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【三田三郎連載】#009:記憶を失くす者は救われる

※こちらのnoteは三田三郎さんの週刊連載「帰り道ふらりとバーに寄るようにこの世に来たのではあるまいに」の第九回です。
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記憶を失くす者は救われる

 「忘却は、人間の救いである」とは太宰治の言葉だが、それが本当ならば私は毎晩のように救われていることになる。それくらい私は酒を飲むと記憶を失くすことが多いのだが、泥酔時の出来事を覚えていないのが救いとなっているふしは確かにある。
 
 泥酔すれば誰しも何かしらの失態を演じることはほぼ不可避だと思われるが、翌日にその記憶があるのとないのとでは大違いなのだ。もし不幸にも自らの失態を覚えている場合には、激しい自己嫌悪に苛まれることだろう。自責の念に駆られ、しばらく酒は控えようという気持ちになるかもしれない。だが、たとえ酔って失態を演じても、翌日にその記憶さえ残っていなければ、自己嫌悪など生じようがない。堂々と胸を張って一日を過ごし、晩にはまた酒を飲むことができる。自分が覚えていない失態を誰かから聞かされることもあるが、その場合でも、どこか他人事のように感じられるというか、自分の体験としての実感が薄く、自ら記憶している場合よりも遥かにダメージが小さい。
 
 前述した内容の傍証として、私の友人・Fの例を挙げたい。Fは自宅近所のバーで知り合った飲み友達である。そして、私と飲み友達になるくらいだから、当然ながら無類の酒好きである。そのFは、私と同じく酒は好きだが強いわけではないというタイプで、いつも深酒しては酔っ払って醜態を晒している。しかし、Fが私と決定的に異なるのは、全く記憶を失くすことがないという点である。どれだけ泥酔しても記憶が曖昧になることすらなく、全ての出来事を鮮明に覚えているというのだ。酔って理性を失い、派手に粗相はするものの、その自らの粗相についてはっきりと記憶しているのである。初めてFからその特異体質について聞かされたとき、神はなんと無慈悲なことをするのかと思った。それではFがあまりにも不憫ではないか。事実、Fは大酒を飲んだ翌日はいつも大変な自己嫌悪に襲われているという。そして、一緒に飲んだ翌日は必ずと言っていいほど謝罪のメールが届く。私は記憶を失くしているから、前夜にFがどのような粗相をしたのか分からないのだが、メールの文面からは深い後悔と謝罪の念が伝わってくる。そのメールを読む度に、Fも泥酔したら記憶を失くす体質であればどんなに救われたことか、と思わずにはいられないのである。
 
 私は一度、Fと苦悩を共有すべく、飲酒時に記憶を失くさなくなると謳われたサプリメントを試そうかと思ったことがある。ネット通販サイトで、あとワンクリックすれば購入というところまで手続きを進めたのだが、最後の最後で怖気づいてしまった。もちろん、得体の知れないサプリメントを体内に入れるのが怖かったというのもあるが、それよりも、泥酔時の自らの失態を記憶することによって、深刻なトラウマを植え付けられそうで怖かったのである。
 
 また、酔って記憶を失くすことは別の救いをも与えてくれる。それは、素面での自らの言動についても過剰な反省をしなくて済むようになるということだ。当然ながら、泥酔時は素面のときと比べて失態を演じている可能性が高い。そして、泥酔時の失態については記憶がないので反省のしようがない。そうであれば、素面で自らがとった言動についてあれこれ反省をしたところで何の意味があろうか。泥酔時にもっとひどい粗相をしている可能性があるにもかかわらず、それは記憶がないからといって反省せず、素面での言動だけを反省するというのは筋が通らない話である。したがって、泥酔して記憶を失くすことを繰り返しているうちに、素面で多少の失敗をしようとも、「まあ、飲んでいるときはもっとひどいからなあ」と受け流せるようになってくる。私もそうだが、他人と接した後に、相手を不快にさせる言動がなかったかと「一人反省会」を開いてしまうような人種にとっては、これが大きな救いとなるのである。
 
 ここまで、酔って記憶を失くすことでもたらされる救いについて述べてきたが、それでもやはり自分が何をしたか覚えていないのは怖いと感じる読者もいるだろう。そういう読者のために、朝起きて前夜の記憶がない場合の対処法を伝授したい。
 
 まず、素面で寝る前に必ず行うルーティンを作るのである。私の場合だと、寝る前にはスマートフォンを充電器に繋いで所定の場所に置くようにしている。ルーティンの内容は何でもよく、翌日に着る服を用意してテーブルに置くとか、飲み物を枕元にセッティングするとか、些細なことで構わない。それを続けていると、酔って帰ってきても大抵はそのルーティンを行うようになるのだ。そして、泥酔して記憶を失くしても、そのルーティンの実行を翌朝に確認できれば、前夜に粗相をしている可能性は低い。そうなればひとまずは安心して、小さくガッツポーズでもすればいい。だが一方で、そのルーティンが行われていない場合は、前夜に粗相をしている可能性がぐっと高まる。それは前夜にルーティンの実行すらままならないほど酔っていたことを意味するからである。もしそうなれば、早急な対応が求められる。すぐに同席していた人々に問い合わせの連絡を入れ、情報収集に努めなければならない。そして、自らの粗相が判明すれば、当然ながら謝罪をしなければならない。一切の言い訳をせず、とにかく謝り倒そう。
 
 このように、寝る前のルーティンを作れば、その実行の有無が前夜に粗相をした可能性を測る指標となるわけである。以上の対処法さえ身に付けてしまえば、酔って記憶を失くすことへの恐怖感は薄らぐに違いない。これで安心してレッツ泥酔、と言いたいところだが、記憶を失くすまで飲むのは体に良くないし、他人に迷惑をかけることになりかねないので、私のように特殊な訓練を受けていない読者にはほどほどの飲酒をお勧めしたい。
 
 あと、記憶を失くした人から粗相の有無を尋ねられた際に、嘘をついてからかうのは本当にやめましょう。「三田くん、昨日は酔っ払って全裸で暴れてたよ」と嘘をついた先輩を私はまだ許していません。そういうのは、鬼畜の所業というか、正義に対する挑戦というか、非常に反道徳的な行為なので、絶対にやめてください。お願いします。

酒により失ったものを列挙して遊ぼうよ(金!)(記憶!)(健康!)   三田三郎

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著者プロフィール

1990年、兵庫県生まれ。短歌を作ったり酒を飲んだりして暮らしています。歌集に『もうちょっと生きる』(風詠社、2018年)、『鬼と踊る』(左右社、2021年)。好きな芋焼酎は「明るい農村」、好きなウィスキーは「ジェムソン」。
X(旧Twitter):@saburo124

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