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【現代文】生きづらい 中高生も 中年も

 高校時代の鬼教師による読書感想文の宿題。その4作目の粗筋は、私の記述によると次のようなものだった。
 「一般人ヨーゼフ・ギーベンラート氏の息子ハンスは、古い田舎町の優秀生であったため、激しい勉強に動揺するものの、州の試験に二位で及第し、はればれ神学校に入学する。しかし、そこでの寄宿生活は息苦しいものであった。はじめは真面目な野心家であったハンスも、教師陣に反抗的で何かと騒ぎを起こすハイルナーとつき合うことによって冷たい視線を浴びることとなる。成績もどんどん低迷し、ハイルナーが放校処分となると、孤独を感じていよいよ衰弱し、彼もとうとう学校を去ることとなった。驚いた父親は不思議な目をもって彼を迎えたが、のちに機械工となって出直すように命じた。そこで彼は労働の喜びを味わうものの、最初の日曜日の夜、酔った勢いにまかせて、様々な苦悩をかかえながら川に身を投げてしまった。」・・・「読みはじめ」は「平成4年7月13日」、「読みおわり」は「平成4年7月25日」、「延べ時間」は「12時間」、課題図書の長さがさらに更新されている。もはや1作目が1時間で読み切れる童話だったことが奇跡のようにすら感じられる。文学青年でも何でもない私のことだ。きっと読破する作業そのものが苦痛だったに違いない。いや、それとも意外にも物語の舞台へ感情移入していたのだろうか。それはこの後の感想文で確認することとしよう。作品はヘッセ著・高橋健二訳の『車輪の下』。「庶民」と云わずに「一般人」と云う、「合格」と云わずに「及第」と云うあたりに、これが高校1年生だった私のオリジナルであろうはずはないから、ドイツ語原文の訳し方の体臭が感じられる。おそらく「退学」ではなく「放校」という処分があることを知ったのも初めての経験だったことだろう。「神学校」や「機械工」というコトバの響きまで、当時の私には新鮮だったに違いない。余談ながら、日本が西洋に学び明治を駆け抜けていた頃、そのお手本の1つだったドイツのエリートは「神学校」へ進むのが普通だったようだ。一方、私が高校生活を送った平成の日本では、工業高校の機械科を選んだほうが大学で宗教を専攻するよりもメシに困らない。むろん時代や文化の背景が甚だしく異なるものの、バブル崩壊で自分の将来には就職難しか待ち構えていないことが明明白白だった16歳の青少年にとってはそのギャップに違和感を禁じ得なかったはずだ。が、克服しているのか、無視しているのか、感想文ではその辺りに一切触れていない。こうしたところにも20年前の私のほうが今よりも「つまらない大人」だったことが垣間見える。
 粗筋に引き続き、私の感想文は次のようなものだった。
 「神学校をやめるに至っては、私はハンスを根性のない人としか捉えることができませんでした。しかし彼にだって強い意志がありました。校長先生や町の牧師さん、そして父親らの期待にこたえようと胸をはって神学校の門をくぐったのですから。私は何となく現在の受験戦争にも似ている自由の束縛が彼の心を踏みにじったのだと思います。彼には楽しい魚つりやウサギの飼育を犠牲にしてまで学問に打ちこむ必要があったのでしょうか。たまたま息子の出来が良かったために鼻が高かった彼の父親でしたが、傷つきやすい少年の心を理解してやり、伸び伸びと育ててやる父親らしさに欠けていたと思います。神学校に入学した当時の彼は、先生の言うことに何でもハイハイと従う模範生でしたが、規則づくめの寄宿生活、詰めこみ式の勉強にあきあきしたのだろうと思います。そこで私は、義務教育を終えて、自分の意志によって高校に入学したことを改めて考え直しました。受験を乗り越えるときの私は、ハンスを同様、期待にこたえようということしか頭にありませんでした。果たしてその中に自分の意志はどのくらい含まれていたのでしょう。そして、いろいろな希望を抱いて高校受験に臨んだ自分にも、型にはめられたところがなかったとは言い切れません。内面の欲する所と外からの圧迫が絶えず対立する中で、進路を押しつけられることに耐えられなくなるのは、決して恥じることではないと思います。それを苦しい人生の山から逃れたとする見解で軽蔑するのは間違いだと思います。しかし、自分に合った道を選ぶべきだという点では、自分が労働者になるまでは労働者をばかにしていたエリート気どりのハンスもまた間違っていたと思います。様々な悩みをかかえて死んでいった彼に、救いの手はさしのべられなかったのでしょうか。とても残念に思いました。」・・・まあ高校1年生の読書感想文なんてこんなもんなのだろう。なお、粗筋の部分から気になっていたのだが、「苦悩をかかえ」や「悩みをかかえ」に対しては「かかえ」と平仮名表記をしているのに、「希望を抱いて」に対しては「抱いて」と漢字表記をしている。送り仮名が機能しているので読み間違えるはずがなく、例えば「行って」を「いって」とも「おこなって」とも読めてしまうようなことへの配慮は不要なのだが、これは当時の私なりの拘りによるものか。
 敢えて過去の自分を褒めるとすれば、当初は学校を中退する行為を「根性無し」としか見做せなかったのに、主人公が周囲の期待や外圧によって歩む道を決められ疲弊していく姿にやがて同情するようになっていった自らの心理的変容については、それなりに分かりやすく描写されている。予想外だったのは、高校進学を選択した私の意志を私自身があまり信用していないことだった。かつての私も「ハンスを同様、期待にこたえようと」受験したようだが、誰の期待だったのかは書いていない。書かれていなくても、私に過剰な期待をかける中心人物が父であったことは疑いないが、例えばもし当時の私が高校を中退する展開になったとしたら、あの父はどのように対処していたことだろう。想像するだけでワクワクするではないか。欲を掻きすぎかもしれないが、どうせ他人の父親の教育姿勢を批判するのであれば、もう少し自分を取り巻く環境についても、この感想文で分析しておいてほしかった。とはいえ、恥を露わにする勇気をこんなところで出しても仕方ない。私にとって、私の父という人は、酒とギャンブルに狂いまくっていた点においては「悪い見本」、仕事だけは丁寧にこなす職人気質だった点においては「良い見本」、その両面を併せ持つ存在だった。「お前はエリートなんだから労働者にはなるな」と口にしていた父だったが、私が労働者を尊敬する素因となっていたのもまた父であった。このような家庭の日常を十分過ぎるほど胸に刻みながら表面上は無難な感想文に仕上げた当時の私は、「つまらない」か否かは別にしても「大人」だったということだろう。
 
 こうなってくると、5回目の宿題の中身が気になる。私は「この紙切れを取って置けよ。何かの節目に人生を振り返る教科書になるから。」と豪語した鬼教師の術中にまんまと嵌ってしまっていた。
 5作目の粗筋は、私の記述によると次のようなものだった。
 「作者・高村光太郎は、彫刻家・高村光雲の子として東京に生まれ、東京美術学校を卒業し、欧米に遊学すると、その後、詩の題材にもなるロダンに傾倒する。帰国後の最初の詩集『道程』は頽廃的な詩風であったが、のち『白樺』同人と接近し理想主義的詩風となり、第二詩集『智恵子抄』は発狂した夫人に対する愛と痛みがうたわれ、今も広く愛誦されている。この詩集は彼が生前自ら校閲した最後の詩集で、九十三の詩篇が選ばれているが、内容は様々な観点から人間を鋭く観察しているものが多く、現実に妥協せず、人生の意義を道徳的・社会的理想を実現するための努力に置く理想主義の精神がよく表れている。」・・・本作品が『高村光太郎詩集』であることは言うまでもない。「読みはじめ」は「平成4年8月3日」、「読みおわり」は「平成4年8月14日」、「延べ時間」は「8時間」と記録されている。ん?8時間!93篇の詩を読むのに8時間もかけているとは――単純計算でも1篇あたり5分09~10秒――なかなか生真面目に彼の詩の世界観に潜り込もうと努力していた足跡が窺える。しかしながら「詩の粗筋を書きなさい」という無理難題にはさすがにギブアップしたのだろう、解説のページあたりを参考に纏めたことが歴然たる文章に思わず笑いが込み上げてくる。「頽廃的」なんて初めて目にしたコトバだろうけど、おそらく私のことだから、この粗筋に記述する前に予め広辞苑でその意味を調べておくくらいの慎重さと耳垢ほどの知的好奇心は今と変わらず所有していたものと回顧する。
 粗筋に引き続き、私の感想文は次のようなものだった。
 「九十三の詩篇の中で、私が特に印象深く感じたのは、自然を題材にしたものでした。『声』の中で、彼は自然を重んじる平原での生活と人工を重んじる都会での生活とを対立させ、双方の立場から意見していますが、結局は『葱』の中で、自然の産物に比べると、人間の造形芸術など力が及ばないことを宣言しています。いかにもこれは彫刻家でもある彼らしい視点で、自然を美しいものとして受け入れ、大切にしていることの表れだと思います。しかし、彼が自然から学ぼうとするものは、美だけではなかったように思います。『山』の中で、その堂々とした構えの中に宿る生命力をうたっているように、彼は詩によって自然の偉大さが人間に語りかけるものを伝えたかったのだと思います。彼は季節を題材に多くの詩をうたっていますが、自然の厳しさを表現した冬の詩が多いことに気付きました。そして彼の詩は冬の荒々しさをうたうことで終わらず、その中に人生の意味を求めていたと思うのです。だから彼はその真実の答えとして『道程』の中でも、偉大な父のような生命力を持つ自然を尊重し、自然のように雄々しく、自由に、誰のまねでもない独自の人生を生きたいと強く宣言しているのです。彼は、姿を偽る人間の現実の世界を嫌う人であったからこそ、一身の不利と犠牲を顧みず、ありのままの自然を愛したのだと思います。正直を言うと、私には理解しがたい難しい詩も沢山ありました。けれど、何度も言葉をかみしめるように読み返しているうちに、不思議と人生の意義を追究する光太郎の苦しみや憤り、また意見が詩から伝わってくるのです。詩には、ごくわずかな言葉で綴られるからこそ奥深いものがあり、時によっては多くの言葉を駆使した文章よりも人の心を打つものがあるのだと思いました。」・・・なるほど小説よりも詩に向き合ったときのほうが、読解力や思考力を研ぎ澄まそうと奮起していたように見受けられる感想文だ。
 
 引っ越しをきっかけにタンスの奥からこの宿題の紙が出てきたのが35歳の秋。それから更に干支が一回りしようとしている。40代半ば過ぎ――現在の私は「自然のように雄々しく、自由に、誰のまねでもない独自の人生を生きたいと強く宣言」できるようなサラリーマンだろうか。否、逆に光太郎の嫌っていた「姿を偽る人間の現実の世界」に埋没したサラリーマンになっている。私自身が自分の姿を偽っているのだから、この自覚は正しい。
 そういえば20年前、世の中を何でもゴルフに喩える物理の先生が教えてくれた。なぜゴルフにはエージシュートがあるのか?それは16歳の人間も46歳の人間も生きているうちは等しく迷える子羊たることの証であると――。18ホールを年齢以下の打数で回るのがエージシュートだ。則ち72歳の人がパープレーで上がると達成ということになる。よくよく考えてみると面白いルールである。野球でもサッカーでもバスケでも、圧倒的多数の球技は得点の高いほうを勝利とするが、ゴルフはその逆だからこそ当該ルールが成立する。歳の数に比例してストロークの数も加算傾向になるところ、それを如何にして減算するかという自分との闘い。接待でしかラウンドしないような“付き合いゴルファー”の私でもこの仕組みにはつくづく感心させられる。――物理の先生の仰せの通り、悩みの量にもエージシュートの理論が当てはまるのかもしれない。歳の数に比例して悩みの量も加算傾向になるところ、それを如何にして減算するかという自分との闘い。そりゃ「中高生」の頃だって悩みはあったけれど、「中高年」のように同じ悩みを引き摺っていられるだけのヒマも脳ミソも無かった。自分自身が中年になってみると、確かに年齢を重ねるにつれて煩慮が増えたことを実感する。
 
 その煩慮の主成分とは何かといえば、私はもう嫌々サラリーマンを続けている状態で、今すぐにでも会社を辞めたいのである。「転職」ではない。生活の見通しは立っているから「無職」になりたい。これ程の条件が整っているにもかかわらず、退職願を提出できない理由は簡単だ。日本の民間企業って、ある程度の職責を担う立場になると、これを途中で放棄するのが物凄く難しいのだ。
 いざ、私が上司あるいは同僚へ本音を切り出したとする。その瞬間から慰留の説得が始まるのは火を見るよりも明らかだ。決して思い上がりや自惚れではない。こんな無知無能な私でも社内の厄介な仕事を幾つか引き受けているので、私に辞められたら心底困るという人が本当に一定数いるのだ。但し、それだけではない。部下や同僚から「会社を辞めたい」と打ち明けられたら「少し考え直してみろよ」と返すのが、まるで挨拶かのような「常識」になってしまっているのも事実だ。けれど、実際その“挨拶”によって考え直すような弱腰の決意だったら、ハナから打ち明けるはずがないではないか。事情がどうであれ、最終的に自分の意志で選んだこの会社を自分の意志で去りたいと申し出ているわけなのだから、自らの人生観や職業観をよくよく見据えての結論だろうと慮るのが寧ろ「常識」というものではなかろうか。冷静に相手の思いを咀嚼すれば、そんなこと判り切っているくせに、何だ?この通過儀礼的な茶番は――。
 これは少なくとも日本の民間企業が長らく男社会だった影響によるものだと私は勝手に分析している。退職したい社員というのは、とにかく引き留められたくないのである。その前提で、礼儀作法として世話になった方々には事前にサヨナラを伝えているわけだ。謂わば、別れ話を切り出した女と共通する部分が多い。嫌いになったかどうかは別として、もはや彼氏への未練など皆無に等しい。まして嫌いになったのなら顔も見たくないのである。これが男女逆のパターン、則ち男が女へ別れ話を切り出す場合はどうだろう。男の脳の内側には「ちょっと待って!どうして?」と一度は彼女から泣き縋られたいといった助平根性がしつこく残っているのではないだろうか。自分がそうだから彼女もそうだと決めつけて、彼女から「別れたい」と告げられたシーンでは「ちょっと待てよ」と宥めるのが礼儀だと信じ込んでいる節がないだろうか。コレ、とんだ勘違いだ。ゆらゆらと揺れ動く恋の懊悩を貴方の熱い台詞で鎮めて欲しいなどという「女心」は、男のライターが気儘に思い描いた女への幻想に過ぎない。いったん閉じた女の心のシャッターを再び開けられる鍵は無いのだ。女性の皆様いかがですか。この分析、私は男性のくせにそこそこ正鵠を得ていると自己評価しています。
 ――退職の意向を伝えたら煩わしい慰留が待ち受けている。かといって黙って立ち去ることは非礼でもあるし、手続き上も不可能だ。そうなると、退職を決断するに至った心情について、相手方の納得できるような説明を用意せねばならなくなる。そもそも私にとって退職とは「決断」でも何でもなく、「独自の人生を生きたい宣言」なわけだ。しかし、それこそ詩人くらいに自由な身分でなければ、人間そう容易く「宣言」なんて出来るものではない。退職するまでの「道程」に想定される問答があまりに面倒臭いので、それなら同じ面倒でも今のお役目を拝命し続けているほうがまだ気楽かもしれないと自分に言い聞かせつつ、定年の日を心待ちにする日々――これが「現実の世界」で働く私の埋没というものであった・・・つづく

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