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“スピッツが好きな人生”で良かった。(映画「劇場版 優しいスピッツ a secret session in Obihiro」を観て)

スピッツが好きな人生だった。

僕が唯一誇れる、現時点における人生の自慢だ。そんなふうにいうと大袈裟に聞こえるかもしれないが、この言葉に偽りはない。

世の中には、クリエイティブに関わる多くのアーティストやクリエイターが存在している。「単純に、そのアーティストの音楽が好き」といった理由もあると思うが、多かれ少なかれ、好きなものに自分の人生や感性を投影するものだと僕は考える。

Mr.Childrenが好きな人は、ミスチル的な価値観を。
ゆずが好きな人は、ゆず的な価値観を。
AKB48が好きな人は、AKB48的な価値観を。

そのどれもが間違いではないが、スピッツ好きを自認する人間のひとりとして、「スピッツ的な価値観」というのは、感性が豊かに育まれていくのではないかと僕は密かに(そう、バレないように密かに)確信している。

例えばスピッツには、「冷たい頬」という曲がある。歌い出しはこうだ。

あなたのことを 深く愛せるかしら
子供みたいな 光で僕を染める
風に吹かれた君の 冷たい頬に
ふれてみた 小さな午後

(スピッツ「冷たい頬」)

この4節だけでも、ありとあらゆる想像が生まれる。

・「あなた」「僕」とは誰のことか。恋人同士なのか、それとも親子なのか。親子だとしたら、実はそれぞれが年老いた親子なのかもしれない。
・「子供みたいな光」「小さな午後」とは何か。
・ふたりは何をしているのか。外に出ているのか。いや、実は片方(=あなた)は死んでいるのかもしれない。
・「ふれる」とは何かのメタファーではないか。「ふれる」が「(物理的に)触れる」という意味でなかったとしたら、どんな意味が込められているのだろうか。

そんなふうに、スピッツの曲には、アーティストが持っている解釈とは別に、無数の解釈が生まれ得る。余白。考えるスペースがあるのだ。

──

映画館「目黒シネマ」で、無観客ライブを敢行したスピッツのライブを収めた映画「劇場版 優しいスピッツ a secret session in Obihiro」が上映された。

2022年1月にWOWOWで放送された映像に、メイキング映像とアフタートークを追加した劇場版で、2023年6月に上映された。本当であれば夏に鑑賞したかったのだが、機会を逸してしまい、5ヶ月遅れで観ることができたのだ。

「劇場版 優しいスピッツ a secret session in Obihiro」
(監督:松居大悟、2023年)

ひとことで言うと、それは「特別なふつう」を映した映像作品だった。

舞台は北海道帯広。スピッツが主題歌を手掛けたNHKの連続テレビ小説「なつぞら」の舞台である。そんな縁の深い土地で、カッコつけない普段どおりのスピッツが映り、僕が大好きなスピッツの曲を彼らは演奏していた。普段のスピッツがどんな感じか知る由もないけれど、それは「特別なふつう」を纏った四人だった。

その場に立ち会っているような感覚。

それを三輪テツヤは「のぞき見」と表現していた。「若い頃、スタジオ入って前のバンドが演奏しているのを見て。そこに﨑ちゃんを見つけたのを思い出した」と懐かしそうに語る。

そうなんだよ、スピッツを見つけたときの感覚。それに近い。

僕はどちらかといえば、スピッツを知るのが遅かった。長瀬智也さんが主演を務めた「白線流し(1996年放送)」。スピッツの代表曲「空も飛べるはず」が主題歌だったが、残念ながら僕はリアルタイムで観ていなかった。ドラマ好きの友人は「白線流し」に夢中になっていたが、僕はなんとなく「『空も飛べるはず』って良い曲だな。へえ〜、『チェリー』も良いね!」というくらいの感覚だったように思う。

誰もが知るスピッツだったが、僕はそれほどスピッツの歌詞に対して深くコミットすることはなかった。転機は大学のときだったと思う。仲の良かった先輩が、「楓」という曲を好きだと公言していたのだ。

風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで
他人と同じような幸せを
信じていたのに

(スピッツ「楓」)

ああ、これは何を歌った曲なのだろう。恋人同士の別れなのだろうか。いや、もっと深いところでつながっていた「ふたり」の別離のように思える。……そう感じて、胸が震えた。

そこから、スピッツのアルバムをCDレンタルショップ「GEO」で集め、iPodにインポートしてひたすら聴き続けた。軽く使われているような言葉なのに、意味がたくさんの方向へと分岐する。

君を不幸にできるのは
宇宙でただ一人だけ

スピッツ「8823」

こんなふうに「不幸」という言葉を使っているのに、誰よりも「幸せ」を願っているように聞こえる。「愛」を歌っているように聞こえる。

そもそも、幸せって、愛って、なんだろう?

スピッツの曲を聴けば聴くほど、あらゆる事物の概念が分からなくなっていった。

*

演奏は、帯広の旧双葉幼稚園舎(国指定重要文化財)で行なわれた。

もともと幼稚園の遊戯場だったらしい。それほど大きくないスペースで、四人(とサポートミュージシャンのクジヒロコさん)と機材があるだけで、わりと密な空間になる。

通常、ライブをするときは横長の舞台で、バンドメンバーは並んで演奏をする(ドラムは一歩下がったところにいる)。だが、旧双葉幼稚園舎の遊戯場は八角形のスペースだ。メンバーが円を囲むように並び、お互いに向き合いながら演奏していた。

四人は面映い表情をしながらも、たぶんその非日常の感じが、特別な演奏を生み出したのではないかと思う。全15曲はどれも胸に沁みた。「胸に沁みた」なんて、ありきたりな言葉だけど、50代になったスピッツのこれまでの歩と、現在地を象徴するような姿に見えたし、それが心の底から嬉しかったのだ。

“スピッツが好きな人生”で良かった。

スピッツがいなかったら、今の僕の人生はなかった。そう断言できる。

もしかしたらスピッツがいなかったら、もっと楽に生きられたかもしれない。複雑に、「幸せ」とか「愛」とか、考えることもなかったかもしれない。

でも、“スピッツが好きな人生”が、僕には誇らしい。そんな言葉が口に出るくらい、気持ち良い余韻に浸っている。

ありがとう、スピッツ。
そしてこれからも、よろしくお願いします。

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