山旅(かざんりょ)の九三
             ☲
             ☶
と、させて頂きます。

”旅は、小(すこ)しく亨る。旅には貞しければ吉なり。”

以前も申し上げたかと思いますが、火山旅の旅とは、決して優雅な観光旅行を指すのでは無く、山の上の火が次々に燃え移り、一か所にとどまっていられないので仕方無く移動する、という意味合いの方が強いのです。

その火山旅の九三は、
”旅してその次を焚かれ、その童僕を喪う。貞しけれども厲(あやう)し。”

・・・”山火事”という久雄の言葉に引っ張られた訳ではありませんが、二階(☶、九三は艮の主爻)に立って見る灯り(☲)は人工にしか見えない。やがてその人工の”火遊び”に巻き込まれる事を知ってか知らずか・・・・・・。


         

※58ページより引用

久雄 あの奥様は僕にこんな装(なり)をさせて、あなたと一緒に今夜の夜
 会へ出るように、お命じになったんです。そうしていつも奥様のそばを離
 れてはいけないって。一寸(ちょっと)でも目を離したら、僕が何をする
 か、まだ御心配なんでしょう。

⇧ 上記の卦は、本当に素直に、
          雷火豊の九四
           (らいかほう)

             ☳ 
             ☲

豊は、豊大、盛大の意味合いが多分に含まれ、雷鳴(☳)が炎(☲)を煽り立てているような勢いのある卦です。一方で、過剰、盛る、というキーワードも連想されます。九四は、大きな坎(☵)の主爻にも見えますし、外卦の震(☳)の主爻でもあります。明後日の方向を向いて今にも抜け出したい、でも出来ない・・・まさに、過剰な人工に演出に葛藤によって翻弄されている久雄の繊細さが目に浮かぶようです。    

※59〜60ページより引用

顕子 お話を伺っていると、私おばさまが嫉けて来ますわ。
久雄 嫉くなんて、・・・・・・あなたまだあの方をよく知らないんです
 よ。
顕子 まあ、今日はじめてあの方とお会いになったのに、・・・・・・でも
 私までおばさまを悪く言ってはなりませんわ。あなたはともあれおばさま
 のお力で、怖ろしいお仕事の世界から、私たち女のやさしい愛情の世界へ
 還って来て下さったのね。(男の上着の釦をいじって)もう私、この釦の
 一つ一つを見えない糸で自分の着物にすっかり縫いつけてしまいますわ。
 私をあのはじめてお目にかかったチャリネの曲馬の、星空の下の大きな天
 幕だと思って下さいましね。あの天幕の頂きが見えない糸で星空に縫いつ
 けられて、そのために天幕は地面の上へ崩れ落ちずにいたのですわ。
 ・・・・・・あなたの胸のこの釦は星、私はやっとそこに繋がれて、風を
 はらむことができた天幕ですわ。・・・・・・あなたが私を離れて行って
 おしまいになったら、天幕は地面に崩折れて、・・・・・・死にます。

⇧ 上記の卦は、私は、本能のままに(☳)、
          水火既済
            (すいかきさい)

             ☵
             ☲
を連想しました。

”既済とは既に済(な)る、事の完成の意。”

釦を一つ一つ縫いつける、収める所に収める、というセリフが、冷徹なまでに理路整然を遂行する卦である水火既済を思わずにはいられませんでした。
敢えてどこの爻かは断じません。ずっと輪廻のように繰り返される釦縫いに、どの爻かを無理に断定する必要は無いように思えました。

※62〜63ページより引用

朝子 私はそこまで己惚(うぬぼ)れを持っておりません。でも人間より時
 間のほうが頼りになることはたしかです。どんなに信じあった人間よりも
 。・・・・・・だって、そうでございましょう。季子様。人間のお互いの
 信頼が深まるにも、永い時間が要りますもの。

⇧ 上記の卦は、まさに、
         水地比の九五
           (すいちひ)

            ☵
            ☷

比とは、誰かと誰かを比べる、という意味合いでは無く、人々とお互いに比(した)しみ合う、親しみ、という意味合いが妥当です。雨(☵)が大地(☷)にじっくり浸み込む、純水と大地が親しみむには、それなりに長い時間がかかるでしょう。九五は、まさに一番、水地比を水地比たらしめている主爻です。
”象に曰く、比を顕(あき)らかにするの吉なるは、位正中なればなり。”
泰然と他者と親しむのが良い、というメッセージに溢れています。


―省略―

朝子 (菊の鉢植を運ぶボオイを呼んで)その菊を一寸、そうね。階段の昇
 り口のところにもう一鉢菊がほしいと思ったわ。それは下へ運んで頂戴。
 ・・・・・・それから給仕長、(ト手を拍いて、給仕長をよび)もう灯を
 つけるように云って頂戴。
  (給仕それぞれ、瓦斯(ガス)燈に火を点ず。天井中央のシャンデリヤ
   にも燈火ともる。)
久雄 いつまでも尽きない燈火(あかり)って、趣きのないものですね。
季子 年寄りのようなことを仰言るのね。
久雄 でもあの瓦斯燈のあかりも、一瞬一瞬に燃え尽きているんですね。ただそれがつながって見えて、燃え尽きないように見えるんですね。

⇧ 上記のシーンも、周易に僅かでも首を突っ込んでいらっしゃる方なら、どういう卦を当てはめようか、充実感を持って向かいつつ、ついうろたえてしまう、迷ってしまう事でしょう。
私は、
         火水未済の六三
          (かすいみさい)

           ☲
           ☵

未済は、完成を表す水火既済の裏返し、六十四卦の六十四番目・・・・
未完成になって、輪廻の輪にまた加わる、という意味合いそのものの卦です。
その中でも六三は、
”未だ済(な)らず。征くは凶なり。大川を渉るに利ろし。”

六三は、火(☲)の主爻、そして外卦の火(☲)に移る。まさに一瞬一瞬が繋がって見えて、燃え尽きないように見える・・・燃え尽きないように見える、というのは、火と火の間に水(☵)があるからでしょう。

※65ページより引用

影山 清原の件を言うのだね。しかしお前からさっきそれをきいて、ありそ
 うなことだと思ったよ。
草乃 殿様は嫉妬をお隠しになりましたわ。
影山 私には感情を隠すのが生甲斐なのだ。

⇧  周易を僅かでも嗜んだ経験のある方は、上記の影山の心情を六十四卦に訳す事に、胸躍らせるに違いないでしょう。とても易を当てはめ甲斐のある状態では無いでしょうか。

影山が、燃えたぎるような嫉妬を内側に隠している・・・・・・燃え盛る嫉妬、というニュアンスから、太陽(☲)が大地(☷)の下に隠れている、

      地火明夷(ちかめいい)

          ☷

          ☲

を連想してしまいますが、その卦よりも、”感情”という側面をクローズアップさせてみますと、より相応しい卦は、

           地水師の六五

            (ちすいし)

             ☷

             ☵

『象に曰く、調子師を師ゆべしとは、中行なるを以てなり。弟子なれば尸(しかばね)を興すとは、使うこと当らざればなり。』

六五(五爻)は、二爻の坎(☵)の主爻と相対しています。まさに、内(内卦)に眠る毒(☵)に似た感情を密かに手なずけながら、外見は平静(☷)を装っている。しかも、先程も申しました通り、地水師は、戦い、の卦・・・・・・。 

※69ページより引用

影山 あなたには疾ましいところが露ほどもないように見えるんだがね。
朝子 よく化けましてございましょう。
影山 この世には人間の信頼にまさる化物はないのだ。

⇧ ”化ける”という言葉から、自然と六十四卦を導き出せる強者もいらっしゃるでしょう。私には、未だにその才覚は備わっていないようです💦

ただし、私は、上記の影山と朝子の会話から、インスピレーションで理論が破綻している事は認めますが、一つの卦爻を導き出しました。

         火水未済の初六

          (かすいみさい)

            ☲

            ☵

『未済は、亨る。小狐ほとんど済(わた)らんとして、その尾を濡らす。利ろしきところなしなり。』

未済は、六十四卦の六十四番目、最後に提示される卦となりますが、意味合いは、一つ前、六十三番目の卦である、”完成”を表す、水火既済(すいかきさい=☵☲)を逆さまにした卦。つまり、”未完成”という意味合いのある卦です。一番最後に”未完成”を表す卦を配置する所に、終わらない物語に対する人間の飽くなき渇望を見出さずにはいられません。

その、初六の爻辞は、

『初六は、その尾を濡らす。吝なり。』


人間の信頼にまさる化け物・・・まさに、ぶっつけ本番に近いつぎはぎで、それは、初爻という、”及んでいない”人々には手に負えない程の巨大な怪物になる、というニュアンスを感じました。つぎはぎで出来ていて中身の無い怪物・・・火水未済、という直感が湧いて来たものです。

※71ページより引用

影山 政治の要諦(ようたい)はこうだ。いいかね。政治には真理というも
 のはない。真理のないということを政治は知っておる。だから政治は真理
 の模造品を作らねばならんのだ。
飛田 ・・・・・・はあ。
影山 今夜、お前の伝えて来たような事態は起らない。そんな事態はもはや
 存在しない。しかし或る事態がなくなったら、その事態を自分の手で作り
 だねばならん。それが政治というものだ。政治の要諦というものだ。いい
 かね。
飛田 御意にございます、御前。
影山 今夜はぜひとも壮士の乱入がなければならん。白鉢巻かかれらのう
 なじにひるがえり、花やかなシャンデリヤのあかりを映して、ここに白刃
 がひらめかねばならん。

⇧  上記の、影山のセリフ・・・・”模造品””花やかなシャンデリヤのあかり”という言葉の群れから、一つの卦を取り出しました。

           山雷頤の六三

            (さんらいい)

             ☶

             ☳

『六三は、頤に払(もと)る。貞なれども凶なり。』

”模造品””花やかなシャンデリヤ”という言葉から、外見ばかり取り繕い、中身が伴っていない、という描写が浮かびました。なので、初爻と上爻以外の爻が全て陰である、山雷頤が相応しいという結論に至りました。



※75〜76ページより引用

久雄 そうだなあ、僕の考える旅はますます美しい、ますます空想的なもの
 になったんです。つまり汽車だの船だのが要らない旅になったんです。こ
 の虚偽に充たされた国にいて、僕があるとき、海のむこうの、平和で秩序
 正しく、つややかな果物がいつも実って、日がいつも照りかがやいている
 国のことを心に浮べるとき、汽車だの船だのは、もう僕にはまだるっこし
 い。僕がそういう国を心に浮べたとき、まさにその瞬間からですよ、僕が
 もうその国にいるのでなくては。その瞬間から、僕の空想していた果物の
 香りが現実の香りになり、僕の夢みていた日光が頭の上にふり注いで来る
 のでなくては。・・・・・・それでなくては、もう間に合わないんです。

⇧ 上記の久雄のセリフから、久雄は、受け身になってそこに留まる・・・・・つまり、艮(☳)を拒否して、今の範囲外に出て様々な見解に触れる事への熱情に浮かされているような意識が透けて見えるようです。

 その事から、上記を六十四卦に当てはめますと、

         雷山小過の上六

          (らいざんしょうか)

            ☳

            ☶

『小過は、亨る。貞しきに利ろし。小事には可なり。大事には可ならず。飛鳥これが音を遺す。』

小過とは、小なる者(陰)が大(陽)に過ぎるの意。タイミングを失いがち、内卦(☶)と外卦(☳)が背き合っている様子から、背反、反目、という意味合いもあります。まさに、こちらの久雄の心情をそのまま映し出しているようです。止まる(☶)事を拒否し、自ら進んで行きたい(☳)という熱に浮かされている。久雄自身の妄想(上爻=埒外)も加速して・・・・・・しかし、久雄自身が、求められている力量に適していらっしゃるか、どうか・・・・・・。

『上六は、遇わずしてこれを過ぐ。飛鳥これに離(かか)る。凶なり。』


顕子 戸外には果物の香りも日光もありません。あるのは白い玉砂利のうか
 んでいる馬車廻しばかりですわ。まだ花火もあがりません。夜会の前の日
 暮れが、こんなにしんとしたものだとは存じませんでした。・・・・・・
 でもあの寒い夕風の吹きかよってくる玉砂利の道を私たちが歩けば、そこ
 にだけ日の光りがさし、そこにだけ果物の香りが漂うのだとお思いになり
 ません? ねえ、散歩にまいりましょうよ。


⇧   上記の顕子には、自身が自在に状況を動かして行けるという確信が非常に漲っているようです。上記の顕子を六十四卦で表しますと、

            風沢中孚の六三

             (ふうたくちゅうふ)

              ☴

              ☱

先程の、雷山小過と陰陽が全て逆になり、対のようになっている卦です。雷山小過と違い、内卦(☱)と外卦(☴)がしっかり向き合っています。”無心で、真心で”という意味合いが非常に色濃く出る卦となっています。
六三(三爻)は、内卦の兌(☱)の主爻となっていて、顕子を内卦としますと、能天気に今を楽しもうとする顕子が目に浮かぶようです。

外卦は、風(☴)な訳ですが、風が香りを運んで来る、その中を、真心を以て、何の打算も無く、手を繋いで久雄と楽しんで行きたい、という想いが全編に漂っていると読めます。

※82〜83ページより引用

影山 (陽気に)さあ、皆さんもお揃いになったところで、前祝いの祝杯で
 も上げましょうかね。(手を拍き)グラスにワインをもっておいで!
   (ワルツつづく。ボオイ盆にワイン・グラスをあまた載せて、舞踏場
    より登場。おのおのにグラスをとらしむ。人々乾杯せんとするとき
    、朝子グラスをあやまって床に落す。)
影山 おや、あなたにも似合わず上っているね。
朝子 これがグラスで幸いでしたわ。
   (ボオイすばやく、代りのグラスをさし出し、朝子うけとる。)
   ちゃんとかけがえがございますもの。
影山 かけがえのないものもあるからね。
季子 (影山に)乾杯の言葉を仰言ってね。
影山 何しろ天長節ですからな。聖寿万歳と行きましょうか。
季子 あなたが仰言ると不敬にきこえますわ。
影山 それではともかく、・・・・・・そうですね、何のためでもなしに
 、・・・・・・乾杯!
    (皆々杯をあげる。)

⇧  上記を六十四卦に当てはめますと、

          沢天夬の九五

           (たくてんかい)

             ☱

             ☰

が、ふさわしいでしょうか。

『夬は、王庭に揚ぐ。孚あって叫(さけ)び、あやうきことあり。告ぐること邑(ゆう)よりす。戎(じゅう)に即(つ)くに利ろしからず。往くところあるに利ろし。』

改めて紹介致しますと、沢天夬は、口、口頭、飲食を表す兌(☱)が大きくなったような”大兌の似卦”という意味合いから、”大いに楽しむ””賑わう”というキーワードも色濃く出て来る卦です。まさに、”乾杯!”という音頭から、影山が沢天夬を引き寄せた、と断じても過言では無いのです。

・・・大袈裟かとお思いかも知れませんが、兌(☱)は、”欠ける””欠損”の意味合いも多分に含まれているのですから。

沢天夬の夬は、”決壊”の決、夬・・・・・・

影山が、物語を決壊させようとしている、その為の乾杯!!

乾杯の乾は、まさに、☰。競り上って来る、陽・・・・・・。

九五は、決壊寸前の位置。

『象に曰く、中行なれば咎なしとは、中いまだ光(おお)いならざるなり。』

■第四幕

※87ページより引用

影山 ダンスがはじまった。
朝子 私たちもダンスに入らなければ。
  (とこうするうちに、外人教組の夫妻、日本人の夫妻など、群をなし
   て、段を上り来り、影山夫妻とこもごも挨拶を交わしつつ、舞踏場へ
   入る。舞台一時空になる。やがて̚カドリールの曲につれ、上手から踊
   りの列の一端があらわれる。その中には、大徳寺季子、顕子、久雄ら
   の顔も見える。しばらく舞台の上には、踊りの輪が順々にめぐる。
   又、悉く上手へ消え、舞台空になる。曲はなおつづいている。―――
   下手階段から給仕頭があたふたと上ってくる。髪が乱れている。ふり
   むいて階段の下を見透かし、いそいで上手舞踏場へ走り入る。すぐ朝
   子と共に引返して来る。影山はこの二人のあとをそっとつけて来て、
   舞踏場の人口に佇む。)

⇧ DANCEを表す卦を、一言で言い表す卦を左脳の力を借りて探し求めようとしましても、私如きの空っぽさでは何ともならないようです(泣)

なので、その空っぽを逆手にとって、実際に右脳を駆使して某ライブ配信アプリの女性ライバーさんを見つめて小躍りしながら、DANCEそのものを表す卦を導き出しますと・・・・・・

         巽為風の九三

           (そんいふう)

            ☴

            ☴

『巽は、小しく亨る。往くところあるに利ろし。』


巽(☴)は、風そのものを表します。一番下のだけしっかり定まっていない(陰爻)、つまり、方向性が定まらない・・・

ネガティブに映るかも知れませんが、風は一方向にひたすら進む、という類の事象ではありません。様々な方向に吹き荒れる。一方向に向かわず陰陽を繰り返して限られた場でクネクネしているイメージがあり、そこから、巽(☴)をDANCEの卦として導き出した次第です。

・・・どの卦か、という事も悩みましたが、巽(☴)の主爻でありながら、ハッキリと自身を打ち出す、離(☲)の主爻にもなり得ている、六四(四爻)も考えたのですが、やはり、DANCEは腰を軸にして動かす、体幹の強さを求められている、という観点から、敢えて、腰の部分を言い当てている、九三(三爻)の方としました。

一方で、何かを生き急いでいるような影山の心情もやや窺える場面でもありますので、陰爻よりも陽爻の方が相応しい、という思いも漲って来た事も理由の一つです。

巽為風の九三は、

『頻(しきり)に巽(したが)う。吝なり。』

・・・上辺だけはしっかり巽順を装う、という、影山の影の部分も言い当てた爻辞に見え、DANCEの如く身震いした次第です。


※90〜93ページより引用

朝子 はじめから私をおだましになった。守るつもりもない約束をなさった
 のね。二十年たって、今やっとわかりましたわ。あなたは愛する値打のな
 い方です。塵芥(ちりあくた)のような人間です。卑劣者です。そんな勲
 章はあなたには似合いませんわ。(トその釦穴から菊の花をむしりとり踏
 みにじる)こうしたらよろしいのよ。(トその踏まれた菊を又とりあげ)
 これこそお似合だわ。踏みにじられた泥まみれの菊、これこそあなたの勲
 章だわ。さあ、これを持っておかえりになったらいい。そうしてのめのめ
 と永生きをなすったらいい。もう、一生お目にかかりません。

⇧  朝子は、まさに清原に、地水師(ちすいし=☷☵)の卦を捧げたに違いないのです。清原を、塵芥のような人間と断じました。塵芥・・・・・・まさに、粉々になった卦、坤(☷)。そんな清原を、朝子が毒舌(☵)に寄り添って向き合っている・・・・・・。


 (清原は朝子の手から、菊をうけとり、ポケットにしまう。このとき音楽
 休憩となり、客二三ぞろぞろと来かかる。影山はボオイに命じ、客を巧み
 に退場させる。上下裏階段より飛田があらわれ、影山に寄り添う。)
清原 私にも言うだけのことは言わせてください。馬車から下りようとした
 私を、いきなり物蔭からピストルで射った者がある。弾丸(たま)は私を
 外(そ)れて、馬車の天蓋に当った。私はすぐさま護身用のピストルで曲
 者を射った。急所に当ったらしく、曲者はその場に倒れた。外燈のあかり
 の下で、はじめてその顔が見えた。久雄だったのだ。
飛田 (昂奮して)私に委してくれればよかったんだ。私に委してくれれ
 ば。
 (トピストルをとりだして清原へ向ける。影山、手でこれを制して、ピス
 トルを納めさせる。)
清原 (再びポケットから菊をとり出して手に弄びながら)・・・・・・久
 雄は私に抱かれて息を引き取った。その表情を見たときに、朝子さん、私
 は直感したんだ。すべてを了解したんだ、わかりますか。久雄は私を殺そ
 うとしたのじゃない。久雄は私に殺されたかったんだ。それがあいつの復
 讐だったんだ。
朝子 え?
清原 あんなに近い距離で、私を狙った弾丸(たま)が、あんな風に外
 (そ)れるものではない。わかりますか。あいつは私を狙う弾丸を外らし
 て、私に殺されたかったんだ。あいつの憎んでいた父親に。あいつの愛に
 とうとう報いなかった不甲斐ない父親に。・・・・・・ 

―省略―

清原 影山君、君は政敵を見事に殺した。想像以上に見事に殺したね。もう
 私はおしまいだ。私の理想も、私の夢みていた政治もおしまいだよ。誰か
 親切な人がいて、私を殺してくれない限り、私はべんべんと生きるだろう
 が、事実は生きているとは云えないだろう。私はもうピストルの弾丸(た
 ま)以上のもので殺された人間だからね。もう決して君の邪魔はすまい。
 理想は失敗だ。政治も失敗だ。久雄は君の命令を、君の想像以上に忠実に
 果した。墓の一つも立ててやるんだな。・・・・・・朝子さん、私は失敗
 したが、あなたの御主人はますます成功するだろう。毎朝太陽が東から昇
 るかぎり、これはまちがいのないことだ。


⇧ ・・・清原は、朝子の断ずる通り、清原は、塵芥(☷)なのかも知れません。塵芥・・・つまり、坤(☷)は、”受け入れる”というキーワードも表現するからです。清原は、全てを悟り切り、全てを受け止め、受け入れているように見える。その意味で、この時の清原は坤(☷)そのものなのです。そんな彼は、太陽が東から昇る毎日が当然のように訪れ続ける事を悟っている。上記の場面は、まさに、地上から太陽が昇る・・・・・・


         火地晋の六二

           (かちしん)

            ☲

            ☷

『六二は、晋如たり愁如たり。貞しければ吉なり。』

静かに一人正しい道を行く・・・・・・。 


※94〜95ページから引用

  (影山夫妻は烈しく見合う。そしてしばらく無言でいる。)
朝子 (冷静な口調で)あなたのなさったことをよく考えてみました。政治
 ・・・・・・、政治・・・・・・、政治・・・・・・、みんな政治の問題
 にすぎませんのね。それならあなたをお責めするにも及びませんわ。
影山 政治、政治、政治かね。しかし私のしたことを、この私がはっきりあ
 なたに、愛情の問題だと断言したらどうなるんだ。この事件は愛情の惹き
 起した事件だとは言えないかね。・・・・・・私は、・・・・・・嫉(ね
 た)ましかったんだ。

―省略―

影山 ばかばかしいことだ。人間はあなたと清原とのように、無条件で誓い
 合ったり信じ合ったりしてはならんのだ。ありうべからざることだ。人間
 の世界には本来あってはならんことだ。
朝子 政治の世界にではございませんの?
影山 私の考える人間の世界にだよ。それでそういうありうべからざるもの
 に、私は嫉妬した。人間的なことだとは思わんかね。あなたと清原は、魔
 術師のように、透明な糸を織りなして、ふしぎな織物を作り出した。そい
 つを掛ける。するとそいつの魔力で、人間界の冷たい法則が隠され、ばか
 ばかしい桃色の世界、信頼しあう者のお伽噺の世界、いわば小僧っ子たち
 の云う理想の世界がひらきかけていたわけだ。

※97〜98ページより引用

朝子 もう愛情とか人間とか仰言いますな。そんな言葉は不潔です。あなた
 のお口から出るとけがらわしい。あなたは人間の感情からすっかり離れて
 いらっしゃるときだけ、氷のように清潔なんです。
 (省略)
 愛情ですって? 滑稽ではございませんか。心ですって? 可笑しくはご
 ざいません? そんなものは権力を持たない人間が、後生大事にしている
 ものですわ。

⇧ 上記を六十四卦で表しますと、毒含む言葉の飛び交う様子から、坎為水(☵☵)が相応しいという思いもありましたが、自身の嫉妬の感情を吐露した影山の場面辺りから、風向きが変わって来ました。

坎為水よりも、

          火水未済の初六

           (かすいみさい)

             ☲

             ☵

清原が坤(☷)そのものを戯曲内で表しているなら、影山は、火水未済そのものを戯曲内で体現しているに違い無いのです。

華やかな政治の世界(☲)に身を置きながら、影山自身は、常に嫉妬で悶々(☵)となっていた。しかし彼はそれを奥底まで静めて華やかを装っていた。

『初六は、その尾を濡らす。吝なり。』

 

―省略―

影山 ほう、そうしてどこへ行くのだね。
朝子 清原さんについてまいります。
影山 死人との結婚は愉快だろうね。
朝子 巧くやって行けますわ。死人との結婚・・・・・・。私ほどそれに馴
 れていて、経験のある女がございましょうか。
  (忽ちワルツの曲油然と起る。)
影山 やれやれ、又ダンスがはじまった。
朝子 息子の喪中に母親がワルツを踊るのでございますね。


⇧ ・・・敢えて、上記の場面に六十四卦を当てはめて行く事は控えます。周易に嗜んでいらっしゃる方々それぞれが、”死人”というキーワードからでも、”死人との結婚”というキーワードからでも、はたまた”ワルツを踊ろうとする母親”というキーワードからでも、それぞれに慕う卦を当てはめて愉しんで頂けたらと思います。

※99〜100ページより引用

影山 ごらん。好い歳をした連中が、腹の中では莫迦(ばか)々々しさを噛
 みしめながら、だんだん踊ってこちらへやって来る。鹿鳴館。こういう欺
 瞞が日本人をだんだん賢くして行くんだからな。
朝子 一寸の我慢でございますね。いつわりの微笑も、いつわりの夜会も、
 そんなに永つづきはいたしません。
影山 隠すのだ。たぶらかすのだ。外国人たちを、世界中を。
朝子 世界にこんないつわりの、恥知らずのワルツはありますまい。

―省略―

  (踊りの群は上手より出て、舞台一杯にひろがる。影山と朝子は礼をし
   合い、手をとり、踊りに加わる。しばらくダンスがつづき、曲のpa
   useがある。この時、影山夫妻は舞台中央にいる。突然遠くかすかに
   銃声が鳴りわたる。)
朝子 おや、ピストルの音が。
影山 耳のせいだよ。それとも花火だ。そうだ。打ち上げそこねたお祝いの
 花火だ。
 (「おや、ピストルの音が」から「それとも花火だ」まで曲のpauseがあ
  り、その間、一同は静止している。次いで再びワルツがはじまり、一同
  踊り狂ううちに)
―完―


⇧ ラストシーンの卦を、六十四卦の基本に還って立ち上げてみますと、

          雷風恒の初六

           (らいふうこう)

              ☳

              ☴

『恒は、亨る。咎なし。貞しきに利ろし。』

彼方に木魂するピストルの音(☳)を認めながらも、自身は、その場で右往左往するだけの緩やかなるワルツ(☴)に興じる・・・・・・。ワルツに夢中になり、外卦(☳)に躍り出る力を漲らせようとしない、という点で、初六。

『初六は、恒を深くす。貞しけれども凶なり。』

初六は、陰爻で中に及ばない位置。その中で、無理に

恒久不変、を目指す・・・

結局、深い恒常性を持って、悲劇を繰り返すしかないのか・・・・・・ピストルをファンファーレのよう弄びながら・・・・・・。


・・・以上となります。正直申し上げまして、今までの作品より圧倒的に手強かったです!!! ストーリーやキャラの心情も、今まで以上にしっかり汲み取った上で六十四卦を当てはめようとしましても、華やかなレトリックに引っ張られて本質が見えない中、仕方無く上辺だけの状況から当てはめて、それなりに考察する、という手段しか踏めない機会が多く、息も絶え耐えに、年甲斐も無くなってしまいました💦💦💦

一読してから、物語そのものの卦を一つだけパッと言い当てる、という姿勢も視野に入れてはいましたが、やはり、これだけの思惑と心情が微細の動いて行く深みある戯曲に、なかなか一つの卦、に絞り切れないのが、私の現在の力量不足に寄る現実です。なので、一つ一つにそれぞれ当てはめて行く、という事しか出来ませんでした。あまりにも苦戦続きなので、次の作品からはまた考え直させて頂けたらと思います。

まだまだ未熟なシリーズで、その中で身勝手に巽(☴)の如く右往左往してしまうかも知れませんが、坤(☷)の如く、深みある母性を持って陰ながら見届けて頂けましたら幸甚です。


・・・こんな私を、勝手にこじつけているだけの哀れな中年男性とお思いでしょうか?

否、東洋占術、占いを嗜む、その時点で、こじつけに過ぎないつまらぬお遊びに興じている哀れなオッサン、と私に対してお思いでしょうか?

占いは決してインチキではありません!

しかし、インチキで無い事を鮮やかに証明出来ないのも、残念ながら艮(☶)の如く動かぬ事実・・・・・・

そんな坎(☵)の如く悶々とした自分自身、そして、インチキ!と叫びたがる全ての方々に、最後、下記の影山のセリフを紹介して、今回を締めさせて頂きます。長々とありがとうございました。

※96ページより引用

影山 (省略)欺瞞だとあなたはお言いだろう。しかし欺瞞のほうがお伽噺
 よりも、人間を賢くするものだ。

                  令和四年  十月九日

   (ジョンレノン、ハッピーバースデー、ラブアンドピース)

                       副汐 健宇


   


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