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人間は変わらない。

昨年10月に親父が病院に緊急搬送され、脚が動かなくなった。
原因は前立腺癌が骨転移して、圧迫骨折による神経圧迫。なんとか手術は成功したものの、癌は既にステージⅣ。退院しても、母親1人で介護せねばならず、実家は狭い狭いボロ屋。

家の断捨離大掃除から、DIYでカビまみれの土壁に漆喰を塗ったり。兎に角早く退院したいという親父に対し、病院にも何度も説明に行き、実家の実情を訴えたり、いろんな症状や薬の勉強をして。ケアマネや介護用品の業者とも何度も会い、なんならその途中、母親が心を壊して、全ての窓口を私がやったりした。

兄弟はいるが、妹2人とも妊娠しており、嫁にいっているから、いくら遠方とはいえ、長男の私がなんとかしなければならない。そう思っていた。

親父は1月23日に退院し、なんとか杖を使えば歩けるレベルにまで回復した。癌の薬も効いていて、小康状態なのかと思ったら、3月に入って今度は呼吸ができないとして緊急入院。そこでも「症状がおさまったから退院したい」と、医者から心臓カテーテル検査を勧められるのに全拒否して退院。

4月になって、どうせならと少しだけ実家の近所の桜を見に散歩に連れて行った、もちろん車椅子を押して。それでさえつい最近のことなのに、えらく昔のようで。その1週間後、またもや呼吸ができないと緊急入院。ああだ、こうだと言って、今度こそ心臓カテーテル検査をすると、右も左も心不全。心不全からの肺高血圧症。バルーン手術するか、バイパス手術するか。それでもだめだったら大学病院に転院か…。

「しんどい、退院させてくれ、助けてくれ」

そんな状態なのに、何度も何度も電話をかけてくる親父。血中酸素濃度も低く、何ならいろんな薬を飲んでるからか、せん妄もあって、下痢も漏らしてしまって、ベッドで寝ているしかできない親父。

辛いのはわかる。けれど、その状態で戻ってきて、俺たち家族にどうしろというのだ。お母さんにどうしろというのだ。あなたの辛さが、すべてを引っ張って、僕たちみんなを邪気まみれの世界へ連れて行こうとする。

そもそも、僕らが親父を支えているのは「血の義理」であって、そこに「愛」はないのだ。親父自身は一生懸命生きてきたのだろうが、とんでもなく貧乏だったし、それも親父の身勝手が多かったし、結局実家のローンも、あらゆる借金も母親の実家に全部出してもらったし、それでいて人に感謝もしないし、悪口、嫌み、妬みばかりを言うし、いつでも偉そうに。言いたくなことを人に言わせ、自分はいつだって「慮ってくれ」というような、ああ面倒くさい。

ボケたら姥捨て山に捨てたるからな、と母親に言っていた親父。
娘の腹も蹴り飛ばして、怒鳴り散らしていた親父。
甲斐性なく、金の管理もできず、酒をたらふく飲んでいた親父。

何度も仕事を休んで実家に行き、妻にも子供にも迷惑をかけ、何度も病院に行き、ケアマネと話、でもケータイで仕事の電話やメールをしては、妻や、兄弟や親族に何度も連絡、説明をして、ずっと頑張ってきた俺に対しても

「なんでそんなぼんやりゆっくりしとるんや。こっちは1秒を争うんや。なんでわからへんのや」

と電話で怒鳴る親父。

お前が、仕事を休んで、家族のために何かをしたことがあるのか。

「なんで、ありがとうも言えないの」

と言うと、「こんな歳になって、そんなことが言えるか」と言う。

古き良き人間?
心の底からNOだ。

そしてカテーテル検査の前、また仕事を休んで、その説明に病院に行った。おはようと言っても「おおん、」とうめき声みたいなことしか言わない。
一通り聞いて、帰りの運転中、胸が苦しくなって高速を降りた。

ああ、なんでこんなことをやっているんだろう。
自分にとって大事なのは自分だし、妻と子供だし、
死にかけている人に引っ張られて、ああ、おかしい!

自分で全部背負い込んで、
自分がやらなきゃなんて、もう、いやだ。
長男なんて、好きでなったんじゃない。

そんな吐露をしてきた、今日。
妹2人にも、母親にも。

人間は変わらない。
今でも胸が変な感じがする。
ああ、これでよかったのか、とも思うし、気にすることは実は止まらないのだけれど。自分にも言える、人間は、変わらないのだ。

自分の本質を見つめながら、
相手の本質を見つめながら、
大事なものは何なのか、そこを見つめながら生きていくしかない。


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