なぜnoteを書くのか、やっとわかった気がする
情熱を燃やせない趣味は続かない。
今までに何度も、何度も経験してきた。
ギター、歌、DTM、ゲーム、ゲーム制作、小説、イラスト、などなど。世の中のメジャーな趣味っぽいものをたーくさんつまみ食いしてきた。
そして最近、noteという新しい趣味に手をだしている。
さすがにもうわかる。いくつか記事を投稿してみて、ひしひしと感じている。
あ、これ今回も続かないやつだ。
断言してもいい。
このままいくと、一週間後にはきっとnoteをやめている。
今は毎日かかさずしている新作のチェック。「スキもらえるかな~ドキドキ」というあの感覚。
一週間後にはそれら全部を綺麗サッパリ忘れて、noteなんて初めからなかったかのように、またせっせと次の趣味を探すんだ。
……
…
それって、とっても虚しくない?
次に見つけた趣味だって、一ヵ月もてばいいほう。
合わないと一週間もすれば飽きてしまって、なかったことになる。
とても虚しい。
だからnoteという、広くは文章という、自分を掘り下げれることを趣味にしているうちに、自分自身に問うておかなければならない。
なぜ、noteを書くのか?
と。
よく晴れた日曜日。
朝っぱらから湯舟にどっぷり浸かり、一日をむだにする覚悟で、指という指がしわっしわになるまで考えた。
ぼくにしては珍しく、うやむやにせず本気で考えた。
ごまかしてはいけない気がした。
最初に思いつくのは、そりゃあ承認欲求だよね。なんか気の利いたことをズバッと言葉にして、チヤホヤされたいもん。
いつもは冴えない自分でもここなら輝けるかもって思って文章を書いているふしは、おおいにある。
だってチヤホヤされたいもん。
でもさ、それってnoteじゃなくてよくない?
高校大学と理系一筋だったことを考えると、チヤホヤされたいだけなら他にやりようはいくらでもある。
じつは去年、すこーしだけゲーム制作をしていた時期があって。
その時はそこそこの人に遊んでもらえていたし、お小遣い程度の収益もあった。
承認欲求という意味ではまあまあ満たされてたと思う。
noteが書きたいという感情はその時のものとは少し違う気がする。どうやら単純な承認欲求ではないっぽい。
ほかにもたくさん、頭を空っぽにする勢いで考えてみたけど、な~んかどれもしっくりこない。
自分の考えを発信したいから?
→どうしても言いたいことなんてない。
手軽に発信できるから?
→Xでよくない?
自分自身をさらけだせるから?
→さらけ出す記事、一つも書いてない。
「クリエイター」という名前にあこがれて…
→あんた、ギターやってた時も同じようなこと言ってたな。
ぜぇぜぇ、はぁはぁ。
こう考えてみると、noteが書きたい理由ってほんとにわからない。
今までいろんな趣味をつまみ食いした上で、まだまだ無限にある選択肢の中からnoteを選ぶ理由っていったいなんだろう。
……
…
悩みに悩んだ結果、自分なりにしっくりくる考えが浮かんできた。
ぼくは、文章というものに、特別な魅力を感じている。
フェチズムと言ってもいい。
カレーだってラーメンだっておいしいけれど、どうしてもラーメンが食べたい時ってあるじゃない。うまく言えないけど、そんな感じ。
認められたいだけなら得意分野で勝負すればいい。
自分をさらけだすだけなら音楽でもゲーム制作でもイラストでもいい。
楽しいことがしたいだけならYoutubeでも見ていればいい。
でも、文章の持つ独特で特別な魅力に触れたいとき。そしてそれを存分に味わいたいとき。
それはもう、文章を書くしかない。
文章を書くことでしか摂取できない。
承認欲求や功名心はもちろんある。そりゃあおおいにある。
でも、それは他の場所でも代替可能だ。
文章からにじみ出るこの味は、文章でしか味わえない。
noteを書きたいという感情はぼくにとって、
文章を味わいたい
ということだったんだ。
そして冒頭にもつながるけど、身の引き締まった文章を心から味わうためには、情熱を燃やした文章を書くしか道はない。
シャレた言い回しをしてみたり、スカした言葉を使ってみたりしても、うまみ成分たっぷりの文章は生まれない。
グルタミン酸やらイノ シン酸やら、グアニル酸がたっぷり詰まった極上の文章を口いっぱいに味わう方法は、これ以上もうむりってくらいギリギリまで燃やした情熱で、自分が思う最高の形に文章を叩き上げる以外に無いんだ。
だんだんと、ふつふつと、湧いてきたんじゃない?
文章を味わいたいという情熱が
noteが書きたいという情熱が
テーマなんて、どんなにちっちゃなことでもいいんだよ。
朝風呂さいこーとか、缶コーヒーあんま美味しくないとか、そんなのでいい。
構成だってめちゃくちゃでいい。
PREPでPPERでも、起承転結でも承結転起でもなんだっていい。
読む人の心を動かすのは、というかぼくの心を動かすのは、テーマでも構成でも文章力でもなく、ほとばしるような情熱なんだ。
今回、noteを始めて2、3記事書いたこのタイミングで「noteを書くこと」について真剣に考えたことは、本当に、とても意味のあることだったと思う。
こうして自分が書いたもので自分に力を与えることができるのは、文章の持つ魅力の一つだ。
お風呂から上がってもうずいぶん時間がたった。
しわっしわだった指は、いつのまにか元に戻ってしまった。
ぼくの中の情熱は、まだメラメラと燃えている。
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