見出し画像

なぜ、日本人は対人関係に敏感なのか?


内閣府が平成30年度に実施した『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』によれば、日本人の若者(13ー29歳)が抱く日本人のイメージのトップ5

①礼儀正しい(37.9%)

②真面目(37.4%)

③勤勉(31.4%)

④平和的(25.2%)

⑤謙虚、控えめ(25.1%)

だった。

このような日本人の自己イメージは、若者だけではなく、おそらく上の世代までシェアされていると思う。


10年以上日本に住み、インターネットコミュニティーの運営管理をしていたわたしの体験・経験からすると、ギャグとしか言いようのないアンケート調査だ。


特に、学生限定SNSひま部、Yay!やTwitterでも男性たちはひどい人が多すぎる。

あるいは学校や会社でのいじめ。SNSいじめ。ネット炎上。不倫。大麻炎上。パワハラ。セクハラ。同調圧力。

まず日本で典型的なのが不倫や最近SNS上で世間を騒がせている大麻問題炎上だ。本当に日本だけの変な話である。

たしかに、それ以外はどの国でも起こり得る話ではあるが、日本人の自己イメージとあまりにもかけ離れているのではないだろうか。


礼儀正しい。真面目。控えめ…etc


へ…?


たしかに、日本社会のある一面においてそう見えるかもしれない。

上記の統計を否定するつもりは決してないし、正しさを反映していると思う。

それらは多くの日本人、そして、少なくない外国人も抱いている感情ではなかろうか。

だが、それだけで日本人を理解したつもりであれば大きな誤解である。

この『だが』『一方で』と表現できるのにふさわしい『矛盾』した『性格の二重性』を持つ国民は、日本以外に世界にないだろうとさえ思える。

つまりそれは簡単に言えば、よく言われる『ウチ』と『ソト』。

『ホンネ』と『タテマエ』である。


こうした自己イメージを一言で表すと『和』である。

日本人は『和』を愛し、『和』を保つために礼儀正しく、控えめで、真面目で勤勉である…といった感じで。

やはり、多くの日本人がシェアしている自己イメージの概念になると思う。

言うまでもなく『和食』『和服』といった漢字も日本の『和』を表すものである。

だからこそ、元号の『令和』の『和』が多くの人たちに好印象を与えたのではなかろうか。


さて、『和』を重んじ、『和』が大好きな国のイメージからすれば、さぞかし平和的で心地よく暮らしているだろうと想像してた何の不思議もない。




 世界一最悪な職場の人間関係

画像1

ある2015年の国際調査統計を参考にする。

日本人の職場の人間関係は決してよろしくない。世界的に見れば最下位である。

多くの国内調査でも、ストレスが職場の人間関係が1位になるほどである。


また、2020年の4月の自殺者数が前年比でおよそ2割減っていることが、厚労省や警察庁のまとめで分かった。

少なくとも2015年以降、4月の自殺者数としては最も少なかった。

日本の職場、学校では、人を追い込むような『なにか』があると思っていい。

全国的な自粛・ステイホームモードで一定の効果があった。

ただし、多くの専門家が指摘するように、人間関係のみが自殺理由ではないことも付け加えておくが。


またユニセフの行った国際調査では、日本の15歳の子供は、『友人を作りにくい』と答える人の割合がトップ2にランクインしていた。


この『友人』の概念が、それぞれの国や文化圏で、それぞれ違う概念かもしれないが、少なくとも、『日本人の若い人の自殺率の高さ』(≒社会的孤立)を考慮すれば、ある程度は、納得できる統計ではある。




キョロ目が増えた❓

SNSコミュニティの運営管理・カウンセリング・フィールドワークしていた経験から言えば


特に、日本人の若年世代は『他人の目に敏感な人が増えた』と感じる。


いや、だからこそ統計に信頼性があると確信があるわけだが。

街で人と接する際にもそう。目が合わない、視線が泳ぐことが象徴的だ。

なぜか日本人だけ『なんか不安そう』である。根本的なところで寂しく、焦っている。

この『違和感』が、日本人だけと接するときに感じる、『切なさ』だと個人的に思う。




み   ん な

日本の親や教員、多くの大人たちは子どもに『みんなと仲良くしなさい』と教える。

いまだに日本だけ唯一子どもに『みんなプレッシャー』を与えるという変なことをしている。

そのために多くの学校や職場では『満員電車状態』であるわけだ。


『和』を大事にするのだ。といえば聞こえがカッコいいかもしれないし、それで良かった時代が合ったことも事実ではあるが、現代の社会において、その機能的な意味はないに等しく、ただ単に、『従順な子ども』『手のかからない子ども』『反抗しない子ども』『素直な子ども』『なんでもハイと従ってくれる子ども』を量産しているだけなのだ。


他の先進諸国では、『いつでも、どこでも、自分の主張をちゃんと言いなさい』と教える。

それがグローバル時代の国際的な標準的な教育のあり方だ。

要は、個人の欲求、成長を大事にすること。

特にアメリカではその傾向が強い。

わたしは、必ずしも、国際化・西洋化が正しいとは限らないと思っている。

それはアメリカやヨーロッパで暮らした経験から、西洋の弱点も知っているからだ。


日本人は日本人なりのオリジナリティのある教育であってよろしい。


ただ、『バランスの問題』だ。

あまりにバランスが悪すぎて、子どもに過剰なプレッシャー与えすぎている。


日本は『和』と『他人への気がね』(他人の顔色を伺うこと)を誤解している。


本当に『和』を大事にしているならば、その背景には『思いやり』がなければ成立しない。

しかし、その『思いやり』と『他人への気がね』を誤解してないだろうか?




人助けでは世界最下位の日本

 日本の結果は惨めなものだ。インターネットで検索すれば誰にでも触れることができる情報だ。

総合順位は126カ国中107位と先進国の中では最下位である。


ちなみに、1位はアメリカだった。意外だったか?予想通りか?それぞれの判断に任せる。


注目すべき点は「見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」という観点で、日本は世界最下位だ。


さて、この結果をどうみたらいいのか? データが全てとは言えないが、このデータだけに従えば、日本は世界でも最もクズな国民ということになりはしないか?


この結果は『日本社会の冷たさ』を表していると思える。いや、そう以外にあるだろうか?


社会の冷たさ、といえばマイルドだが、社会のメンバーである、一人一人が冷たいということである。

要は、日本人は他人に冷たいのだ。

とても悲しいことだ。

街でも、インターネットでも、そのような、現代の日本社会の悲しさ、切なさを感じてしまう。



大事なのは思いやり

気がね、をする必要はない。大事なのは思いやりである。 


『みんな同じでなければいけない』と考えるのが『気がね』だ。

自分と他人は事情が違うんだと理解する想像力が『思いやり』だ。




他人をそこまで気にしなくても大丈夫

わたしは仏教徒です。というと、日本では『変な人』扱いされやすい。

例えば、諸外国に行けば、インドのヒンドゥー教徒は、牛肉を食べません。

牛は神さまのお使いだと信じているから。

一方、イスラム教徒は豚肉を食べません。

「コーラン」が禁じているから。

仏教徒であるわたしもお酒を一切飲みません。


私の友人にはイスラム教徒やヒンドゥー教徒がいる。

でも食事は楽しめる。

互いに相手が食えない牛肉、豚肉、酒を食べ、飲んでいた。


変なの〜。好きなの食べればー?


そのような感想はいかにも日本人的である。なぜならば、日本人にしか言われたことがないからだ。


多文化国家の人間は、いちいち他人の宗教、価値観、習慣に付き合ってはおれない。基本的に干渉もしない。あまり気にしないことが多い。


他人は他人、自分は自分、と割り切って生きるのが「あたりまえ」である。


どうも日本人は、人のよすぎる民族だ。


日本人の弱点は、

『他人が自分に付き合ってくれないと、自分は他人に嫌われている!』とか。『他人に合わせないと!』とか。『空気読まないと!』とか。


日本人は、人に好かれたい、好かれたいと、強迫観念的に思ってしまう。


人に嫌われるということは、日本人のあいだでは、まるで『人間失格』のように意識される。


それらが『インキャ』『ぼっち』という昨今の日本人的な殺伐とした息苦しい人間関係を表すワードではないだろうか。



本当は、そんなに他人のことを気にしないでいいのである。


<<人が自分をどう思うかは自分で決められない。あまり気にしすぎないほうがいい>>


他人は他人、自分は自分だと割り切って生きてみると少し楽かもしれないよ。

社会のレールから外れてもいいんだよ。

人と違うことを恐れすぎないほうがいい。


とメッセージを残して、今回は以上!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?