追悼Tomasz Stańko トマシュ・スタンコ ポーランド・ジャズのシンボルとしてのキャリアを振り返る

現地時間7月29日、戦後からポーランドのジャズを支えてきたトランペット奏者、作曲家、映画音楽家のトマシュ・スタンコが肺がんのため亡くなりました。76歳でした。

彼はまぎれもなく、ポーランドのジャズの象徴のひとりでした。そして、この国のジャズのすばらしさ、ポテンシャルの高さを世界に知らしめた最高の功労者でもありました。

FBでの追悼投稿は、ポーランド人だけに限らず、他のヨーロッパ人の音楽関係者も数多く含まれています。70年代からインターナショナルに活躍してきた彼は、ポーランドのみならず欧州ジャズのヒーローだったんですね。

近年の彼はドイツの超人気レーベルECMからのアルバム発表をメインにしていたこともあり、特に日本ではそのあたりの作品のイメージが強いです。逆に言うと、それ以外のスタンコのキャリアについてはまだあまり知られていないようにも思います。

というわけで、ECM作品も含め、トランペット奏者、作曲家としての彼のキャリアを試聴動画やリンクつきでざっくりと振り返ってみましょう。

スタンコがポーランドで頭角を現したのは、今もこの国の戦後音楽最高の作曲家のひとりとして認識されているジャズ・ピアニスト、映画音楽家のクシシュトフ・コメダ Krzysztof Komedaのバンドに参加したことがきっかけのひとつでした。初参加時はまだ20歳そこそこという早熟ぶりです。50年代半ばにデビューし、69年に亡くなったコメダの短いキャリアの後半を、スタンコはともに駆け抜けたのです。

そして、69年にその盟友コメダが亡くなります。ようやく自国のジャズを確立しはじめた矢先の天才の死去で、当時の若手のミュージシャンたちの間には大きな喪失感が漂ったことと思います。しかし、彼らはそこで歩みを止めてしまいませんでした。

導いてくれる人を失くしたことで、彼らは「自分たちなりの音楽って?」と考えざるを得なかったのでしょう。

そうして彼が出した答えが、コメダに捧げたアルバム『Music for K』と、それに続く一連の作品群でした。これは今も世界中で人気のシリーズPolish Jazzのうちの一枚で、当時の国営レーベルMuzaからリリースされてました。同時に、スタンコは国境を越えたインプロヴァイザー武者修行にも努めるようになります。

79年に癌で亡くなった天才ヴァイオリニスト(&アルトサックス奏者)のズビグニェフ・ザイフェルト Zbigniew Seifertを擁したクィンテットによる諸作も前衛ジャズロックとして評価が高いです。

前述したドイツのECMからの初リリースは、イギリスのデイヴ・ホランド Dave Holland、フィンランドのエドヴァルド・ヴェサラ Edward Vesala、ポーランドのコルトレーンと呼ばれた天才テナー、トマシュ・シュカルスキ Tomasz Szukalskiとのクァルテットによる『Balladyna』です。

コメダのバンドやレコーディングメンバーとして活躍した人のうち、このスタンコ、ヴァイオリニスト&サックス奏者のMichał Urbaniak ミハウ・ウルバニャク、サックス奏者のZbigniew Namysłowski ズビグニェフ・ナミスウォフスキは国際的に活躍した三羽烏。70年代はじめから、アメリカやヨーロッパ諸国の多国籍なミュージシャンとのレコーディングを重ねていくことになります。

スタンコの場合、70年代をともに走った盟友は、上にも名前が出たフィンランドのドラマー&コンポーザーのヴェサラでした。彼らはこの時期、互いのリーダー作などで多くの共演を果たしました。

一方で、彼はポーランド人オンリーのグループも並行して力を入れるようになっていきます。

まず、ポーランドのマッコイ・タイナーとでも呼ぶべき剛腕ピアニスト、スワヴォミル・クルポヴィチ Sławomir Kulpowiczとのアコースティック・クァルテット。もうひとつは、盲目の天才鍵盤奏者ヤヌシュ・スコヴロン Janusz Skowronとのダーク・フュージョン寄りのプロジェクト。

この2つプラス、セシル・テイラーSegmentsEuropean Orchestraへの参加、スウェーデンのNils Landgren ニルス・ラングレンとの共演などで彼の80年代は過ぎていきます。

90年代のスタンコの幕開けを飾った一枚『Tales for A Girl,12』は、前述ヤヌシュ・スコヴロンのシンセサイザーとのデュオです。スタンコの、自己流ブルースとでも言うべき叙情と激情が秘められた音色の魅力は、この作品をもって完成の域に達したと思います。

また、日本にポーランドジャズを輸入販売した草分けであるガッツプロダクションの笠井隆さんが本作を聴いてその魅力にのめり込み、脱サラして同社を興されたというエピソードもあります。その笠井さんのポラジャズ紹介がなければ、わたくしオラシオも誕生しなかった。その意味では、直接的・間接的に今の日本でのポラジャズ需要への道を切り拓いたのもスタンコなんですね。

また、この数年間にベルリンの壁が崩壊し、ポーランドの共産圏時代が終わります。新しい社会のはじまりを迎え、同時にいくつかジャズ・レーベルが設立されました。Polonia、Gowi、Power Bros.などです。

90年代以降のスタンコの活躍はすさまじいものがありました。ルーマニアのサックス奏者Nicolas Simionやブルガリア出身ウクライナ在住のサックス奏者Anatoliy Vapirov、ドイツのトロンボーン奏者Christian Muthspielら多彩かつ国際的な面々との相次ぐ共演。

そして、脱共産圏後のポーランド・ジャズを象徴するような若手の天才ピアノトリオSimple Acoustic Trio(現マルチン・ヴァシレフスキ・トリオ Marcin Wasilewski Trio)と結成した、アコースティック・ジャズの究極とも言えるクァルテットがいよいよ始動します。ECMからのリリースということもあり、日本のスタンコ・ファンのほとんどがこのグループのファンなのではないでしょうか。

さて、この90年代ジャズの至宝とも言うべきクァルテットの音を紹介する前に、スタンコの知られざる一面「映画音楽家」としてのキャリアに触れておきましょう。

かつての盟友コメダや、周囲のジャズ・コンポーザーたちと同じく、スタンコも映画音楽にかなり深く関わっています。映画とジャズの間の距離が近いのも、ポーランド・ジャズの特徴なのです。彼もまた、この国のジャズのそうした個性を担うひとりでした。

ポーランド語のウェブサイトですが、彼がどれほど多くの映画作品に作曲家として関わっていたか、このページで知ることができます。けっこう教育映画への音楽提供が多いですね。

また、90年代以降は映画音楽をCDとしてリリースすることも増えました。『Roberto Zucco』『Egzekutor』などがそうです。ECMの室内楽っぽい人気作『From The Green Hill』のタイトル曲は、もともと短編アニメのために書かれたもののセルフカヴァーです。

↓の『Farewell to Maria / Pożegnanie z Marią』もそんな中の一枚。個人的にスタンコのオールキャリアの中でも最も好きな作品のひとつです。勝手に「真夜中で独り聴きアルバム」とも呼んでいます。スタンコの孤独に満ちた音色が、沁みるんですよ。

さて、あまり知られていないのですが、スタンコとマルチン・トリオの初録音はECMではなくて、ポーランドのGOWIというレーベルの演劇用音楽集『Balladyna』です。スタンコのECMからの初リリース作品と同じタイトルなのですが、彼はセルフカヴァーをよくするアーティストでもありました。

ともあれ、90年代以降のジャズを代表するこのグループは劇伴レコーディングをきっかけにアルバム制作への道を歩みはじめたのですね。そのマルチンたちとのクァルテットはECMから計3作をリリースします。いずれも傑作ですが、個人的なオススメな2枚目の↓です。

スタンコのECMでの快進撃は死の直前まで続きました。デンマークのヤコブ・ブロ Jakob Broやフィンランドのアレクシ・トゥオマリラ Alexi Tuomarilaら勢いのある若手の北欧勢とのクィンテット。このグループの録音から何曲かが、アメリカの人気TVドラマ『Homeland』で使用されました。それを聴いてポーランドのジャズに興味を持ったという友人もいるくらいです。

スウェーデンのボボ・ステンソン Bobo Stensonアンダーシュ・ヤーミーン Anders Jormin、イギリスのトニー・オックスレイ Tony Oxleyとのクァルテット。カンヌ映画祭パルムドールを受賞したポーランド映画『尼僧ヨアンナ』をモチーフにしたECMの『Matka Joanna』もラスト作の『Leosia』もいいのですが、このグループでの1stであるGOWIの『Bosonossa and Other Ballads』も最高です。

かつてコメダと名作ポーランド映画『水の中のナイフ』のサントラを録音したスウェーデンのBernt Rosengren ベント・ローゼングレンやノルウェーのJan Garbarek ヤン・ガルバレク(ちなみに彼もポーランドのルーツを持っています)ら北欧のベテラン勢とのコメダ・カヴァー集。

このアルバムがポーランドの若手ミュージシャンたちに与えた影響は絶大で、彼ら彼女らの多くが本作を聴いて「コメダの音楽は、自分たちのバックグラウンドなんだ。自分たちの国のものなんだ」と感じたそうです(証言多数あり)。

このアルバムと並んで、ポーランドでのコメダの再認識を後押ししたのが、シンプル・アコースティック・トリオ時代のマルチンたちの、まさにデビュー作の『Komeda』(のちにLullaby for Rosemaryに改題)↓でした。

この2枚が道を切り拓き、今ではポーランドでは怒涛の如くコメダ・カヴァー作品が生み出されています。中でも、つい先日発売されたスワヴェク・ヤスクウケの『Komeda Recomposed』は最も実り豊かな成果だと言えるでしょう。その源流にもまた、スタンコがいるのです。

近年はダビ・ビレージェス、トーマス・モーガン(のちにリューベン・ロジャーズに交替)、ジェラルド・クリーヴァ―との「ニューヨーク・クァルテット」も結成。その第二作『December Avenue』(ECM)が絶作となりました。

ちょっとアメリカのジャズ寄りになったそのサウンドには賛否両論があるのですが、スタンコが常に若くて新しい才能との共演を積極的に行い、刺激を求めて前に前に進み続ける人だったのは間違いないでしょう。

最後に、彼がどれほど「ポーランドという国の文化そのもの」という存在だったのかという事実をいくつか。まず、彼はワルシャワ蜂起記念博物館ユダヤ歴史博物館Polinの開館記念音楽を委託され、アルバムもリリースしています。ちなみに、後者にはダビ・ビレージェスとラヴィ・コルトレインが参加しています。

どちらも国の歴史の重要な部分に関わる博物館です。日本で言えば、原爆資料館などの開館記念音楽をジャズのミュージシャンが委託されるようなものだと思います。どれくらいすごいことか、何となく想像つくでしょうか?

また、ノーベル文学賞受賞の詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカ Wisława Szymborskaが自身で自作を朗読するライヴに、たったひとりの伴奏者として参加しています。これもまたCD化されています。

スタンコは、ひとりのジャズ・ミュージシャンとして以上に、国の文化のシンボルとして認識されるような人だったのです。そして、ポーランドは、彼のような音楽家をそのように認識するような国なのだとも言えるでしょう。

個人的には、そろそろポーランドのジャズに関する単著の企画を練りはじめていて、そろそろ彼にもインタヴューしなければなと思っていたところだったので、かなりの喪失感があります。

ヨーロッパの文化や歴史がルーツとなったジャズの、アメリカとはまた違う美意識を世界に知らしめた偉大な音楽家がまたひとり、逝きました。今はただ、ご冥福をお祈りしたいと思います。

ちなみに、ポーランドのジャズ雑誌Jazz Forumウェブサイトのこのページ↓が、追悼発言や記事リンクなどをまとめてくれてて便利です。下のほうに英訳もあります。併せてどうぞ。

Lot ku gwiazdom!
http://jazzforum.com.pl/main/news/lot-ku-gwiazdom

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オラシオ

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